第五十一話 お菓子作りの前に!?
シェスが乗馬を教えてくれた最後の日、専用の馬を用意してくれた。
騎士団の馬場まで行けばいつでも乗れることになった。有難い。
早くゼロと呼び笛の練習もしたかったが、ずっとラニールさんにお菓子を任せきりだからそちらを先に行かないとね。
しかしやはり王妃教育はまだあるのよね。いい加減もう終わりでも良いのじゃないかしら、とか思っていると駄目なんだろうな……。
今日も朝から講義の時間。
今日の講義は少し興味深いものだった。
魔術について。
魔術がいつからあったのかは定かではないらしい。
道具を介して魔術を行う。リディアが行った魔術も鏡を介してだったしね。
大体は生活に利用出来るものが多いようだった。
失くしものを探したり、雨を降らせたり、怪我を治したり病を治したり……、しかしどれも完璧ではなく、大概は失敗に終ったりする。
だからあまり魔術自体が浸透してはいない。
さらには黒魔術とやらもあるらしい。人を呪ったり、命を奪ったり、他人と魂を入れ替えたり……!!
他人と魂を入れ替え……、他人、これは目の前に並んだ二人の魂を入れ替えるという魔術。リディアが行った魔術とは少し違うようだ。カナデはリディアと対面していた訳ではない。精神世界の中で対面していただけ。
黒魔術は人の命に関わるものが多い。だから表向きには禁止されている。
リディアはその黒魔術を行ったということだ。本来なら罰せられることだ。バレたらどうなるのだろう。少し怖くなった。
そしてそんな魔術に長けた国ルクナ。
イルの母、ダナンタス国王の妃の祖国。
魔術が長けているため、周りの国々はルクナを警戒したり、同盟を結ぼうとしたり、様々な思惑が渦巻いたらしい。
しかしルクナ国王はとても穏やかな人で意思の強い人でもあった。どこの国にも侵略しない、同盟は結ばない、中立を貫いた。
そのおかげでルクナは一線を画す国となる。
ダナンタス国王は王子時代にたまたまルクナを訪れ王女だった妃と知り合った。
妃として求めたが、当時の両国王が反対し妃になることはなかったらしい。
そしてダナンタス国王はイルの兄たちの母王妃と結婚したが、王妃が早くに病で亡くなり、まだ結婚していなかったイルの母を妃に迎えたのだった。
結局イルの母も病で亡くなってしまうのだが。
魔術で病は治せなかったんだな……。万能じゃないんだよね……。
こんなに不完全なものなのに、イルのお兄さんたちは呪われてるとか言ってたんだなぁ。
ひとしきり魔術について教わったが、リディアが行ったらしき魔術は分からなかった。
夢のような精神世界で魂の入れ替わり……。
さらに禁術なのかしら……、だ、大丈夫かしら。
何だか不安な気持ちになりながらも、講師にあまり突っ込んで聞く訳にもいかず、そのままお礼を言って退室した。
講義を受けた部屋から帰る途中、いつものごとくイルがどこからともなく現れた。
もう日課だね。イルと一緒に昼食を取ることも増えた。
「あ! そうだ! 今日はラニールさんのところへ行くつもりだったから、イルもそこで一緒にお昼いただかない?」
ラニールさんにしたら物凄く忙しい時間なのだろうが、こっそり紛れたら分からないのでは? と、安易な考えだ。
「ラニールさん?」
イルはキョトンとして聞いた。この仕草がまた可愛いのよね。
「騎士団控えの間の厨房で働いてる料理長さん」
「控えの間で食べるの?」
あ、しまった。普通お貴族様は控えの間では食べないんだっけ? しかもイルは王族。いつもの軽い感じで言ってしまった。
どうしようかと思っていると、意外にもイルは行くと言った。
「大丈夫? 騎士の人たちがたくさんいるけど」
「ん、頑張る」
少し緊張気味な面持ちで頷くイルが可愛かった。
イルも一緒に控えの間まで行くと、今日はキース団長もいた。
「これはリディア様! ラニールに会いに?」
イルをキース団長と皆に紹介し、他の騎士たちも挨拶をしてくれたかと思うと、ラニールさんを呼ぼうとしてくれる。
「あ、待って! 呼ばないで!」
「? どうかされたんですか?」
「せっかくだからラニールさんの働いているところを見てようかと」
「ハハ、なるほど」
キース団長は少し企むような顔でニヤッとした。
すると耳打ちしてきてラニールさんを驚かせようと言う。
「えー、怒られませんか?」
物凄く怒られそうな気がする……。
「大丈夫ですよ! リディア様なら!」
どういう意味だろうか……。
イルに控えの間でマニカたちと待っててね、と伝え、こっそり厨房へと入った。
ラニールさんは忙しそうに料理人たちに指示を出している。
これは絶対怒られる。
そう思い厨房出入口に戻ろうかと顔を向けると、キース団長たちが、ゴーサインを出している。
いやいや、絶対怒られるってば!
