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戴冠式、その後の祝賀晩餐会、舞踏会…と、その日が近づくほどに城内は準備で大忙しだった。
既に貴族の謁見依頼は増え、祝いの品も多く届いていた。令嬢を伴っている人が多いのは、まだ独身の皇子達を意識した売込みもあるのだろう。夜会当日もアビントン辺境伯のパーティ以上に張り切る令嬢達が何層にもなって周囲を取り囲むことになるのは間違いない。予約がついていようといつ覆るかなどわからないのだから。
他国の国民であるエリザベスには一連の行事に参加する予定はなかった。フロランからもエルヴィーノからも要請がなかったので婚約者だろうと夜会の準備は不要なのだろう。部屋で留守番をするのが妥当だ。
城の中をうろついていると、それなりにエリザベスのことを知る者もいるらしく、どこぞの令嬢に通りすがりに何の挨拶もなくちらりと視線を投げかけ、
”…あれなら楽勝ね”
と鼻で笑われた。見た目だけなら令嬢と言うより護衛。着飾ったところで大差はない。昔ほど卑屈ではないが自分のセンスにも自信はない。令嬢枠での戦いなら相手の不戦勝だろう。
どこの国もさほど変わらない。いよいよああいうのが増えて来るのかと思うと、最初に思い付いた言葉は”めんどい”だった。
戴冠式を二日後に控えた日、エリザベスの元に皇后から呼び出しがかかった。
呼び出されたのはエリザベス一人だけ。メイが準備を手伝ってくれなければ、仮病を理由にして辞退するところだった。そのまま付き添いの侍女として同行してくれて幾分か緊張は緩まったが、計り知れぬ語学の壁をどうすればいいか、エリザベスは悩んでいた。
しかし話してみれば、それは杞憂だった。
「急な呼び出しに応じてくれてありがとう」
話しかけられたのはルージニア語だった。ローディア出身の皇后の母国語はルージニア語だ。二人だけで話すので、気を効かせてくれたのだろう。
「恐れ多いことにございます。ご尊顔を拝する栄誉をいただき、大変嬉しく思います」
今回は無事まともな挨拶ができ、エリザベスはほっと息をついた。
フォーマルなドレスは一着しかなく前回と同じ物だが、皇后はそれを指摘するような無粋さはなかった。
許可を得て席に着くとお茶が運ばれてきた。薫り高いいいお茶だ。
「今回呼び出したのは、他でもないフロレンシオのことです」
フロランの名が出た時点で、何を言われるかは想像がついた。
「…私はあの子の母親に借りがあるのです。側妃の一人の企みで、国宝の宝石を盗んだ嫌疑をかけられた時、あの子の母親が罪を被り、難を逃れました。向こうも皇城を出たいという思惑があってのことでしたが、罪人扱いされて離宮に追いやられ、陛下の寵愛を失うことになりました。母親が亡くなるとさらに待遇は悪くなり、フロレンシオはずいぶん苦労したと聞いています」
かつてブリジットから、フロランの母親は事件に巻き込まれて離宮に追いやられたと聞いていた。その事件には皇后も絡んでいたのだ。
「我が子エルヴィーノの命の恩人でもあるフロレンシオを死んだことにして匿ったのは、皇族から抜けたいあの子の希望でもありました。ですが、…私はあの子の母親代わりとして、あの子には光ある場所で生きるべきだと考えています」
皇后にとっての「光ある場所」、それは…
「今は宰相補佐としてこの国の仕事をこなしてくれています。ゆくゆくは宰相としてエルヴィーノを支える存在になってもらいたい。そのためには有力な後ろ盾が必要です。…わかりますね?」
エリザベスは皇后の話を聞き、がっかりした。それ以上に腹が立ってきた。
母親代わり?
