2-4
一日目は移動日、二日目の午前中にはフォスタリアの東の町メイプルに着き、お得意先の店を回って瓶詰めを納品した。野菜の酢漬けが好評で次の注文も入った。酢漬け自体はありふれたものだが、シーモア領で作る酢が酸味がまろやかで食べやすく、アビントンでもよく売れている。次回の注文を確認し、いつもなら空き瓶を回収して帰路に着くのだが、今回はここからが本当の旅だ。
「すみません、空き瓶は来週の便で回収しますので」
エリザベスが断りを入れると、店員は快く承知してくれた。
「わかったわ。ご苦労様、またよろしくね」
数件回って納品が終われば、いよいよ目的地ライボルト伯の屋敷があるバーチに移動だ。
その前に郵便屋に寄ってノヴェル商店に来週分の注文書を、それにこれから向かうライボルト伯爵家に宛てて手紙を送った。
アビントンから、依頼のあった野菜の瓶詰めの納品に行く。
それをどう読むかは相手次第。訳がわからないと追い返される可能性もあるが、それならそこまでで旅は終了だ。
荷物がほとんどない馬車は軽快で、二日後の午後にはバーチに着いた。
先の手紙では日時を指定してはいないが、商人らしく先ぶれは出さず、そのままライボルト伯の屋敷に行くことにした。食料品を納めるなら裏口からだ。通用口の前で元気よく
「まいどー、野菜の瓶詰めをお持ちしましたぁ」
と声をかけるとすんなりと中に入れてくれた。どうやら手紙は無事届いていたようだ。
瓶詰めの入った木箱を持って裏口から入ると、料理人が応対した後、執事らしい男が奥から出てきて、明らかに警戒を見せながらエリザベスを頭からつま先まで観察した。
「うちの酢漬けは酸味がきつくないので、ヘリングスの人にも食べやすいと思いますよ」
エリザベスの言葉に執事は小さく頷いた。
「では、一つお持ちするように」
執事に共に来るよう促され、皿とフォークを借りてトレイの上に置き、蓋を緩めた瓶詰めを一瓶添えて執事の後をついて行った。
本当の行商人なら立ち入ることのない屋敷の中を歩き、連れて行かれた部屋は応接室だった。
そこには老齢の紳士、おそらくライボルト伯爵と、手前の席に背を向けて男女が座っていた。ドアの開いた音に振り返ったのは間違いなくフロランだった。
生きていた。
エリザベスは危うく流れそうになった涙をぐっとこらえた。
フロランは驚きの表情を見せたが、すぐに背を向けた。
「こちらが最近よく売れている瓶詰めの酢漬けになります。アビントンよりお持ちしました」
皿と瓶詰めの間に、服の中に隠しておいた二人の入国許可証を添えると、執事がトレイを受け取り、卓上に置いた。人肌に暖かい書類は少ししわになっていたが、目の前の二人、フロランとエルナの名前が入った正式なものだ。フロランはそれを手に取り、中を確認すると、エルナにも見せた。エルナは深く頷きフロランの肩にもたれかかった。
フロランの妻エルナは庶民に近い服装をしていたが、わざとらしく感じるほどに高貴な人だ。イングレイかどこかの国の貴族なのだろう。さらりと真っ直ぐ伸びる銀の髪にブリジットを思い出した。凛とした雰囲気もどこか似ている。フロランの好みのタイプだ。心の奥に感じた小さな痛みを受け流し、ゆっくりと深い呼吸をした。
ずっと死なせてしまったと思っていたフロランが生きていた。この届け物が彼の人生に役に立つなら、あの時の何もできなかった自分への救いになるだろうか。
「確かに、お渡ししました。では、これで…」
小さく礼をして立ち去ろうとした時、ライボルト伯爵が声をかけてきた。
「君はこのまま国に、…アビントンに帰るのかね」
エリザベスは正直に答えた。
「はい。納品も終わりましたので」
「そうか。…我が家の馬車の調子が悪くてね。直るまで数日、…数週間はかかるだろうか。買い物にも行けず、不自由しているんだよ」
馬車の調子が悪い。つまり馬車を出せないと言うことだろうか。
伯爵家なら買い物には馬車を出さなくても商人の方から訪れてくる。今のエリザベスがそうだ。つまり、買い物は真意ではない。
渡した許可証は商人のもの。この家の馬車は貴族のものだ。商人が使う馬車を調達できていないということだろうか。
二人がここから動けないことも想定はしていた。
届け物はしたのだから後は帰るだけ。後は二人の人生なのだから、二人で何とかすべき。…そう割り切ろうとしている自分がいる。
だけど、それでいいのか。本当にすべきことは…。
フロランを望む所に送り届けること。
自分の中の答えが固まった時点で、進む道は決まっていた。
「この後、アビントンに持ち帰る商品を仕入れにオークに行きますので、ついでがあればお申し付けください。二日後にまたお伺いします」
エリザベスの言葉に、ライボルト伯爵は目を輝かせた。
「そうか。では適当に見繕って持ってきてくれたまえ。何を買ってきてくれるか、楽しみにしてるよ」
「きっとお気に召していただけるものをお持ちしましょう」
背を向けたままのフロランがどんな表情をしているのかはわからなかった。エルナがフロランの腕をつかみ、頭をもたれかけさせて
“よかった”
とイングレイ語でつぶやくと、フロランは小さく頷いた。
最後までフロランと直接言葉を交わすことはなく、エリザベスは部屋を出た。