そろそろとラニールさんの背後に近付く。ラニールさんは気付いていないが周りの料理人たちが気付き出した。
料理人たちは気付くと、目を見開き驚いたが、徐々にニヤニヤとし出す。皆悪い顔だなぁ。
声をかけるタイミングを見計らいながら、ラニールさんの手元を見ていると、肉らしきものをさばいていた。皮を剥いで細かく切り、味付けなのか、臭み取りなのか、何かの調味料? を擦り込んでいた。
あまりの手際の良さに見惚れていたら、急に振り返ったラニールさんと思い切りぶつかり、よろけたラニールさんを支える形で抱き付かれる。
「わっ!?」
「リディア!?」
違う意味でこっちが驚いた。思わず令嬢らしからぬ声が出たじゃない!
背の高いラニールさんにほぼ覆い被さるように抱き付かれたものだから、危うく潰れて尻餅を付くところだった。
何とか耐えられた!! これがもしキース団長なら間違いなく潰れていた!!
キース団長より細いラニールさんだからギリギリ支えられた、といった感じ。
顔が完全にラニールさんの胸に埋まり、ラニールさんの背中に手を回し支えていたが、息苦しくなりぐりぐりと顔を上に向け思い切り深呼吸をした。
「あぁ、苦しかった」
思い切り仰け反るような姿勢でそう呟くと、ラニールさんの首に口が当たりそうになる。
ラニールさん大丈夫かしら? 急に後ろに邪魔な人間がいて、しかもぶつかって料理の手は止まるし……。
まずい……、絶対怒られる……。
「ラ、ラニールさん? 大丈夫ですか? すいません! 料理の邪魔をして!」
若干混乱中。ラニールさんを思い切り抱き締め返してしまった。
違う!! 抱き締めてどうするのよ!!
そっとラニールさんから身体を離し顔を見上げた。
「ラニールさん?」
ラニールさんは私の両肩に手を置き固まっていた。
動かない……、顔もずっと背けられていて表情が分からない。
「あ、あの、すいませんでした……」
この沈黙が怖いんだけど!
泣きそうな気分になり、誰かに助けを求めたくて周りを見渡したが、キース団長始め、全員がニヤニヤしていた。
ちょっと!! 笑ってないで助けてよ!! 内心叫んだが、誰も助けてくれない。
ラニールさんが肩を掴む手に力を込めた。
「リ、リディア……、何をしているんだ?」
やっとの思いで絞り出した声、といった、重々しい声で問われ、あぁ、怒られる、と諦めた。
「ごめんなさい、ラニールさんの働いているところを見ていたくて、後ろで見てました。本当にごめんなさい」
これはもう素直に謝るしかない。
「あー、すまん、俺がリディア様にラニールの仕事が見たいなら、後ろで見ていて驚かせよう、って言ったんだ」
キース団長が笑いながら入って来た。
「お前!!」
ラニールさんは勢い良く顔を上げ、キース団長を睨んだ。しかしその顔は真っ赤だった。あれ?
「ラニールさん?」
ハッとし目が合ったラニールさんはますます赤くなる。
「リディアも!! キースの口車に乗せられるな!!」
「はい……、ごめんなさい……」
さすがに凹んだ。料理の邪魔をするのだけは駄目だ。それだけは本当に駄目だと分かっているのに邪魔をしてしまい反省した。
「あ、いや、まあ何だ。見たいなら普通に声を掛けてくれ」
ラニールさんは真っ赤な顔のまま、横を向き頭を撫でて来た。
「はい、ごめんなさい」
シュンとしたまま返事をすると、ラニールさんは頭をガシガシ掻きながら参ったなというような顔をする。
「リディアが来るのは嬉しいから大丈夫だ!!」
ラニールさんが突然大きな声で言った。
驚いて顔を上げラニールさんを見ると真っ赤な顔のまま、再び私の頭に手を乗せると乱雑に撫でた。
おかげで髪はぐしゃぐしゃ。
でもそれが何だか可笑しくなり笑った。
「フフ、ありがとうございます」
それを見てラニールさんは安堵したような表情になり、一緒になって笑った。
周りの皆は……、これでもか! ってくらいのニヤニヤ顔よね。小学生男子じゃあるまいし……、これ、カナデの記憶ね。
ラニールさん、またからかわれるんだろうな……、申し訳ない。
※補足
この世界で魔術はあまり浸透していません。
なので、日常的に魔術が使われたりもなく、ごく普通の世界です。
唯一魔獣がいるくらいでしょうか。
ラニールをみんながからかって面白がっているのは、みんなラニールの周りに初めて女性の話題が出来て驚きと喜びだからですw
リディアがシェスレイトの婚約者だということは分かっているので、ラニール本人も周りの皆もリディアを愛して止まないですが、決して略奪しようとかではありません。
さて、お菓子作りは進むのか!?




