番外編第六話「トリア暦三〇二七年九月:月見酒」
本日のコミック第1巻の発売を記念して投稿しました!
トリア暦三〇二七年九月十五日。
ルナが戻ってから四ヶ月ほどが過ぎた。
彼女と“白き軍師”レイ・アークライトはそれぞれの国に戻っているが、この世界の情報はタイムラグが大きいため、今どのような状況なのか全く分かっていない。
ラスモア村だが、竜牙兵との戦いから半年近く経ち、表面上は完全に平和を取り戻している。
但し、帝国宰相アレクシス・エザリントン公爵はロックハート家に対し、詰問の使者を送ってきており、完全に平穏を取り戻したとは言い難い状況だ。
宰相の使者はルナが魔族の国ソキウスの実質的な女王であることが判明したことと、弟のセオフィラスたちがレイと行動を共にしていたことに対し、釈明を求めてきた。
それに対し、ルナについては俺が偶然助け、父が家族を失った彼女に同情したからと答え、セオたちについては、レイが暴走しないように目付け役として同行させたと説明した。また、セオが人馬族や遊牧民たちの間を取り持ったことに対し、草原の民の伝承に従っただけと答えている。
それで納得するとは思えないが、帝都プリムスまでは千kmほどあり、往復で半年以上かかるため、結果は分かっていない。
そのセオだが、彼はルナと共にカウム王国の王都アルスに行き、王妃カトリーナの命を受けた調査団と共にソキウスに向かったと連絡が入っている。ソキウスで作られる米の酒が蒸留酒にできるほどの量があるのかを調べるためだ。
双子の妹セラフィーヌは末の妹ソフィアと共に、七月に入ったところで学術都市ドクトゥスに向かった。そこで冒険者としてレベルアップに励むためだ。
弟たちがいなくなりさみしさを感じているが、今は平和な日々を楽しんでいる。
暑かった夏も終わり、爽やかな秋風が吹き始めた。
「結構涼しくなってきたね。たまには外でのんびり酒を飲むのもいいんじゃないかい」
午前の訓練が終わった時、ベアトリスがそんな提案をしてきた。
「いいですね。今日は満月ですし、きれいな月を見ながらお酒を飲むのも楽しそうです」
珍しくシャロンが一番に乗ってきた。
「そうね。私も賛成!」とメルが元気に言うと、リディも「あなたの世界では“月見酒”って言ったかしら? 面白そうね」と賛同する。
「そうだな。バルコニーで月を見るか」
俺たちが住む離れはコテージのような造りで、楓の林を望むウッドデッキがある。季節がよい時には朝食を摂ることもあった。
「たまには放牧場で飲むのも楽しそうじゃないか? あそこなら城以外に遮るものはないしな」とベアトリスが言ってきた。
「いいわね。あそこなら夕焼けも楽しめるし、風が抜けるから涼しいしね」
リディも賛成したことから、館ヶ丘の西の斜面にある放牧場で、夕焼けと月見を楽しむことが決まった。
午後の訓練を終えた後、大浴場で汗を流し、俺はリディとベアトリスと共に酒の準備を始める。
メルとシャロンは料理の仕上げを行っていた。作ってしまえば、俺が収納魔法に入れて運べば、ほとんど温度が変わらないため、一気に仕上げているのだ。
「何が飲みたい?」と聞くと、
「もちろん発泡ワインよ」とリディが即座に答え、ベアトリスもそれに続く。
「あたしはシーウェルワインだね。ああ、ブランデーも用意しておいておくれ」
「メルとシャロンはどうする?」
「お任せします! あっ、でもさっぱりしたものがいいです」とメルが言うと、シャロンも「私もです」と答えた。
「分かった。じゃあ、適当に考えておくよ」
空が赤く染まり始めた頃、俺たちは馬たちが厩舎に入れられた後の静かな放牧場で準備を始めていた。
インベントリにいつも入れてある野営用の椅子とテーブルを取り出し、セッティングしていく。
テーブルにはシャロンが用意したチェックのクロスが掛けられ、インベントリから出した料理とグラスが並べられる。
こういったことには手慣れているので、十分ほどでセッティングが終わる。
黒池で獲れたマスのスモークやチーズなど、手っ取り早くつまみになりそうな料理が並ぶ。
「夕日がきれいだし、最初は変わったカクテルでもどうだ?」
「カクテル? お酒を混ぜるあの飲み方?」とリディが首を傾げる。
「甘そうなんだが」とベアトリスはあまり乗り気ではないが、メルとシャロンは「色がきれいでいいですね」、「私は甘いお酒が好きですからあまり強くなければ」と乗ってきた。
「ロングカクテルだからそれほど強くないよ」
そう言って大きめのシェーカーを取り出し、材料を入れていく。
材料はリンゴの蒸留酒であるカルバトスにライム果汁、ザクロのシロップだ。シェーカーの中で軽く混ぜ、味を見てから氷を入れる。氷は魔法を使えばすぐ出せるので、外でもカクテルが作れるのだ。
小気味よくシャカシャカと強めにシェークしていく。
これだけならジャックローズだが、それをよく冷やしたフルート型のシャンパングラスに注ぐ。
