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白の神、黒の魔物  作者: ながる
瞳の章

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103/120

7-12 絶望と希望の挟間

 エラリオは完全に目を閉じていた。

 黒の瞳でも()()()()()ように。エストに見せないためでもあったけれど、自分が揺れてしまわないようにというところが大きかった。

 エラリオの覚悟をレンドールは無駄にしないと解っている。

 ここまで彼らに黒化を気付かれなかったのは、あるいは彼らも気付きたくなかったからかもしれない。


(もった方、だよな)


 自分が自分として最後までいられたのだから、これでいいはず。

 右の手の指二本はまだ変色していないから、レンドールは母に届けてくれるだろう。

 エラリオはそんな風に自分の終わりを待っていた。

 レンドールが立ち位置を変え、雪がぎゅっと軋むような音を立てる。


 レンドールの握る剣が風を切る音と同時にエラリオの意識は途切れるはずだった。

 だが、風切り音とほぼ同時に聞こえたのは、打楽器でも打ち付けたような少しこもった音階と、固いものが砕け散る音。

 何が起こったのかとエラリオが顔を上げれば、呆然と佇むレンドールが見えた。

 両膝をついていたはずがレンドールから少し離れ、いつでも飛びかかれるかのように片膝に。右手には氷の塊を握りしめていた。


「……え……」


 困惑しかない。

 エラリオは視ていなかった。何が起こったのか、知るのはレンドールだけだ。

 右手の中の氷を手放し、エラリオはレンドールを見上げる。


「なに、が?」


 口にしてから、恐怖がエラリオの中を駆け抜けた。

 自分の行動を()()()()()()なんて。


「氷の……剣が」

「氷の?」


 先ほど手放した塊をエラリオは見下ろす。

 そのエラリオの様子にレンドールも異変を察知した。それ以上言葉を交わす前に間合いを詰める。下から振り上げた剣は、エラリオの手の中に再び現れた氷の剣に阻まれた。今度は砕けることなくレンドールの剣を押し留めている。


「……なんだよ。やっぱり、死にたくねーんだろ」


 口角の上がるレンドールに対して、エラリオは青褪めた。


「違う……いや、本当はそうかもしれないけど……でも、これは……」


 じわじわと嫌な予感がエラリオの中に湧いてくる。

 エストが様子を見にこちらに近づいているのを見て、エラリオは氷の剣を投げ捨てて身を(ひるがえ)した。


「えっ……エラリオ?」


 レンドールの声を置き去りに、エラリオは走った。

 レンドールもエストも追いかけてくるが、追いつかれるわけにはいかなかった。

 まだ自分の足が自分の望む方に動かせていることを幸運に思いながら、真直ぐに渓谷を目指す。


(あなたに返すから……どうか……!)


 何かに祈るように、エラリオは心の内で叫ぶ。

 あなた《》が誰なのか、もちろん思い出したわけではない。

 森を抜け、少しでも谷に突き出している部分を探し、エラリオは必死に追ってくるレンドールとの距離を計算する。一戦やりあった後でも、何かに集中したレンドールの動きは侮れない。

 もう一度残されるレンドールの顔を見るのは胸が痛んだけれど、痛む胸が残っているうちでなければとも思う。


 先細る乾いた地面を蹴りながら、エラリオは迫る谷だけに意識を向けた。

 ためらわずに、まだその先があるように、エラリオは軽やかに谷に踏み出していく。


「エラリオ!!」


 悲痛ともいえるレンドールの声に、エラリオは振り向いて、伸ばされた手から逃げるように腕を引いた。

 まだ後ろから走ってくるエストもエラリオの名を呼んでいる。

 微笑んで、「ごめん」と動かそうとしたエラリオの唇はそのまま強張って固まった。

 いつまでも身体が落ちない。

 視線の高さは固定されたまま、エストが駆けてくるのを見守れてしまう。

 一瞬呆けたレンドールの顔が、緊張を取り戻してエラリオに手を伸ばしてくる。


「来いよ」


 エラリオは嫌だと首を振りたかった。

 そのまま谷の底へ落ちていきたかった。

 でもそれは、エストも望んでくれないのだろう。

 エラリオの意志とは関係なく、エラリオの身体はゆっくりとレンドールの方へ近づいた。

 レンドールの指先がエラリオの腕を捕らえ、力強く引き寄せる。

 レンドールがエラリオをしっかりと抱きとめたところで、エラリオに重力が戻ってきた。

 緊張がほどけて、レンドールはエラリオを抱えたままへたり込む。


「……どうして」


 涙に震える声に、レンドールはその背を軽く叩いた。


「お前には悪いけどさ、俺、やっぱまだお前にいてほしいわ」

「……なに、のんきなことを!! し……死なせてもらえないんだぞ。そのうち、俺の意志とは違うことを、やり始めて……」

「まあ、つまり、俺以外の奴にも簡単にやられねぇってことだろ。お前のやりたくなさそうなことは、俺が止めてやるから」


 エラリオは大きく頭を振る。


「そばにいちゃダメだ。こんな……」

「じゃあ、エストを連れて行けよ」


 そっと見守っていたエストが、近づいてきてエラリオの背に手をかけた。

 ややしばらく黙り込んで、エラリオは何度か呼吸を整えた。


「いや。エストもせっかく人の中に基盤を築けたんだ。ふいにはさせない……何かあったら知らせるから……」


 ぐいと包帯で隠された目元をこすって顔を上げたエラリオに、レンドールはニッと笑う。


「やっぱ、お前、すげーわ」

「レン、遠慮はいらない。少しでもおかしいと感じたら、いつでも」

「任せとけ」


 軽く請け負うレンドールにエラリオは苦笑する。

 けれど、エラリオの覚悟にレンドールは一度応えてくれている。こちらの意志では負けてやれなくなっても、どうにかしてくれるかもしれないとエラリオに思わせる。

 差し出されたこぶしに、エラリオはおずおずと自分のこぶしをぶつけた。


「俺の判断が甘かった。もっと早くに覚悟を決めていれば……」

「……あのさ、エラリオが会いたくねぇっていう『(ツカサ)』、黒化を元に戻せるんだよな。なんつーか、黒い力を吸い出すっていうか……」

「そうなの?」


 エラリオより、エストの方が興味を持って身を乗り出してくる。


魔化獣(まかじゅう)とか、巫女とかは取り除いちまうとなんかダメらしいんだけど、今の状態のお前なら、もしかして……」


 期待の眼差しを向けるエストに小さくため息をついて、エラリオは首を振った。


「……やめといた方がいいと思う」


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