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「…でも、もうワタシ皇子じゃないから、妃、無理」
エリザベスはちょっと悲しげに首を傾けたフロランの腕を軽く頭で押した。
“あの時も今も、皇子の妃になる気ないけん”
エリザベスの答えはあの日と同じだったが笑っている。フロランは諦める必要はなかった。
”ただの男の妻なら? もし魂のかたわれが見つかっていないなら、僕はどう?”
“たましい…、かたわれ…? …? …え?”
イングレイ語の「魂のかたわれ」、それは人生を共にする人、伴侶を意味する言葉だ。
「いや、あ、あの、四年も経って、久しぶりで、い、…いきなり結婚とか、夫? い、いないけど、結婚してないけど、と言うか、私なんか相手にするような人いないし…」
どぎまぎしながら言い訳にもならないことを口にすると、フロランはくしゃりと顔を歪ませ、エリザベスを抱き締め、
「よかった。みんな、見る目ないね。じゃ予約!」
予約の証にエリザベスの頬に口づけた。
そのタイミングでいきなり隣の部屋のドアが乱暴に開いた。
“おまえら、うっせーんだよ。男同士で廊下でいちゃついてんじゃねえよ”
イングレイ語で不機嫌そうに文句を言ったのは、輝く銀色の長髪をなびかせる美形でありながら、どう見ても男にしか見えないエルナことエルヴィーノだった。エルヴィーノは杖をつき、左足の膝から下がなかった。長いスカートをはいていた時にはわからなかったが、移動の時にフロランがエルナを抱えていたのは足のせいだったのか。
フロランはエリザベスを抱き締めたまま離そうとはせず、エリザベスを守るようにエルヴィーノに背を向けた。エリザベスはそのままの状態で肩越しに
“う、うるさにして、ごめん”
とすまなさそうに答えると、エルヴィーノはむっとしていた顔を困り顔に変えた。
“…おまえら、…やっばい関係かと思ってたら女だったのかよ。…なんでこいつフィオレとおんなじ訛りあるんだ?? …怒れなくなるだろうが…”
トーンダウンした文句を残し、エルヴィーノはあっさりドアを閉めて部屋に戻っていった。
ふわふわとした思いと共にくらくらとめまいがする。ふらついて倒れそうになり、思わずしがみついた。
寝不足には抗いがたい心地よい温もりに次第に力が抜けていき、そのまま意識を手放していた。
エリザベスは目を覚ますと、見たことのない部屋にいた。
熟睡しすぎたのか、まだ頭の中がぼーっとしている。…いつ寝たのか記憶がない。
頭を軽く振り、手探りで剣をさがしたがどこにあるのかわからない。ダガーもだ。
かすかに音がする方を見ると、ソファの上で誰かが寝ていた。
警戒しながらもベッドを降りソファに近づくと、フロランがいた。夢ではなかった。少し口を開けて少しの警戒心もなく、安らかな寝息を立てている。数日ぶりにゆっくり眠れたのはエリザベスだけでなく、フロランも同じだったようだ。
生きている。
フロランは、生きていた。
声を殺して涙をこぼすエリザベスの気配に、目を開けたフロランはエリザベスの腕を取ってそっと引き寄せ、耳元でつぶやいた。
「…おはよう、エリー」
ぞわわっと広がった、鳥肌のような何か。挨拶されただけなのにドキドキが止まらない。全身が沸騰したかのように熱い。くらら、くらくら…
「よく眠れた?」
「…ば、爆睡…しちゃった」
「ばくし?」
縁起でもない聞き間違いだが、
「死んでないけど、…死んじゃいそう」
くたぁっともたれかかってきたエリザベスがいつになく暖かすぎることに気がつき、フロランはエリザベスの額に手を当てた。熱がある。フロランはエリザベスがいるのが自分の部屋だということも気にせず、遠慮も躊躇もなく人を呼んだ。
すぐに医者が来て、エリザベスは「風邪に、過労、寝不足に怪我」と診断され、それに「知恵熱の疑い」が加わった。その後元いた病室に戻されたが、フロランが自分が運ぶと譲らなかった。
お姫様抱っこで邸内引き回し、それさえも恥ずかしいと思う余裕もなかった。
エリザベスが病院を抜け出して来客の男と一夜を過ごしていたことはあっという間に広まった。
男っ気なく、愛想なく、からかうとすぐに殺気立つ。それが騎士団でのエリザベスの印象だった。にわかに信じない者もいたが、病室を何度も訪れるフロランを見て誰もが驚き、「長い休暇は四年ぶりの恋人に会いに行った」という尾ひれ付きの噂が独り歩きしていた。




