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翌日も馬車を走らせ、国境を目指した。
一人旅のふりで進み、二人は今日も荷台だ。二人のことはただの荷物と思い、意識して見ないようにしていた。人が乗っていることを忘れるほど会話もなく、ガラガラと車輪の音を響かせて道を進んで行く。途中で何度か休憩をとり、人も馬も休ませたが、エリザベスは気を抜くことなく周囲を警戒していた。殺気立たないよう気を配ったつもりだが、隠しきれてるとは思えない。
誰に狙われているのかも、本当に狙われているのかさえもわからないが、常に万が一を考えた。無事に送り届けることが自分に課した「使命」なのだ。
林の中の細まった道で前方に馬車が止まっていた。車輪が外れていて故障のようだが、修理をしているようでいて目はこちらを気にしている。
通り抜けできそうだったので、ぎりぎりよけて素通りするつもりだったが、突然目の前に男が立ちはだかった。
慌てて馬車を止めると、待ち構えていたように男が走り寄り、馭者席にいるエリザベスに殴りかかってきた。小さな男が一人で御する荷馬車なら乗っ取れると思ったようだ。
馭者席に男が足をかけたタイミングで、エリザベスは男の腕を除けて腹に剣で突きを入れ、馬車から落した。自身も馬車から飛び降りると落ちた男を剣の束で殴って気絶させた。もう一人の男が剣を手に突進してきたが、向けられた剣を払い、肩を切った。
「ぐおおおおおっ」
悲鳴と共にのたうち回る男を手ばやく締め上げていると、短い悲鳴の後で第三の男が倒れた。気配を忍ばせて近づき、襲い掛かろうとしていた男を倒したのはフロランだった。
「あ、…ありがとう」
エリザベスの知るフロランはいつも柔和な笑顔を見せていた。あれが真実ではないとわかってはいたが、同じ顔なのににこりともせず、雰囲気はまるで別人だ。礼を言ったエリザベスと目を合わせることなく剣を納め、黙々と目の前の男を縛っている。
三人の男を縛り上げて車輪の外れた馬車につなぎ、その場を離れようとしたが、その馬車の荷台から物音がした。荷台に覆われていた布をめくると、子供が二人手足を縛られ、猿轡をかまされていた。
エリザベスは涙目の子供を荷台から降ろした。
「連れて行く、危険」
再会して初めて聞いたフロランの声だ。耳に残る声と違わないのに、別人のように冷たく聞こえた。
「次の町で警備隊に子供を引き渡します」
「一緒に乗るはならぬ」
声をあげたのは、幌から顔を出したエルナだった。今まで見せていた弱々しさは演技だったのかと思わせるほど、はっきりと強い拒絶を口にした。ルージニア語を理解でき、ちゃんと話せている。今まで黙り込んでいたのは意図的に無視していたのだ。
「子供でも油断はならぬ。罠かもしれぬ」
子供であっても警戒しなければいけないような目に遭ってきたのだろうか。しかしエリザベスはこの子達をこのままここに残す気にはなれなかった。
説得できる自信はなく、時間もない。この荷馬車を動かしているのはエリザベスだ。エルナには我慢してもらうことを選んだ。
「縛られたままで乗せます。不安ならあなたが奥様を守ってください」
エリザベスはフロランに目をやった。今の剣さばきを見ればそれなりに腕は立つのだろう。護衛役は多い方がいい。
「縄はまだ解けないけど、少しの間だから。町まで送るからね」
エリザベスは子供の縄を解かず、猿轡もしたままエルナがいる所とは少し離して積み荷のそばに座らせた。フロランももう一人の子供を運んで荷台に乗り込み、エルナと子供達の間に座って子供達を見ていた。
じっと見張られている子供達は新たな恐怖に怯えていた。不安定に揺れる車内に縛られたままの子供達はただ座っているだけでも大変そうだったが、我慢してもらうしかない。
一番近い町に警備隊の派出所を見つけ、縄と猿轡をほどいて子供達を警備隊に引き渡した。恐い思いをした子供達は拘束したまま運んだエリザベスのことを警戒し、警備隊員にしがみつき礼も言わなかった。子供達にとっては自分達を連れ去った犯人と大差なかったのだろう。
エリザベスは警備隊員に自分達が道の途中で襲われたことと、相手の馬車の荷台にこの子供達がいたことを説明し、三人の男がいる場所を教えた。派出所の警備隊員は二人だけで、一人は応援を呼びに行き、一人は泣きながらしがみつく子供から事情を聞こうとあたふたしている。この隙に挨拶なしで出発し、後は警備隊に任せてさらに先へと馬車を走らせた。
子供達がいなくなった荷台でエルナはずっと夫であるフロランにしがみついていて、宿に着くとこの日も抱えられて馬車を降りた。怯えて泣いているのかと思ったらそうでもなく、何を話していたのかはわからないが口元にうっすらと笑みを浮かべていた。楽しい話でもして気が紛れたのならいいのだが。
この日も二人の食事は部屋に用意した。二人と離れ一人で食事を取っていると余計なことを考えるすきができて、自分の役割は何だろうとふと疑問を感じた。許されるならこのまま馬車ごと預けて後は好きに先に進んでもらい、自分は駅馬車にでも乗って一人で戻りたい気分だ。
自分を突き動かしていた使命感が薄れているのを感じていた。
一番の役目だった入国許可証を渡し終えたから?
ルージニア語がわかるのに無視されていたから?
自分達は頼っておきながら、子供達を助けることを嫌がったから?
子供達に不自由な思いをさせてしまったのにエルナが笑っていたから?
そんな相手をフロランが妻に選び、抱えあげて部屋まで運び、今なお二人っきりで過ごしているから?
不満はいくらでも思いついた。しかしアビントンまで送ると引き受けておきながら、こんなにやる気をなくしていたら守れるものだって守れない。
エリザベスは自分の頬を両手で叩いて、しっかりしろ、と自分を鼓舞した。ずっとじゃない。あと二、三日だ。
もやもやする思いを抱えながらも、夜には周囲の見回りをし、明かりの消えた部屋を見上げた。屋根のさらに上には雲が立ち込め、星は見えなかった。




