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エリザベスと別れたあの休憩場所よりも少し手前のところで、ゆっくりとこっちに向かって歩みを進める馬がいた。ずっと共に旅をしてきた荷馬車の馬だ。
その背にうつ伏しているのはエリザベスだった。
フロランは馬を止め、エリザベスの元に駆け付けた。
「エリー、…エリー!」
起こそうと触れただけで、エリザベスの体は馬からずり落ちた。それを受け止め、抱え直すと、エリザベスはゆっくりと目を開けた。左腕と頬に刀傷を受けていたが、手当もせずこの馬に乗り、この状態のまま国境まで向かう気だったのだろうか。
「ああ、女神様…、恩情に感謝しま…」
エリザベスはフロランに祈りを向けた。
「フロランそっくりなお迎えなら、きっと天国行きだよね…」
「…エリー…?」
この旅の間、一度も向けられなかった笑顔でフロランを見つめるエリザベス。あの頃を思い出し、フロランは息苦しさと早まる鼓動を感じた。
記憶の中のエリザベスが重なる。腹が立つほどに苦労知らずで、世間知らずで、だからこそ純粋でひたむきなエリザベスに惹かれていた。
今のエリザベスは時折眉間にしわを寄せ、自分を押し殺しながらも何かのために、…恐らくは命令のために動いている。それが仕事だからだ。それなのに、こうして来てくれたのも、笑いかけてくれたのも、自分のためのような錯覚が心を満たしていく。
「ありがとう…」
フロランの腕の中で小さな声で礼を言い、エリザベスは瞼が重くなるまま目を閉じた。
「エリー…? エリー! 死んじゃダメだ! エリー、目、目開けて、エリー!」
フロランは必死にエリザベスの名を呼び、体を大きく揺さぶった。振動に耐えかねたエリザベスは思いっきり眉間にしわを寄せてうっすらと目を開けると、
「…あと五分…」
そう呟いて再び目を閉じた。
涙目になったフロランの腕の中でエリザベスはきゅっとフロランの服を握りしめ、何の夢を見ているのかふふっと笑った。フロランの肩に頭をすり寄せて頭の納まる丁度いい場所を見つけると、そのまま動かなくなり、やがてすやすやと安らかな寝息が聞こえてきた。
冷静になって見てみると、腕と顔に怪我はあるが、致命傷と思われるような傷はない。
「ふっ…。…ふ、ふふ…。ははははっ」
エリザベスがこの任務のためにずっと奔走していたことを思い出した。笑い事ではないと怒られそうだが、傷の痛みよりも眠気が勝って「あと五分」ときた。絶対に五分では起きないくせに。
後を追ってきていた辺境騎士団がフロランに追いついた。
「こっち大丈夫。エリー無事。馬車、この先。行って」
フロランの言葉を受けて、一団は馬車を残した場所へと走って行った。
せっかくしがみついてくれている手を惜しみながら、フロランは自分のマントを脱いでその上にエリザベスを寝かせ、自分の服の袖を引きちぎって包帯代わりにし、応急手当てをした。顔の傷は残ってしまうかもしれない。他にもあちこち切り傷や擦り傷がある。とても子爵家令嬢には見えないが、それは今に始まったことではない。
かつて街で見かけたエリザベスは、服屋から出て来た時には不満げな顔をしながらそのすぐ近くの武器屋であの螺鈿細工のついたダガーを見て目を輝かせていた。そしてそのダガーは今もエリザベスの腰にある。ずっと大切にしてくれていたのだ。フロランの期待通りに。
息の上がっているダレンの馬の鞍と手綱を外し、エリザベスを乗せて来た忠実な馬に付け替えると、フロランはエリザベスを抱えて馬にまたがった。速度は速くないが二人で乗っても揺るがない馬力がある。頑丈ないい馬だ。
フロランはエリザベスを自分の手で連れ帰ることができる今にこの上ない幸せを感じた。早く医者に見せたい気持ちがありながらも、ずっとこのまま国境にたどり着かず、一緒にいられたらと叶えてはいけない思いを抱かずにはいられなかった。




