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ずいぶん遅い時間になったが、エリザベスはイングレイ帝国一行が滞在する辺境伯家の別館に足を向けた。ここは第一隊とローディアからの騎士が護衛を担当していたが、エリザベスを見てローディアの護衛がすぐに中に案内してくれた。この前手紙を仲介してくれた人だ。
奥まった部屋に案内され、護衛がノックしなかったので自らノックした。万が一にも部屋を間違っていてはいけないので、
「エリザベス・シーモアです」
と名乗ると、
「どうぞ」
とフロランの声が返ってきた。
安心してドアを開けると、そこにいたのはフロランだけではなかった。
エリザベスの父、シーモア子爵と四人の兄が皆揃っている。年末でもなかなか全員揃わず、最近はその原因はエリザベスにあった。
どういう訳か机の上にはごちそうが並んでいて、父も兄も先に一杯やっている。フロランもだ。
「ど…どゆこと?」
「エリザベス、婚約おめでとう!」
沸き起こる拍手、こんな時間なのに指笛まで鳴らしている。しかしそれ以上に「婚約」の言葉にエリザベスは呆然となった。
「イングレイに行っちまうのかぁ…。寂しくなるなあ」
「ほらほら、おまえも飲め。こんないい酒は滅多に飲めないぞ」
兄に手を引かれて座ったのはフロランの隣だった。大きめのグラスが机に置かれ、自分の家のものでもないのに遠慮なく酒が注がれた。
「ほらほら、見て、これ」
フロランが見せてくれたのは、父シーモア子爵とフロラン・バルレイ(フロレンシア・バルレイ・イングレイ)と括弧入りの名前まで併記された婚約証書だった。
「あと一年ちょっと、いる場所作る、頑張る。でも令嬢恐い。貴族ずるい。王様もっとダメダメ。正式予約大事ね」
自分の婚約が知らない間に交わされ、婚約祝いが自分抜きで始まっているとは…。
「以前から殿下、…バルレイ殿と会う約束をしていてね。晩餐会でウィスティアに行くことが決まっていたからその時に会うことにしていたんだが、参加者があふれてると聞き、欠席に応じたんだ。そうしたらこの御仁まで欠席して宿に逃げ込んできてね」
「…フロラン、晩餐会、出なかったの?」
「はい」
フロランはにこやかな笑みを浮かべていた。酔ってほんのり赤くなった頬は、いつもより上機嫌に見える。
「話はかどり、父様、婚約OK言いました。エリザベス、イングレイOKしたら、これもらいました。兄様達、すぐ来てくれました。近くていいね、シーモア領」
「これ」…。もらった「これ」が婚約証書。そんな、あめ玉でももらったみたいに。
「エリザベスがイヤだって言ったら、残念会して領に連れて帰るつもりだったんだけどなぁ」
「もうちょっと平和になったら帝国遊びに行くからよ、それまで仲良くしてろよ?」
「こいつは頑固で、言い出したら聞かないところがあるけど、何事にも一所懸命なところが俺達の自慢なんだ。大事にしてやってくれ」
何だか話し合いをする余地もなく、全てがまとまった後で酒だけ飲みに来た状況だ。
状況を把握したとたん、エリザベスはだああああっと滝のように涙を流した。
「父さん…。兄さん…。…ごめんなさい」
それを笑って頭をなで、肘で小突き、どんどん酒を注いでいく。その輪の中に自然とフロランも入っていた。
王が禁じたのが婿入りなら、領民として受け入れればいい。名前を変えて片田舎に紛れれば、きっと誰もフロランが皇子だとわからなかった。シーモア領の領民ならきっと受け入れてくれたのに。
エリザベスはずっとそう考えていた。
だけど父は領主として領民を守った。万が一にも帝国の一派が領に押し寄せ、領民達に手を出すことがないように、隙を見せないように。
貴族として守るべきものは家族や領民。あの時ブリジットが言ったことは間違えてはいなかった。それをエリザベスが受け入れたくなかっただけ。自分の罪悪感を父に転嫁していただけだ。そのために家からも遠のいて、父や兄たちに背を向けて…
エリザベスは泣き上戸かと思われるくらい泣きながらも空になったグラスを差し出し、兄弟は遠慮なく注ぎ足した。兄弟そろって酒豪ぶりを披露し、用意していた酒はどんどんなくなっていった。
はっきりと国王からとは言われなかったが、それをほのめかせながら娘にフロランとの関係を清算させるよう、シーモア子爵は何度か圧力をかけられていた。
家元を離れて数年、自力で稼ぐ娘に今更親の言葉など届くはずもないと笑ってかわしていたが、娘に危害が及ぶのは何としても避けたいと思っていた。
アビントン辺境騎士団はかつてほど統制されておらず、娘が苦労しているのも知っていたが、エリザベスに戻る気はなく、声をかけるほどにかえって頑なにさせてしまった。今の辺境騎士団なら団員であるエリザベスを守るどころか先陣を切って裏切る可能性もある。このままにしていいのか、無理に連れ帰った方がいいのか迷っていた。
そこへフロレン・バルリエの名でエリザベスとの婚約を打診され、イングレイ帝国へ連れて行く予定であることを告げられた。
学生時代にエリザベスがチューターをしていた相手。エリザベスは面食いだったんだなあというのが最初の印象だ。柔らかな印象を与えながらも芯の強さが見られた。この男のせいでエリザベスは頑なになり、家を離れてしまった。しかし恨む気持ちは起きなかった。
許可をもらえなくてもエリザベスが行くと言えば連れていく。そう言いながらも親に話を通そうとする義理堅さに、シーモア子爵はエリザベスの意思確認を条件に婚約を受け入れた。話がまとまれば急ぎ兄達もウィスティアに呼んだ。実に軽快に動く。本気でエリザベスをこの国から連れ出し、自分のものにするつもりなのだ。
一人娘を遠い異国にやることになるとは。イングレイ帝国はまだまだ政情が安定せず不安は残るが、この国に無理に留めたところで幸せを保証することはできない。自分の望む幸せを押しつけたところで何になるだろう。
かつてのように家族が集まり、ただ賑やかに過ごす。そんな普通な時間を戻してもらえた。
シーモア子爵はフロランに感謝し、エリザベスをフロランに託す覚悟を決めた。




