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白の神、黒の魔物  作者: ながる
瞳の章

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7-15 エラリオの選択

 一足踏み出すごとに膝の上まで雪に埋まる。

 エラリオはそうやって雪を漕いで山の上を目指していた。山頂を目標にしているわけではなく、ただなんとなく、だった。

 寒さは感じない。息を切らし、汗もかくけれど、その汗に寒風が吹きつけても体温を奪っていくことはなかった。

 そんなこともおかしいと思わなかったのか、それともレンドールに命を渡そうとしたときに内からの静かな誘導を終わりにしたのか、エラリオにはもう判らない。

 疲れたら獣の巣穴や洞窟を見つけて身体を潜り込ませていたけれど、それが必要かどうかもわからなくなってきた。


(このまま雪の上に身を横たえていても大丈夫そうだよな)


 標高が高くなればまだ雪は柔らかい。

 思いついてばたりと横になってみれば、凍った固い地面よりよほど快適だった。


(……さすがにそこまで人間を手放しちゃ駄目かな……)


 そうしている姿を発見したときの相棒の反応を考えてみる。


『――え? 雪の中の方が暖けーの? 俺も今度からそうする!』


 雪の中の方が暖かいのはそうだが、雪の上で寝たら死ぬ。普通は。

 レンドールなら本当に真似しかねなくて、エラリオはせめてかまくら状に整えるか、横穴を掘るかくらいはしようと誓った。

 こんな風になってもまだ「居て欲しい」と言ってくれるレンドールのおかげで、エラリオは人間らしくいたいと思えている。

 切れたままの手袋の内側に覗く黒い皮膚をぼんやり眺めて、それが本当に治るものかとため息を吐く。


(眠っている間なら、大丈夫なんだろうか。もし、彼がこの瞳を手に入れたいだけなのだとしたら……)


 レンドールに嘘をついてでも引き受けるんじゃないか。

 そういう不安も拭えない。自分のことは諦められても、この瞳の行方は把握しておかなければと強く感じている。

 ちらちらと雪が舞い始めた。

 信じることにも疑うことにも少し疲れて、エラリオはしばらくの間ただそれを眺めていた。



 ◇ ◇ ◇



 北国の春はほんの七日ほどでも驚くほど景色を変える。

 ベッドにも負けないほど柔らかだった雪が、ざらざらとした固い氷の粒で表面を覆われ、締まっていく。陽当たりの良い所では枯草の影から小さな芽が顔を出し始めていた。かといってそのまま順調に雪が溶けていくわけではなく、突然冬が戻ってきて横殴りの雪をぶつけてきたりするのだ。


 ひらり、エラリオの剣を避けながらレンドールは舌打ちする。

 風で舞い上がる雪片が目に飛び込みそうで、しらず目を細めていて視界が狭い。

 エラリオは笑ってわざとらしく大振りでレンドールを狙う。


「風上を譲ってあげようか?」

「うるせぇ! 欲しけりゃ勝手に行く!」


 色のない景色は凹凸も曖昧になり、さらにぬかるんだ場所に足を突っ込めば足を取られる。足元のコンディションの悪さはレンドールに不利だけれど、エラリオの力を削るにはありがたい。

 エラリオの踏む確実な足場を覚えてから、レンドールは反撃に出る。エラリオの意表を突けた時、薄く皮膚を裂いた時、エラリオの口許が緩むのをレンドールは複雑な気分で見た。

 楽しい、のだろうか。それとも自虐的なものだろうか。

 確認するのも怖い気がして、レンドールはそのたび奥歯を噛み締める。

 お互い肩で息をするまで剣を合わせて、どちらからともなく転がった。


「ああ、くそ。くそったれ! やんできたじゃねーか!」


 いつの間にか空が明るくなり、風は強いものの降る雪の量は減っている。

 終わりを察知してエストもやってきた。転がる二人のケガを確認して処置していく。


「……試してもいいって」


 唐突にレンドールが言ったことを、エラリオもエストも何のことだか解らなかった。


「黒化治すの」


 空を見たまま、レンドールは告げる。


「……いつの間に」

「本当に? レンはそれを信じるの?」


 レンドールはしばし黙った。


「……正直、わかんねぇ。でも、あいつもエラリオに「会ってみたい」って言ったし、その言葉には悪意はなかった。今のままよりはって俺は思う」

「……そう。でも、レン。もし彼が俺の目を取り出そうとしたら」

「させねぇ。なんなら俺がその目を押さえておく」


 大真面目なレンドールに、エラリオは思わず笑った。

 そんなことをしても、彼には妨害にもならないだろうと感じている。それでもなんだか胸の奥が温かくなって、それでいいかという気になった。奪われた瞳をレンドールなら死ぬ気で取り返してくれる。そう信じられた。


「わかった。いいよ。どうするって?」

「エラリオ……」


 不安そうなエストは、どちらを選んでも同じような顔をするのだろう。


「万が一も考えて場所も用意するって。あと、強い薬を飲んでもらう」

「そう」


 頷いてエラリオは起き上がった。


「俺はしばらく最北の渓谷沿いにいる。細かいこと決まったら知らせて」


 森や山から離れた荒れた渓谷沿いには生き物は少ない。しばらく滞在しても問題ないとの判断だった。


「レン! 勝手に決めないで。私にもちゃんと」

「わかってる。今度はちゃんと教えるから……エストがエラリオに知らせればいいだろ……」


 レンドールも起き上がって、気まずそうにエストから視線を逸らした。

 その態度がなんだか面白くなくて、エストはレンドールの腕の傷に乱暴に薬を擦り込む。


「いてっ! なんだよ……教えるって言ってるだろ!」


 不機嫌顔のまま黙って細かい傷にまで薬を塗るエストの様子を見て、エラリオはそっと微笑んだ。




 ラーロに指定されたのは、国の北西、エラリオがボートで逃げたムエーレの町から西の、三方を山々に囲まれた地域だった。谷底のようなわずかに広がる平らな場所に集落の跡地がある。放棄されて久しいのか、緑に飲み込まれかけていた。

 ぽつぽつと残る廃墟の中で、比較的まともに家の形が残っているものが集落の東側にあった。「中は綺麗にしておきましたから」と伝え聞いた通り、崩れ落ちそうなドアを開けるとスッキリとしたシンプルな部屋になっていた。虫どころか小動物まで入り込めそうな隙間は、中からは見えない。


 指定の日より数日早くその家に着いたエラリオは、部屋の中を丹念に調べてみた。古びても風化してもいないベッドに、貼り換えたばかりのような壁紙。不自然ではあるけれど、怪しいところは何一つなかった。

 クローゼットにはいくつかの着替えがあり、奥の扉は浴室のようだった。

 よう、というのは浴槽がないのでエラリオが判断に迷ったせいだ。


(長いホースの先に小さな穴がたくさん開いてるスプーン上の頭……)


 ヘッドを掴んでフックから外し、ハンドルを倒す。

 仕組みがどうなっているのか、きちんとお湯が出た。

 自分がどうして使い方に迷わないのか不思議でもあったけれど、それよりもそれを見越して設置されていることの方がエラリオは気持ち悪かった。


(早めに来ることも見越されてた?)


 レンドールはエラリオたちが『外』にいたことを知っているけれど、そこでどう暮らしていたかはわかるはずもない。これから身を委ねようという相手はやはりただ者ではないのだと、エラリオは気持ちを引き締めるのだった。


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