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エルヴィーノとフロランにはそれぞれ別の部屋が用意された。部屋で一人で過ごすのは久々だった。
妻エルナ役のエルヴィーノは自分がベッドで寝るのは当然で、ダブルサイズのベッドだろうと二人で寝るという考えはなかった。この旅の間フロランは用意があればサイドベッドに寝たが、大抵はソファ、それもなければ毛布にくるまって床で寝ていた。寝心地の悪さ以上に緊張で何度も目が覚めたが、それはフロランだけではなかっただろう。
服のままベッドの上に横になると、眠いと意識する前に眠りに落ちていた。それほど今日はいろいろありすぎた。
再会を果たしながらずっと近寄ることもできなかったエリザベスを腕の中に抱き、アビントンの門をくぐった。
四年前の遠い日々が蘇ってくる。
この国に来て最初に諦めたブリジットのことを宿題にした。公爵令嬢の好き嫌いなどたやすく聞き出せるはずがないと意地悪で出した課題を、エリザベスはどこからか情報を集めてきた。少しはご機嫌取りに使えるだろうか。そんな気もないのに集まった情報に何か違う展開が生まれそうな希望を持った。
恋文の代筆もさせた。
教えたイングレイ語会話は西の方言だ。皇城の侍女頭フィオレは母と同郷で、真面目な人だったが母と話しているとうっかり方言が出ることがあった。癖のある方言をきちんと覚えてすらすら話すようになったエリザベスに、笑いをこらえるのが大変だった。
どうしてあんな意地悪を思いついたんだろう。どうしてあんな課題をこなしてくれたんだろう。
許されるなら、自分に確かな力があって守り切れるなら、国に連れて帰りたかった。この国で出会った女性の中で唯一そんな気持ちになった。思わず掴んでしまった手を鮮やかに締め上げられた。思い出した痛みさえも懐かしい…。
物音で目を覚ますと、まだ夜が明けきっていない時間だった。薄暗い中、影が浮かぶ部屋に足を下ろし、そっとドアを開けると、部屋の前に誰かが座っていた。壁にもたれ、左手に剣を抱えてじっとうずくまっている姿は、ドアの内側にいる自分を守っているように見えた。
しかし、ここにいていい訳がない。
「エリー、何をして…」
開いたドアに、剣をつかんで片膝を立てて見上げたエリザベスの目は陰鬱としていた。
部屋から出てきた人影が敵ではないと判断すると、すぐに目を逸らせ、俯いた。
頬に貼られた創膏、腕には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。
「病院脱走? まだ寝ている、大事…」
「無事アビントンにたどり着けていてよかった…。最後はお任せしてしまうことになってすみません。最後まで送り届けたかったのですが…」
エリザベスは腰を床につけ、剣をすがるように抱き抱えて、無理な笑みを口元にだけ見せた。よそよそしい言葉に距離を感じる。アビントンまで腕の中にいた、あんなに近かった距離が。
「あなたはフロランの、…フロレンシオ殿下のご兄弟ですか?」
「え…?」
フロランは問われた意味がわからなかった。
「奥様もご無事ですよね? ゆっくり寝てください。まだ朝まで時間がありますから」
エリザベスは勘違いしている。フロランの名で許可証を求め、再会した男はエリザベスと目を合わせず、声もかけなかった。妻を連れ、旅の間妻だけを見て妻だけをいたわり、エリザベスと距離を取っていた。それはエルヴィーノを皇子ではないと、女だと思わせるための作戦だったが、そのことをエリザベスには伝えていなかった。
「エリー、…ごめんね、話してなかった。私、フロラン。本物。兄弟じゃないよ」
本物のフロラン、本人だと言われ、エリザベスは顔を上げ、フロランをじっと見つめた。
「…ほんとに、…? フロラン? 生きてた…?」
フロランが頷くと、エリザベスの瞳からぽろぽろと涙が落ちて来た。
「死ななかった…。死んでなかった…。フロラン、生きてた。…生きてたんだ…」
「はい。生きてた。死にかけた、でも死ななかった。…廊下で話、よくない。部屋入って」
フロランは部屋の扉を開けたが、エリザベスは首を大きく横に振って入室を断った。
「そ、それは、あの、…奥様に、悪いし、…」
「ダイジョブ、奥様いない。エルナ、男。あれエルヴィーノ皇子」
「えるう゛ぃ…? エルナさ、ま、…お? …おとっ!」
エリザベスはフロランとその奥方を、奥方だからこそ、フロランの大切な人だからこそ助けたつもりだった。それなのにあの銀髪美女が男だったとは。しなを作り、フロランに抱き抱えられ、甘えて腕にすがる姿にハイハイお好きなように、とやけくそになりながらも、意地で国まで届けると、そう思っていたのに。
なおも部屋に入ろうとしないエリザベスに、フロランは部屋に戻ると毛布を取って来てエリザベスの横に座り、背中に毛布を回した。一枚の毛布を二人で分け、毛布がずり落ちないように肩の上に置かれた手がエリザベスを引き寄せた。距離の近さにエリザベスは戸惑った。
奥方はいない。近くにいることに罪悪感は持たなくてもいいのに、さわさわとした思いが体の中を駆け巡って落ち着かない。四年ぶりに会った友達の距離じゃない。毛布の温かさ以上に肩に置かれた手から伝わる熱が熱く感じられて、寝不足の頭がくらくらとよろめいた。




