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ブリジット・レポート  作者: 河辺 螢
第四章 アビントン編 復路
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4-6

 エリザベスがいなくなった部屋で、ヘンドリックは椅子に背をつけ、大きく息を吐いた。

「まあ、一人で助けに行くほど惚れた相手の国だからな…。あの場で誘いをかけるとは…」



 一年前、同盟国ローディアが帝国の皇子の保護を求めた件について、ルージニアの王はエルヴィーノ皇子が国内に入れば手を貸してやれ、他国にいる間は手出し無用とアビントンに指示していた。国を追われるように逃げてきた皇子に価値を見出せず、他国にいる間はその国の責任。ルージニアは関与しないと決めたのだ。


 アビントンはフォスタリアとの関係も考慮しながら、どう対応するかは保留にしていた。

 もし皇子に何かあり、ルージニアにも責任を問われた場合、王は責任を逃れるためアビントンの対応の遅さを追求してくることは目に見えていた。しかし王の命がある以上おおっぴらな活動はできず、フォスタリアにも協力を要請できない。事実上無策のまま皇子から要請が来るのを待っていた。

 アビントンには手紙は届かなかった。王への手紙は「知らぬ」と言われている。他に手紙を受け取った者はいなくはなかったが、警戒して無視を決め、どこにも連絡を取らなかった。


 皇子は無事にルージニアにたどり着いた。それがルージニア王国の意思ではなく、アビントンの功績でもない、一個人の行動だったことを対外的に伏せておくため、もうしばらくの間エリザベスを騎士団に取り込んでおきたかった。友好国ローディアからの依頼に対し逃げ腰だった事を知られれば、今後の関係にも影響するだろう。

 エリザベスが私的に動いたことを皇子は知っている。帝国がこの国にも謝意を示したのは、大人な対応でルージニアを立てただけだ。その上で、何の評価もされなかったエリザベスに帝国が褒賞を与えた。本来ならルージニア、あるいはアビントンがすべきことだ。借りを作ってしまっていることを王は理解しているのだろうか。



 エリザベスの入団時に何があったのか、シリルは何か引っかかり、記憶をたどるうちにいつかの入団式当日に小さな事件があったことを思い出した。


 入団式の途中でありながら、侍従長が慌てた様子でヘンドリックに耳打ちした。ヘンドリックは即座にその場を離れ、残りの新入団員に団章を渡しておくよう言われたシリルは気の利いた言葉も思い浮かばず、持っていた団章を残りの者にただ配った。残りは数名、ものの数秒で渡し終え、式典は終了した。

 その後、辺境伯から直接団章を受けなかった者達が仲間から揶揄されていたことなど知る由もない。


 緊急事態を危惧したシリルは式が終わると即座にヘンドリックを追った。

 ヘンドリックは息子レリックが階段から足を滑らせたという一報を受けてかけつけたが、落ちたのはほんの三段ほど、軽く額にこぶができた程度の怪我で済んでいた。

 レリックは嫡子であり一人息子だ。何事もなく良かったとヘンドリックも夫人も笑っていた。シリルもまたその程度で済んで良かったと胸をなで下ろした。


 辺境伯家の安泰は辺境伯騎士団の最重要事項だ。夫婦仲はよく、家令達も忠実。高名な先代からの代替わりに不安の声もあったが、無事に引き継ぎを終え、全ては順調。屋敷の者も辺境騎士団幹部も誰もがそう思っている。



 エリザベスがいなくなり、シリルは友人でもあるヘンドリックに気安い口調で話しかけた。

「数年前の入団式の日に、レリックが階段から落ちたのを覚えているか?」

「ああ、そんなこともあったな」

「…彼女は、あの時におまえから団章をもらえなかった一人のようだ」

 レリックはエリザベスのあの行動がそこに起因することをヘンドリックに伝えたかったのだが、ヘンドリックはピンとこなかったようだ。

「俺が渡さなかった? そんなことあったか? あったとしても、おまえが渡しただろう?」

「…ああ」

 ヘンドリックはまるで気にしていない。そのことにシリルは一抹の不安を覚えた。


 シリルは自分が団章を受けた日のことを思い出していた。

 ()()憧れの辺境伯から団章を手渡され、言葉を受け、握手と誓いの言葉を交わす。たったそれだけのことだが、あの時の高揚感は今でも覚えている。毎年十人、二十人と団員を受け入れている辺境伯からすれば個々の団員の事など覚えていなくとも、受ける側には生涯忘れられない儀式だ。


 近年退団者が多く、その補充もあって入団者は多いが年々質は下がっている。だがそれは入団希望者側の問題だけだろうか。

 招待状やドレスが届かなかった件もきちんと調べ、団の規律を正す必要がある。団員が互いに協力し、信頼しあえるようでなければ、有事に綻びが生じる。何かあってからでは遅いのだ。少なくとも部下に「信用できない」と言われるような団であってはならない。


 シリルは前辺境伯と前騎士団長がアビントンを守っていたかつてを思い出し、団長職に就いた誇らしさはありながら、まだ前団長にはほど遠い自分を自覚した。


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