「少ないわね」とリディが言っているが、とりあえず無視して五つのグラスに注いでいく。
インベントリからよく冷えた炭酸水のボトルを取り出し、ゆっくりと注いでいく。
「きれいな色ですね」とシャロンが言い、メルも「夕焼けの色みたいです」と言っている。
「なるほどね。夕焼けに合わせたのかい」
ベアトリスの問いに小さく頷きながら完成させる。
茜色の夕日を溶かし込んだような透明感のあるロングカクテルが出来上がった。
「“ラスモアサンセット”とでも名を付けようかな」
ジャックローズのソーダ割りで、もしかしたら名前があるかもしれないが、この世界なら誰も気づかないので問題ないだろう。
「では、乾杯しようか」と言ってグラスを掲げる。
四人も同じようにグラスを掲げると、ポルタ山地に沈む夕日がグラスに溶け込み、更に美しいルビー色になる。
「きれいね。泡が上がっていくところがいいわ」
リディがうっとりとした表情で呟くと、ベアトリスも小さく頷き、グラスに口をつける。
「確かにきれいだね。思ったより甘くないから悪くない」
メルとシャロンもグラスを夕日に翳して楽しんでいる。
「虚無神がいなくなったから、夕日の色まで澄んでいるように見えるわ。あとはルナとレイのことが片付いたら心配事はなくなるんだけど」
リディの呟きにシャロンが「まだエザリントン公爵様のことが残っていますよ」と反論する。
「そうね。でも、あの子たちのことが片付けば、自動的に干渉はなくなるのではなくて?」
「そうかもしれませんが……」
「気にしても仕方がないさ。今はこの時間を楽しもう」
「すみません。私が無粋でした」とシャロンが頭を下げる。
「私が変なことを言ったからよ。ごめんなさいね」とリディもグラスをちょっと掲げて謝罪する。
一杯目を飲み切り、次の酒に移る。
「さて料理を楽しもうか」
「次のお酒は何にするの?」
「発泡ワインだ」
そう言って、新しいグラスにスパークリングワインを注いでいく。
「そのボトルは初めて見るわね」とリディが目敏く言ってきた。
ボトルには透かしで数字が入れてあり、夕日を受けて浮き上がったから気づいたのだろう。
「この間作ってみた奴なんだ。エザリントンの白ワインのいいのが手に入ったから」
「それは楽しみね。でも、ボトルに数字が入っているのはなぜなの?」
「リディが飲む分を管理するのが大変だからな。ちょっとした工夫さ」
「どういうこと?」
「熟成させる時に何番は何年に作った物で三年熟成とか、何番はその翌年で五年熟成っていう感じでリストを作っておけば、ボトルを見ただけで分かるだろ。あれが飲みたいとか一ヶ月くらい前に飲んだのがいいとかって言うだろ。結構管理が大変なんだぞ」
「そうなの……」と目が泳いでいる。いつも言っていることを思い出したのだろう。
「でも、きれいね。どうやって作っているの」と話題を変えてきた。
もう少しからかってもよかったが、その話題に乗る。
「透明なガラスの中に緑のガラスで作った数字を溶かし込んでいるんだ。溶かし込んでいると言っても薄いから強度とかには影響はないんだ」
「相変わらず芸が細かいね」とベアトリスが呆れている。
「おつまみも食べましょう。マスの燻製は黒池亭のじゃなくて私とシャロンが作った物なんですから」とメルが話題を変える。
黒池亭はラスモア村に昔からある宿で、料理が美味いことで有名だ。特に黒池やそこから流れ出るブラック川で獲れる川魚を使った料理は昔からの自慢の一品だ。
美しいオレンジ色のマスの切り身がスライスした玉ねぎとフェンネルなどの香草の上にきれいに並べられ、その上にレモンのスライスが飾り付けてある。
「味もそうだが、盛り付けも上手くなったな」
「いろいろなところで教えてもらいましたから」とメルがはにかむような笑みで答える。
桜のチップでスモークしてあるだけだが、脂の乗りがよく、レモンや香草の香りでスパークリングワインによく合う。
「チーズはシーウェル侯爵様から送られてきたものを参考に村で作った物なんですよ」
以前より豊かになったこともあるが、ドワーフ・フェスティバルで多くの食材が村に持ち込まれたことから、この村の食材のレベルは帝国でも指折りだ。
この近くで一番大きな都市、冒険者の街ペリクリトルでもラスモア村産のチーズや生ハムは高値で取引されると聞いたことがある。
チーズは白カビタイプと青カビタイプの二種類あり、カマンベールチーズに似た白カビタイプを口に運ぶ。
ほどよいミルク感が上質なブリードモーを思い出させ、スパークリングワインのいいつまみになった。
「夕日が沈むわ」というリディの言葉に顔を上げる。
山稜線に隠れていき、朱色の点だけが残った後、太陽が完全に沈んだ。上を見上げると、先ほどより夕焼けの色が濃く、オレンジ色から茜色に変わっていた。
少し暗くなってきたので蝋燭を灯し、テーブルの真ん中に置く。
