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「エリー、目の下クマさんいっぱい。旅の間寝てない? もうダイジョブ。ここアビントン」
フロランになだめられても、エリザベスは剣を持っていることを再確認するかのように握り直した。
「アビントンだって…、大丈夫かどうかなんてわからない。四年前だって誰もフロランを助けなかった。ルージニアの人は誰も、…アビントンだって、父だって、…私だって」
剣を握る手が震えていた。フロランはゆっくり顔を横に振った。
「ルージニア、フロレンシオ皇子助ける義務ない。皇帝戦うの好き。何でも戦う言い訳、たいぎめーぶんにする。フロレンシオ、帝国でもルージニアでももってあまる? もててあるく? …いたら困る人、しかたない」
フロランは穏やかな顔で口元を緩めていたが、エリザベスは笑うことができなかった。
「せっかく留学に来たのに…。追い返すみたいに…」
「父、死んだ、…しかたない」
「この国があなたの居場所になれたら、あなたは死ぬような目に遭うことはなかったのに…。友達なのに…、友達なのに私はフロランを助けられなかった」
エリザベスの瞳から再び涙がとめどなく流れ出した。涙を拭うこともしないエリザベスの頬にフロランは手を伸ばし、そっと拭った。
「この国、ワタシ思い出す人いない。助けてほしい。でも助けてくれる人いない。あきらめてた。なのに手紙エリーに出した。ワタシ、おかしい」
フロランは自分自身に呆れ、自分自身に怒っていた。どうしてエリザベスに手紙を送ってしまったのか。自分の事情に巻き込むことになるのに。今でもわからない。
「エリー、ワタシ忘れてなかった。通行証、送るじゃない、届けに来た。エリー来て、ワタシ自分怒った。ワタシひどいヤツ。大切なエリー危険にしてる。なのに嬉しい、…胸くるしい、嬉しい…、なのに言えない言葉、『嬉しい』『ありがとう』『会いたかった』」
喜び、後悔、自分への怒り、助かりたい思い、嫉妬…。そんな気持ちがごちゃ混ぜになりながらも、フロランにはエリザベスに運命を委ねるしかなかった。一方的に頼るしか…。
「エリー、ワタシ救ってくれた。今も…、四年前も。国出て、ルージニア来てすぐ婚約ダメ、つらい気持ち、隠してた。でもルージニア嫌いだけじゃない。エリーと楽しい思い出あったから。エリー、ホントのワタシ、ダイジョブだった。意地悪、ずるい、嘘つきワタシ許してくれた。この国、雲覆われた空だった。エリー、雲の間の光。暗い空、こぼれて大地そそぐ、優しい光。ワタシ励ます…。あなたはワタシの光」
真っ直ぐにエリザベスを見つめるフロラン。間近にある顔に心臓が壊れそうなくらい鼓動が激しくなるのに、目を逸らせることはできなかった。
「ワタシ、あの時からエリー好きだった。もう一度会って、やっぱり、エリー好き」
エリザベスにとって生まれて初めて受けた恋の告白だった。嬉しいのに、素直に受け取れない。
この旅の間、フロランはずっと妻に付き添い、懐かしい友人のことなど忘れてしまっていると思っていた。利用されるだけなら、フロランよりそっくりさんに騙されている方がいい。心が揺るがない。きっと偽物。偽物であってほしいとさえ思っていた。
「フロランの好みのタイプは、エルナ様みたいな、…ブリジット様みたいな人でしょ? 高貴でクールな美人で、銀色の長い髪がさらさらで…。だから奥様って言われてすぐ信じたのに」
「ブリジットみたい? ワタシ、ブリジット好み違うよ」
「……、へ?」
その言葉は、エリザベスのフロラン情報の根底を覆した。
「あんなに、…あんなに好きだったじゃない!」
「この国来てすぐワタシいらない言った人。婚約者いて、サヨナラする前男いる女、好き無理ね。まだ婚約者終わらないから好きなふりしてた。いい子じゃない、国帰らされる困るから」
そんなわけがない。エリザベスは四年前を思い出して怒りがわいてきた。
「じゃあ、ブリジット様の好きなものを調べて来いとか、あれ何だったの?」
「ゴキゲントリ? ちょっとプレゼント考えた。でもやめた。あとはレポート、課題、レッスンね。ワタシ、エリー側妃する言ったよ。好きなのエリーね」
ここで何故側妃が? 思い出すだけで腹が立つ。
「側妃って、あれはブリジット様が正妃で、私は二番手って意味じゃ…」
「二番手、あり得ない! 私、父のたくさんの奥さん、すごく嫌だった。奥さん一人ずっと愛する、私の理想」
「じゃ、何で側妃なの?」
「ワタシ皇子だった、奥さん側妃ね」
「?」
どうにもかみ合わない会話。
これって、もしや、…。外国語学習にありがちな誤用、とか…?
「…正妃って、意味わかる?」
「王様の奥さん」
「側妃は?」
「王子様の奥さん」
「…それ、ちょっと違う…よ? 正妃は正式な奥さん、一番目の奥さんね。側妃はそうじゃない奥さん。二番、三番、四番…、みんな側妃。王様も王子様も一緒」
"え、ほんと? うわぁ….。すっごい失礼なこと、言ってた…。『...ごめんなさい』"
フロランは恥ずかしそうに手で顔を半分隠していた。その隙間からも赤くなっているのが見える。それを見ているだけで、エリザベスは自然に笑みがこぼれてきた。
「側妃」の意味を間違えて覚えていたとは。フロランが言葉を間違えているなんて思いもせず、自分の事を軽く見てバカにされていると思い込んでいた。自分に自信がなかったせいで余計に…。
じゃあ、あの時のあれはフロランからの告白だった…?
今日が初めてじゃない。あの時、エリザベスはフロランから告白されていたのだ。誤解してたとは言え、告白してきた相手を容赦なくひねり倒す女って…、自分のことながら、あまりに残念すぎる。




