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翌朝は早めに出発する準備をしたが、馭者席に座って後は発車というところでロバートに声をかけられ、一緒にアビントンまで戻ろうと言われた。同じ会社の馬車で、向かう方向は同じ。断る理由が見つからないうちに、荷馬車を連ねてアビントンに向かうことになった。
先を行くロバートの馬車の進みは遅かった。エリザベスに合わせるつもりでゆっくりと走っているのだろうか。少しもどかしい。
考えすぎなのかもしれないが、もし襲撃があったとしてロバートを巻き込んでしまうのは申し訳なく、やはり別行動をした方がよかったと、今からでも言い訳できないか考えたが何も思いつかなかった。
アビントンはもう目の前だ。戻ることだけ考えよう。
警戒が杞憂で終わることをひたすら願いながら、はやる気持ちを押さえてアビントンを目指した。
ここから国境までは一本道だ。
ライボルト伯の屋敷からここまで、小さなトラブルはあったが二人を狙った襲撃はなかった。
天気は穏やかで時折鳥に追い越される。アップダウンも少なく、鼻歌でも出そうなのどかな道。町を抜けると周囲に家がなくなり、やがて畑もなくなり、道だけが続く。
途中馬を休ませるために休憩を取り、自分のために買った飴をロバートに差し出した。
「これ、子供達のお土産にして」
「お、ありがとう。オークで買ったのか? ずいぶん足を延ばしたな」
エリザベスは小さく頷いたが、心は大きくざわついた。
オークで? オークでも飴は買ったが、これはメイプルで買い足したものだ。オークに行った話はしていない。
二匹の馬は草をはみ、水を飲んで体力を回復している。鼻先を押して飴をねだられ、自分の馬だけでなくロバートの馬にも与えた。岩塩を差し出すとぺろりと舐めた。
じれったくなるほどの長い休憩を終え、そろそろ出発だ。
エリザベスは馬車の車輪を確認し、前の車輪が若干傾いているのに気が付いた。車輪に近い車軸に切れ目が入っている。のこぎりか何かで人為的に入れられたものに見えた。まだ走れなくはないが、いつ壊れるかわからない。
馬を撫でるふりをしてハーネスと馬車を繋ぐ金具を緩め、馭者席に座り、後ろに小声で話しかけた。
「フロラン、この馬車はだめだ。奥様を連れて前の馬車でアビントンに行って。念のためこれも預けておく」
エリザベスは身に着けていたアビントンの商人用の通行証を首から外すと、幌の中に手を入れた。
「国外の人の手続きが混んでいたら、それを見せれば入れるから」
ずっと差し出しているのに通行証をなかなか受け取ってくれない。
“迷われん、はよお取り”
(迷わないで、早く取って)
“レン、受け取れ”
エルナの言葉の後、通行証が手からなくなった。
エリザベスが馬の尻を叩くと、馬は馬車を置いて走り出した。
「ああっ、逃げちゃった!」
慌てて馬を追いかけるふりをしながら、エリザベスは馭者席に足をかけていたロバートを突き飛ばし、倒れたロバートの腕を背後で締め上げた。
”はよおし!”
(はやくして!)
フロランはエルナを抱きかかえて荷台から飛び降り、素早くロバートの馬車に乗った。一瞬振り返ったフロランに、エルナが
“急げ!”
と叫ぶと、フロランは手綱を打ち、馬車を走らせた。
「くそっ、何で」
エリザベスはロバートの首に手刀をくらわせ意識を奪うと、馬のいなくなった自分の馬車を押して横に向け、道を塞いだ。しばらくすると四騎の馬に乗った警備隊員が現れ、道を塞ぐ馬車と倒れているロバートを見て驚いていた。
「すみません、馬が逃げてしまって…」
警備隊員の格好をしながら、人が倒れ、馬車が道を塞いでいるこの現場を見ても救出するそぶりも見せない。
「逃げやがったか」
「追え!」
警備隊員達はもう一台の馬車を追いかけるべく、道を塞ぐ邪魔な馬車を迂回して先に進もうとした。エリザベスは自分の上着を脱いで馬の前で勢いよく広げ、旗のように振り回した。急に目の前に現れた何かに馬がひるみ、一頭が前足を振り上げて乗り手を落とし、他の馬も動揺して足を止めた。
「この状況を見ても助けもしない? あなた達、ほんとうに警備隊?」
制服のボタンを留めていない者、明らかにサイズがおかしい者もいる。似せようともしていない警備隊の偽物。
エリザベスがオークに行ったことをロバートは知っていた。
荷馬車の車軸に人為的に入れられた切れ目。
遅いペース、馬を休ませるにしてもやけに長い休憩時間はこの連中を待つためだったとしたら…
第三皇子派の暗殺集団か、それとも反イングレイ帝国派の寄せ集めか。どちらにしても、二人を追わせるわけにはいかない。
エリザベスは剣を抜いた。