母親代わりになる気があったなら、フロランの母親を恩人と思うなら、フロランの母親が離宮に行った時点で援助できたはずだ。フロランの留学にだって支援できたはず。
フロレンシオの死を自ら偽装し、皇位継承者を消し去るのは即時だった。大怪我を負っていたフロランの意向を聞いているかなどわからない。そのくせエルヴィーノがフロランを気に入り、政治に役立つと気付けば、フロランを国政に利用し、貴族と縁を持たせようとしている。自分が殺しておきながら。
母親代わりなどととんでもない。聞こえのいい言葉でごまかしているだけ。この人が本当にフロランのことを考えているとは思えない。
だけど、怒りを見せてはいけない。相手は皇帝になる人。この国の一番の権力者だ。
「フロランは、宰相になりたいんですか?」
エリザベスの質問に、皇后は即答した。
「当然です。誰だって国を動かす中心となりたいと願うものです」
「本人に聞かれましたか?」
「聞くまでもありません。こんなチャンスを逃すような愚か者がいるものですか」
皇后はフロランのためと言いながら、フロランの意見を聞きもしない。あくまで私見。自分の考えを絶対的なものだと決めつけ押し通す、王侯貴族の考え方そのものだ。
「あなたがフロランを思うなら、国にお帰りなさい」
フロランを思う? はっ。フロランのことを一番考えていない人に何がわかる。
エリザベスは歯をくいしばって耐えた。
誰もが自分の命令を聞くのが当たり前の人生を送って来た人だ。他国の弱小貴族の令嬢なら一国の皇后の命令は聞いて当然という顔をしている。
「あなたには手切れ金として金貨百枚を渡しましょう」
手切れ金…。切られるのか、何の関係もない赤の他人に。まだ約束は一年近くあるのに…。
エリザベスはゆっくりと深呼吸した後、にっこりと笑って
「勝負しませんか?」
ともちかけた。はいかいいえの答えしか想定していなかった皇后は不思議そうな顔でエリザベスを見た。
「私とフロランは、結婚まであと一年待つことになっています。どのみち私以外の人がお相手に決まったところで、貴族であれば結婚の準備には一年はかかることでしょう。一年後、陛下がおっしゃる道をフロランが選んだなら、金貨十枚を手切れ金でいただければ、ごねることなくきっぱりとフロランのことを諦めます。ですが一年後にフロランが私を選んだら、フロランはいただきます」
エリザベスの提案に、皇后はクッと笑った。
エリザベスの提案など、何の意味もないと思っているのだろう。
貴族の結婚に恋や愛を語るなどナンセンス。一時の恋など、華やかな未来の前では何の意味もない。それが皇族、貴族の生き方。そう思ってなければ、あんな何人も側妃を作るような皇帝と共に暮らせるわけがない。
勝ち目はあるかと言われれば、別に勝算があるわけではなかった。だけどこれだけは譲れなかった。
「ただし、選ぶのは陛下ではなく、フロラン自身で、お願いします。陛下にもご意向があることでしょうが、回答を強要することのないよう、あくまでフロラン自身が選んだ道を親代わりとして見届けていただきますようお願いします」
エリザベスの念押しに、皇后は眉をピクリと動かしたが、
「…いいでしょう」
と答えた。しかし、それだけでは終わらなかった。
「この勝負を受けるに当たり、おまえの皇城への滞在許可を取り消します。まだ結婚もしていないおまえがフロレンシオと同じ部屋で暮らすことは風紀を乱すもの。他の令嬢に対しても公平とは言えないでしょう。戴冠式の日から三日後までに立ち退くよう」
そうきたか。
一見公平そうな理屈を語りながら、城の中にしか知り合いのいないエリザベスを城外に放り出し、フロランから引き離す。自分の思うままに動かしたい皇后の狙いが如実に出ていた。「あなた」が「おまえ」に変わったのも意図的だろう。もう客ではないのだ。今すぐ出て行けと言われなかっただけましだと思わなければいけない。
「承知しました。今の内容を書面にて頂きたく」
「…口約束では不充分だと申すのですか?」
脅すように睨まれたが、エリザベスは笑顔で返した。
「ローディアご出身の陛下なら当たり前の要求であることはおわかりだと思いますが。帝国は国家間の約束さえも反故にしていましたので、余計不安で…。これからは陛下が国際的な標準を広めてくださると期待しております」
「……」
「本当にこの約束を果たすお気持ちがありましたら。…紙一枚でここから追い出せるのでしたら、安いものではありませんか?」
皇后は扇で近くにいた侍従を指した。
”…手配せよ”
”はっ”
すぐに侍従は書記官を呼んだ。
どこまで効力があるかはわからないが、一応こんな約束をしたという証拠はもらった。もっとも皇后がフロランの言動を操らないと思うほど信用してはいないが。
エリザベスは席を立ち、深々と頭を下げて部屋を出た。
新皇帝の命令ならば仕方がない。
絶望という気持ちはなかった。むしろ、ようやく城から出られる。城を出る大義名分をもらえたことにほっとしている自分がいた。最強で最悪の言い訳だ。
エリザベスはこの人を皇帝に推薦したのは誤りだったかも、と思ったが、二日後には皇帝になる人だ。
国益を優先するのはしかたないとしても、約束を次々と反故にしていった先の皇帝と同じ道を歩まないことを願うしかない。




