3-11
エルヴィーノとフロランはローディアから迎えが来るまでの一か月、アビントン辺境伯邸に滞在することになった。
エリザベスは残りの休暇を怪我の養生で過ごし、休暇が明けると騎士団に戻って以前と変わることなく仕事をこなしていた。
エリザベスの休暇中のことはあくまで個人的な活動として扱われ、咎めも報償もなかった。
エリザベスが十日間で打診した休暇を班長が二週間OKと言ってくれたにもかかわらず、「周りも配慮しないで強引に長い休みを取った」と同じ班員がぼやいているのを聞いた。確かに十日でも充分長いが…。しかも、その長すぎる休暇はかつて別れた恋人を迎えに行っていたことになっていて、噂が独り歩きしてからかわれることが多くなった。
以前は周囲から一線を引き、時折暗い顔で黙り込み、話しかけにくいところがあったが、冷やかされるとちょっと顔を赤くしながら平静を装おうとするエリザベスに悪からぬ印象を持つ者も増えていた。
それを牽制するように、時々元皇子様が騎士団の訓練場やら街中にふらりと現れては監視の目を緩めない。学生時代のエリザベスとフロランを知る者は二人を邪魔せず温かく見守るよう周囲に声をかけた。再会はほんのわずかの期間でしかないのだ。
ローディア行きの準備は進み、間もなく出発になる。
フロランはエリザベスが非番の日にウィスティアの街巡りをしようと提案した。真面目な顔で
「これはデートの申し込みです。断られるととても悲しくなります」
と教科書のようなルージニア語で言われ、エリザベスは笑って応じることにした。
ウィスティアの楓通りはあの頃と変わらず賑わっていた。所々知らない店があり、エリザベスが服を買いに行ったスペンサー商会はロナウド服店に名前を変えていたが、変わらず女性用の服を売っていた。あの時見たレモン色のスカートは当然ながらもうない。
エリザベスは入る気はなかったのだが、フロランはエリザベスの手を引いて店の中へ入った。
店内は以前の店の面影はなく落ち着いた雰囲気になり、もちろんあの時の店員はいない。洗練された女性スタッフは笑顔で応答し、フロランを見て
「ご用意できています」
と笑顔を向けた。
エリザベスは促されたまま奥に入り、言われるまま用意されていた服に着替えた。
どこで測ったのか、サイズは大きく違わない。しばらく着ていなかったスカートはあの日ショーウィンドウで見かけたレモン色。記憶の中よりわずかに淡い色をしているが、デザインは今着ている方が好みだった。
鏡に映った自分は変じゃない。自分が思い描いていたイメージと同じだった。
後ろに満足げな笑みを浮かべて見守っているフロランが映っているのに気がつき、エリザベスは振り返った。
「これ…」
「うん、やっぱり似合ってる。昔、エリー見てた服、こんな色だった。出てきたエリー、嫌そう顔してた。きっと違うの買った?」
「…そう、だ、けど…」
どこで見ていたのだろう。
嫌な思い出だったが、おかげでようやくあのお見合いから逃れられた。あの忌々しいピンクのワンピースはあの後すぐにバザーに出し、誰か似合う人の元に渡っているだろう。もしあの時、自分の望んだままレモン色のスカートを選んでいて、それを「まあましだ」とでも認められていたら…。
今でも相手の好みを気にしながら服を選び、文句を言われては陰で愚痴を言う生活を送っていたのだろうか。想像するだけでぞっとした。誰かに認められたいと思う気持ちはあったけれど、世の中にはうまくいかない方が幸せなことだってあるのだ。
エリザベスが着てきた服は袋に入れられ、手渡された。
「お、お代は」
「既にいただいております」
戸惑うエリザベスにフロランは有無を言わさない鉄壁の笑顔を見せた。
「とっても似合ってるよ。じゃ、次ね」
次に言ったのはすぐ近くにある武器屋だ。時折手入れに出しているので、店の主人とは顔見知りだ。
今ならダガーを買うくらいの稼ぎはある。でもあの時は本当にあれが欲しかったのに、自分の自由になる金はほとんどなかった。いいものはすぐに買い手がついてしまう。今でも自分の手元にあり続けることが、それを贈ってくれた人と再びこうしていられることが何よりも嬉しい。今日は見るだけだったが、気になるものがないかチェックは怠らなかった。
「あの頃はデートに忙しかった?」
「デート、就職活動ね。女の子、貧乏男嫌い。たくさん奢れないケチ男、モテないよ。アルバイト忙しかった」
皇子様は金持ちとは限らないのだ。
「エリー、アルバイトした?」
「…フロランがいなくなってから、アルバイト始めた。働くって大変だけど、楽しいこともあった。うちの領出身のノヴェルさんがこの近くでお店やってて、今でも時々お手伝いするんだけど、それでフロラン助けに行く時も馬車を貸してくれたの」
「アルバイト、どうして?」
「…苦労知らずでバカな自分を変えたかったから、かな。…あんまり変わらなかったけど」
そのノヴェル商店の前を通りかかった。果物やそのジュース、シロップ漬けの瓶詰め、野菜の酢漬けなどシーモア領の特産品を中心にした商品が並んでいる。フォスタリアで届くのを待っていた物だ。
フロランは絞りたてのジュースを二つと、今ならすぐ手が届く野菜の瓶詰に手を伸ばし、一瓶買った。
すぐ隣の食器店では南国の大きな葉が大胆に描かれた皿が売っていた。エリザベスは皿を指さした。
「あれ、『バルリエ商会』が取り寄せた品物よ」
フロランは自分の名のついた商会名に首をかしげていたが、ピンときたらしい。
「あ、荷物? 一緒、載ってた…」
「オークで仕入れたの。ここのお店のオーナーが気に入って買い取ってくれたんだけど、好評だからオークに追加を買い付けに行く話も出てるんだって。せっかく買った食器が無駄にならなくてよかった。お金も戻って来たし」
「…買った? エリーが?」
「そう。商人っぽくしないといけなかったでしょ? 実はあの箱、シロツメクサをいっぱい詰めてかさ増ししてたから、お皿より草を運んだ方が多かったかも」
フロランか飾られていた皿にもう一度目を向け、まぶしそうに目を細めた。
「…面白いデザイン。とても素敵だ」
エリザベスのセンスは周囲から「悪い」としか言われたことがなく、自分もそうだと思い込んでいた。
自分で選んだものが褒められた。今着ている服だってこんなのを着てみたいとあの時も思っていた。勇気を出して、自分を信じてもよかったのだ。
「あり、がとう」
ずっと欲しかった褒め言葉。言われてみると何だかくすぐったく、照れながら感謝の言葉を口にした。