「そろそろ赤ワインに切り替えないかい」とベアトリスが空のグラスを振る。
「そうだな」
そう言ってインベントリからシーウェルワインを取り出す。ベアトリスがそれを受け取り、コルクを抜いている間にグラスを用意していく。
「料理も出していこうか」と言ってメインディッシュでもあるミートパイを取り出した。
小麦とバターの焼けた香ばしい香りに包まれ、食欲をそそる。
パイは既に切り分けてあり、メルとシャロンがそれを取り分けていく。
「また腕を上げたようね」と座ったままスパークリングワインを飲み続けているリディが褒める。
「ありがとうございます。今回のパイはモリーさんにも褒められたんですよ」
メルがそう言って嬉しそうにカトラリーを取り換えていく。家宰のウォルト・ヴァッセルの妻であるモリーはロックハート家のメイド長で、料理が上手い。メルとシャロンは時間があると料理を習っている。
ベアトリスが赤ワインをグラスに注ぎ、順に回していく。
「これは何年物なんだい?」
「三〇二五年物の十年熟成だ。ちょうど飲み頃だと思う」
ワインは俺の収納魔法で熟成させるため、製造年と熟成期間が合わないことが多い。また、自分たちで飲むためのワインにはエチケットを貼らず、木箱に簡単なメモ書きを貼っているため、ボトルだけになるとどんなものか分からなくなる。
「スパークリングワインと同じようにボトルに番号を振ったらどうなんだい」
「赤ワインはケースごとに管理しているからボトルに番号を振る必要はないんだ」
赤ワインはシーウェル侯から毎年大量に送られており、俺のインベントリにも数百本単位で入っている。そのため、一本ずつ管理せず、一ケース二十四本単位で管理している。
あまりにも多いので、ロックハート家で消費する分以外は村人にもお裾分けしているほどだ。
一方、スパークリングワインは澱引きなどの工程が複雑で、俺の魔法がなければ今のところ作れない。そのため、生産量が少なく、ロックハート家に渡す分以外はほぼ俺のインベントリに入っている。
「それにしてもこいつにはミートパイが一番好きだね」とベアトリスがパイを突き刺したフォークとグラスを掲げている。
「ありがとうございます。このブルーチーズも良く合いますよ」とシャロンがブルーチーズを取り分けて各々の前に置いていく。
「確かに美味しいわね」
リディは気づかないうちにスパークリングワインから赤ワインに切り替えていた。
のんびりと料理とワインを楽しんでいると、空が茜色から藍色に変わり、星が煌めき始めた。
目的の月も東の空に浮かんでおり、白く輝いているように見える。
丘を吹き抜ける風も少し冷えているが、寒さを感じるほどでもなく、心地いい。
料理を食べ終わると、空からは太陽の名残は消え、月と星だけが輝いていた。
空を見上げているシャロンが「きれいですね」と言ってきた。
「月もきれいだが、そろそろゆっくり飲む酒がほしいね」と風情のないベアトリスの声が響く。
その声に苦笑するが、俺もそろそろ別の酒に切り替えようと思っていたので異論はない。
「ベアトリスはブランデーだったな。三人はどうする?」
「私はスパークリングワインがいいわ」とリディがいい、
「お任せします。あまり強いものじゃない方がいいですけど」とメルがいい、シャロンも「私もです」とそれに倣う。
「なら、二人にはまたカクテルでも作ろうか。と言っても簡単なものしか作れないが」
そう言って準備を始める。
「メルにはスプリッツァー、シャロンにはミモザで」
そう言って手早く作っていく。
スプリッツァーはラスモア村の白ワインにソーダを加え、最後にレモンスライスを飾る。ミモザはスパークリングワインに用意しておいたオレンジジュースを同量加え、軽く混ぜるだけだ。
リディにスパークリングワインを、ベアトリスにシーウェルブランデーのロックを渡し、自分用にスコッチをショットグラスに注ぐ。
月が随分と高くなり、銀色に輝いている。
「あまり月を見ていなかったが、これでも月見酒っていうのかね」とベアトリスが自嘲気味に笑っている。
「雰囲気の問題だからいいんじゃないの」
リディはそう言って月に向かってグラスを掲げる。
「こうやって月を飲むみたいにすれば風情もあるでしょ」
その仕草に全員が笑う。
笑いながらこんな平和な日々が訪れたことを神に感謝していた。
本日、さじわ先生作のドリームライフのコミック第1巻が発売です。
第1巻はいかにも“内政物”という感じでまだ大人しいですが、第2巻以降に爆発するためにも、ぜひとも続巻が出せるよう応援をお願いします!
ジャックローズにソーダを加えたカクテルですが、ジャックローズのレシピ通りでは結構甘いです。
ライムをレシピより多めにし、グレナデンシロップを抑えると割と美味しいと思います。
名前は調べたのですが、分かりませんでした。知っている方がいらっしゃいましたら教えてください。




