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その週末、エリザベスは家に戻るとすぐに父を探したが、あいにく父は留守だった。
長兄のフリオに自分の見合いのことを聞くと、
「ああ、もうふりはいいそうだ。次の相手、見つかりそうか?」
とおどけて言った。
「私のお見合いが続いていたふりをしてたのは、フロレンシオ殿下と関係あるの?」
エリザベスはいつもと様子が違ったが、フリオはそれに気付くことなく、ごく当たり前のように答えた。
「そうだよ。陛下からのお達しだったからな。うちみたいな弱小な領に皇族が来られても困るし、暗殺者が来ても守れるような環境もないからな。ま、おまえが見初められるようなことはないだろうけど」
豪快に笑いながらエリザベスの肩を叩き、エリザベスの動揺に気付くことなくフリオはいなくなった。
父が戻り、同じ事を訪ねると、父は少しだけ言いにくそうにしながらも正直に答えた。
「おまえがチューターをしているのが殿下だと聞いたから、念のため見合い継続中ということでうちは対象外だと表明しておいたんだよ。いくら何でも子爵家まで範疇に入れることはないだろうが…。おまえが殿下と近しいと聞けば予防線を張るのは親として当然だ」
「それじゃ、うちもフロランを拒否したってことじゃない!」
怒りを見せたエリザベスに、父はエリザベスがフロレンシオ皇子とそれなりに仲良くしていたことを察したが、
「皇帝の身内を受け入れないのは陛下の意思だ。国で決まったことなんだ。アビントン辺境伯閣下でも殿下を受け入れられなかったんだ。うちに何ができる」
あのアビントンでさえ…。
エリザベスはうつむき、それ以上何も言葉は続かなかった。
「…大げさに騒がなくても、殿下は帰る所に帰っただけだ」
エリザベスは自分の小ささが苦しかった。自分より力のある人達が次々と切り捨てる相手をエリザベスに救うことができるわけがない。あきらめるしかなかった。そう自分に言い聞かせようとした。それでも…
一緒にいる人…
あれは本気だったのかもしれない。本気で一緒にいてほしい、この国にいさせてほしい。この国に残るための礎になってほしいと。
本当に何もできなかった? 全てを知っていてもさよならと言えた?
助けを求める友達を見捨ててしまった。自分が知らないうちに、自分が知らないことだらけなせいで。
エリザベスは自室にこもり、枕に顔を押し付けて泣いたが、その後はもう涙は見せなかった。
そしてそれ以来、エリザベスが無邪気な笑顔を見せることはなくなった。
エリザベスはあまり興味を示さなかった社会情勢や地理、経済と言った授業も真面目に受けるようになり、学校の図書館で新聞に目を通すようになった。
聞かないふりをしてきた噂話にも耳を貸し、しかし素直には信じず、どうしてそういう話になっているのかできる限り考えるようにした。しかしひねりが必要な解釈にはついていけず、駆け引きや言葉で相手をけむに巻く人はどうしても苦手だった。自分はまだまだ甘いのだと思い知らされるばかりだ。
学校に行ってから鍛錬を怠っていた剣も、フロランの護衛をしていたグレンに紹介してもらい、騎士を目指す学生のための特別課外活動に参加するようになった。
年を重ねるほど男子学生とは筋力の差がつき、重い剣は受けるだけでも手がしびれたが、幼い頃から学んできた経験は体が覚えていた。すぐに勘を取り戻し、軽さを機敏さでカバーし、着実に腕を上げていった。
伯母は新しい縁談を持ってきたが断り続けた。やがて話を聞くのも嫌になり、家にいても会話が弾まず、週末も家に足を向けなくなった。
親頼りを当然と思っていたが、自立するための第一歩としてウィスティアにある商店でアルバイトを始めた。
ひょんなことからフロランも近くでアルバイトをしていたと聞いた。店員はフロランはイングレイからの留学生としか知らず、あの整った容姿と愛想の良さで客寄せにはぴったりだったらしい。アルバイトをしていたのがよもや帝国の皇子だったと知れば、きっと心臓が止まるだろう。
しばらくの間フロランの名前を聞くと心に痛みが走ったが、やがて顔に出さないようにできるようになった。
最終学年になる頃には、学校の中でフロランの名を聞くことはなくなっていた。
遠い昔の事のようにさえ思えるのに、エリザベスのイングレイ語の筆記は確実に上達していて、それなのに話したとたん誰もが笑いだすのも変わらない。
イングレイ語の師匠はイングレイ語を話すたびにエリザベスのそばにいて、いつまでも心から離れなかった。
独裁的だった皇帝の死後、イングレイ帝国は荒れていた。
皇帝の死からひと月も経たないうちに皇太子だったアルベルク第一皇子が毒殺された。皇帝の地位を狙う第三皇子クロヴィス、あるいはその支持者が毒を持ったと噂されていたが、決め手となる証拠がなく捕らえられることはなかった。
新聞は面白そうに遠く離れた帝国のお家騒動を伝えてきた。
第三皇子クロヴィス殿下は自分こそが皇帝の後継ぎだと公言。
若かりし頃の皇帝のように野心を持ち強引に策を進め、帝位継承権のある兄弟達を根絶やしにしようとしてる。
帝国がらみの様々な記事が新聞をにぎわせていたが、ある日の新聞の片隅に小さくフロレンシオ第六皇子が急死したと書かれていた。帰国してから一年足らず、新聞の片隅にわずか三行の記事が載ったのは命を落とした日から二十日以上が過ぎていて、死因も書かれてはいなかった。
学校でも話題に上ることはなかった。護衛をしていたグレンもこの話題を避けているのがわかった。
かつてのエリザベスならきっと無神経に声を上げて尋ね、一人騒いでいたかもしれない。しかしエリザベスはこの現実を目を閉じて受け入れ、助けられなかった友人のために一人で涙を流した。




