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フロランが用意したのは女性が入城する際のしきたりに添ったドレスで、夜会で着るような華やかなものではなかったが、エリザベスが人生で袖を通すことのなかった類いの服だ。
メイが手伝いに来てくれて、何とか支度を調えることができた。長さの足りない髪は編み込みでごまかしてくれた。令嬢の短い髪は何かの罰を受けていると思われることもある。剣士の恰好でいられたなら髪の長短など問われることはないのだが。
剣を持っておきたいと言ったが、当然不可だった。護衛の仕事はあくまで城外の話。城内ではエリザベスは来たばかりのよそ者で、帯剣を許されようはずがない。剣は布を巻いて荷物と一緒に預け、ダガーはフロランに預かってもらった。
城から迎えに来た馬車は、あのフォスタリアでお土産の箱になった馬車に匹敵する豪華さだった。
エレナの護衛という立ち位置での入城でいいはずだ。
顔をこわばらせ、借りてきた猫のように大人しくなっているエリザベスに、レイフやメイも心配そうな顔をしていた。
”着いたらすぐに陛下との謁見がある”
エルヴィーノに馬車の中でいきなりそう言われ、エリザベスは危うく息をするのを忘れそうになった。
”へ、…へ、いか?"
今陛下と言えば皇后陛下のことだろう。自国の王にさえ会ったことがないというのに、初入国、初登城にしていきなり帝国のトップに会うことになろうとは。
緊張して固まってしまったエリザベスに、フロランはちょっと苦笑い気味の曖昧な笑顔を見せた。
「エルヴィーノ助けたお礼、言いたい、おしゃられた」
急にそんなことをおしゃられても…。もはや小さな間違いを修正する気も起こらない。
皇后陛下はエルヴィーノの母だ。母として一言礼を言いたいという気持ちはわからなくもない。しかし相手が大物過ぎる。
”初めの挨拶、『初めまして、私はエリザベス・シーモアいいます』?『なかようしてね』?”
エリザベスの挨拶例に、その場にいた全員が頭を抱えた。
"イングレイ語で「麗しきご尊顔を拝せますことを光栄に存じます」って、どう言うん?"
”「ウル、ウル…?、ゴソンガン」…?"
聞いてはみたが、フロランの語彙にない言葉のようだ。皇族なら言う機会は少なく、言われる方だろう。じれったそうにエルヴィーノが口を挟んだ。
”『お目にかかる栄誉を賜り、光栄至極でございます』、でいけ!"
”オメニカカ、・・・・オメニカカエマシタ エエヨウ? タマワリ? コウエンジゴクデ ゴザイマス??”
フロランに直してもらいながら何度か口ずさんだが、あっという間に皇城に着き、練習時間は終了してしまった。せめて前日には教えてほしかったと思うものの、聞いていたらきっと眠れぬ夜を過ごしていただろう。
”おまえは名前だけ名乗って、後はハイと言っておけばいい"
エルヴィーノからの最終的はアドバイスはそれだけだった。それで済むならいいが…
謁見の間の扉が開き、エルヴィーノを先頭にフロラン、エリザベスの三人が入室すると、扉が閉じられた。重厚な音にこのまま閉じ込められてしまうのではないかと恐くなった。
エルヴィーノが前に進み、フロランはエルヴィーノより数歩後方で片膝をついて控えた。エリザベスはフロランの隣でドレスをつまみ上げ、腰をかがめ、俯いた状態で待機した。
”ただいま戻りました”
エルヴィーノが皇后に挨拶をすると、皇后は席についたまま
”よくぞ無事に戻りました”
とエルヴィーノにねぎらいの言葉をかけた。声から推測するには息子の無事な帰還を喜ぶ母といったところだが、ご尊顔を拝謁することはまだ許されていない。
”伯父上にも大変お世話になり、母上によろしく伝えるよう言付かっております。お預かりした土産物は後ほどお届けいたします”
”ローディアから借りていた馬車をフォスタリアに残してきたと聞きましたが?”
”反帝国組織の連行に用いました故、土産物の箱として提供したまで。攻撃を受け、下賤な者の血がついているものをお返ししても失礼かと存じましたので”
和やかに物騒な話が続いた後、
”して、その令嬢があなたの恩人ですか?"
と話題が振られ、視線がエリザベスに向いたのを感じた。
”ルージニア入国に力を貸してくれた者です。…陛下にご挨拶を”
ぷるぷると震えそうな腰に力を入れ直し、もう一段階深く礼をした。
”お目にかかえ、ええよを玉割り、公園地獄でございます。ルージニア王国より参りました、エリザベス・シーモアと申します”
若干惜しいところはあるが、皇后は一笑で済ませてくれた。
”顔をお上げなさい”
目に映った皇后は、優しげには見えなかったが恐くはなく、それでいて圧を感じる。知的で品があり、いかにも皇族といった感じだ。エルヴィーノと同じ銀色の髪を持ち、髪以外もエルヴィーノは母親似のようだ。
”此度はエルヴィーノが世話になりました。礼を申します”
再度頭を下げ、貴人からの礼を受けた。これで自分の役割は終わったものと思い、エリザベスは小さく安堵の息をついた。が、
”そなたはこの国には永住するつもりで参ったのですか?”
まさか話を振られるとは思わず、さてみんなが笑うエリザベスのイングレイ語で答えていいものやら悩んみ、瞬発的にエリザベスは書き言葉をそのまま音にしてみることを選んだ。
”試行的に滞在のうえ検討を進めるものとする、…です”
最後、丁寧っぽくごまかしたつもりだが、何となく場の空気からうまくいかなかったと察した。見かねたフロランが小さく手を上げた。
”発言をお許しいただきたく”
”許しましょう”
”ここにいるエリザベス・シーモア嬢はルージニアのシーモア子爵家の令嬢にして、私の留学時代の学友でもありました。その縁で今回国境を越える際に力を借りることができました。このたびルージニアにてエリザベス嬢と婚約を結びましたので連れて参った次第です”
”…婚約?”
皇后の声が変わったのを感じ、エリザベスの緊張は増した。やはり歓迎されないのだろうか。
”この国で暮らすなら、後ろ盾を得ねば何かと不利となりましょうに…”
”もとより承知の上でございます。事後になりましたがご報告させていただきます”
少し長い沈黙があり、静けさが耳についたが、
”異論はありません”
返ってきた答えは好意的とは言えなかったが、反対するものでもなかった。ひとまずは安心したが、まだ気を抜くわけにはいかない。
”そなたの使っていた離宮は此度の内戦で盗賊の侵入を受け、損傷がひどく、修繕に時間がかかっています。住むところが見つかるまで、この城での滞在を許しましょう”
”あ、あり…”
”ありがとうございます”
言い淀むエリザベスの代わりにフロランが返答すると、謁見は終了し、皇后は席を立った。




