7-19 それでも
「さすがに今度は彼も警戒してたから、真面目に観察に出てるふりをしてちまちま準備を進めた。人間を使うのが悪いのならば、実験用のネズミを用意すれば問題ないんでしょ? 腕の見せ所だ」
「ねずみ?」
「そこそこ時間はかかったけど、哺乳類を発生させてからは早かった。僕らのように姿を整え、僕らが持つ力の形が弱く現れるよう調整して……楽しかったなぁ」
ラーロは少年の笑顔で笑った。
「まあね。さすがにそこまで来て数が増えてくれば見つかるよね。その時は怒りよりも呆然としていたかな。小さな村の形にまとまって、畑作業する彼らを見てね。レポートだって効率よく進みそうだったのにね?」
「……ラーロ」
呟くようにラーロの名を呼ぶレンドールに、ラーロは『司』の顔に戻り立ち上がる。
「いくつかの病気の新しい治療法とか、この地で見つけた植物でできる薬とか、毒とか纏めたデータも開示したんだけどね。彼は問答無用で僕の行動範囲だったところを隔離した。僕だけを無力化しなかったのは、発生させた生き物をどうするか判断に迷ったせいだろうね」
ラーロは天井を見つめる。
「渓谷は僕のネズミたちを外に出さないため。その上から球状に結界で包み込んで、僕も出られないようにした。そんなこともあろうかと、一部を範囲外にも分けて管理していたから、それは野生化したみたいだね。僕を出さないための檻は強力過ぎて、溢れる力が土地や動物たちにも影響を及ぼした。結果的に人口調整に役立ってくれたけど、住人たちは黒く現れる力を悪いものだと思って怯えた。彼の力は破壊や暴力と馴染みやすかったから。僕はすんなり神になれる、はずだった」
「ラーロ、俺たちは」
「レン、そろそろ見えるようになったでしょう? 護国士は国を護るもの。僕のシャーレの中のコロニーをせいぜい頑張って護ってよ」
軽い足取りで身を翻し、家を出たラーロの前に黒い靄が現れる。ラーロはそれに手を伸ばすと、エラリオの形を取り始めた靄と共にふっと消えた。
「ラーロ!!」
家から飛び出したレンドールが辺りを見渡してみても気配がない。
どこを探そうか逡巡して、レンドールはもう一度家の中に飛び込んだ。
「エスト! 何が見える? エラリオは、何を見てる?」
ぎゅっと眉間に皺を寄せて、エストはレンドールを睨みつけるようにした。
「……助けに行くの? あんな……人を実験動物と同じに見てるような人を? それに、レンが行ったってどうにかできるようには……」
「だからだろ! あんな言い方して、反感募らせて状況改善するわけねぇじゃん! ずっと上から見下ろしてた奴が、この場で本当のことつらつら並べ立てる必要なんてないんだよ。耳に優しいこと言って、面倒だからって全部壊して棄てちまえばいい。なのに、アイツは無駄かもしれないのに俺を助けたんだ。自業自得だから自分に怒りを向けられてる間、残り僅かかもしれないけど生き延びろって……あれは、そう言ってんだ!」
「だからって、あの人を助けるためにエラリオに剣を向けるの? エラリオは私たちには何もしなかったじゃない!」
「エラリオがやりたくねぇことはやらせないって約束したんだよ! 恨みつらみがあったって、一方的にいつまでも暴力をふるうのは違うだろ。薬が切れればエラリオの意識も戻ってくるかもしれねぇ。だから、どうにかするためにも!」
エストは、とたんに泣きそうな顔になった。エラリオの視点で見えるものに、もう諦めていたのかもしれない。
レンドールは息を少し整えて、できるだけ優しく語りかける。
「信じてやれよ。あいつは戻ってくる。俺が、目を覚まさせてやるから」
「……本当に? レンは本当に信じてる?」
「当たり前だろ」
ゆるぎなく頷いて見せれば、エストは一度唇を噛み締め、それから小さく告げた。
「崩れた山の辺りにいると思う」
「……山……わかった」
少々眉を寄せたあと、レンドールは身を翻した。
「レン、気を付けて……」
返事も振り向きもせずに、レンドールは片手を上げてひらりと振る。
(最初に崩された山……さっきもそっちの方にラーロは逃げてたな。なんか考えでもあんのか?)
平らな集落跡を駆け抜け、崩れた山のふもと、なだらかな坂を登っていく。なだらかとはいえ、岩や土の塊がゴロゴロと転がっていて、真直ぐに進めるわけでもない。時に踏み越え、時に避け、倒れ重なる木々を乗り越えていく。周囲の状況が険しくなるごとに行く先の空気の震えと地響きが伝わってきた。
突然目の前が開け、上りだった足元は急な下りへと変わる。
レンドールの目に山肌をさらに崩しながら争う二人が飛び込んできた。切れた息をしばし整えて、垂直に近い坂を滑り降りる。
抉り取られたような山の西側はさらにぼろぼろに崩れていて、ゆるりと手を振り上げるエラリオの背中にレンドールは声を張り上げた。
「エラリオ!!」
ゆっくりと振り向くエラリオのわずかな動きでレンドールは横に飛び退く。エラリオの向こうで構えていたラーロが目を見開いたような気がした。
レンドールが先ほどまでいた場所で土が弾ける。
ラーロ側ほど崩れないのは牽制でしかないのだろう。
(手加減してくれるのは、ありがてぇ!)
二度、三度、攻撃を避けつつエラリオに迫るレンドールに、エラリオは不快そうに眉を寄せる。レンドールの間合いまでもう一息、というところでエラリオはレンドールの方へ身体を向けた。
広範囲の攻撃が来る。直感しても避けられないのならば突っ込むのみと、レンドールはスピードを上げた。
せめて一太刀。
エラリオに届けば、回復の方にも力は回されるはず。痛みでエラリオも目覚めるかもしれない。
届くか、届かないか、微妙な距離でエラリオの腕が動いた――と、同時に、エラリオは何かに吹き飛ばされて、残っている山肌に穴を穿った。
「何をしに来たのです」
薄汚れてぼろぼろになった法衣姿で、白の髪と瞳の少年が怒っている。
対象がいなくなってから振り抜かれた剣にバランスを失ったレンドールは、一回転してからたたらを踏み、ラーロに並んで山肌へ剣を構え直した。
「うるせぇ。エラリオとやるのは俺だって言ってるだろ」
「解ってるでしょう? もう二度死にかけてますよ」
「でも、まだ生きてる」
ニッと笑って振り向いたレンドールにラーロは不快そうに眉を顰めた。
「何するつもりだよ。教えろ。それに、俺はエラリオを諦めてねぇ。あんたのためじゃねぇから」
「国を護れと言ったでしょう」
「人を護るのが護国士だ」
小さなため息がラーロの口から零れ落ちる。
「……バカにつける薬だけは、無いようですね」
山肌に開いた穴の周辺が小さく崩れ落ちる。
「うるせぇ。いいからエラリオの目を覚ますのに手を貸せよ」
「無理だと思いますけど。何か確信があるのですか?」
「わかんねぇ」
ラーロはもうひとつため息を落として、表情を引き締めた。




