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・星を見ているだけだ

 母さんが持たせてくれたゴボウのぬか漬けを抱えて、真っ暗闇の住宅街をクロナと一緒に歩いた。

 ふと頭上を見上げれば寒々しい鱗雲が星々を包み隠し、青い月光が明転させている。


「与一のママって超やさしくない? うちもああいうママが良かったなぁ……」

「そうか? しかし家出娘が言うと、ちょっとした重みがあるな」


「へへへ、そうでしょ……」


 朧月の下で、クロナが静かにうつむいて半笑いで言葉を陰らせた。

 誰もが思い出したくない現実を、記憶の奥底に追いやって生きている。俺は返答を間違えてしまった。


「ん……与一にうちのママのこと愚痴りたくなったけど、やっぱり止めとくっ。もっと楽しい話しようよっ!」

「愚痴ならいつでも聞くぞ。ただ家出の理由が解決してしまうと、こちらとしては部屋が開いて困るが……」


「出て行く気なんてないよっ!」

「だったらずっと居てくれ。こっちとしても助かるから」


 彼女から顔をそむけると、金色に輝く一番星が雲の狭間にたたずんでいた。


「与一、こっち向いてよ」

「嫌だ」


「ふふ……。そんなに照れるなら言わなきゃいいのに……」

「照れてない。星を見ているだけだ」


 男ってバカだ。今日一日でクロナがさらに魅力的に見えるようになってしまった。

 原因はあのメイド服姿で、あの時見せてくれたウィンクや営業スマイルが頭から離れなかった。



 ●◎(ΦωΦ)◎●



 スニーカーを脱いで居間の引き戸を開くと、昨日までそこに2つ置かれていたアンプが1つに減っていた。


 いや、異変はそれだけではない。

 茶畑さんが紺色のキッチリとしたスーツ姿に変わっていた。


「あれ、おっさんそんな格好でどこ行くの?」

「まあちょっとな。アンプは直しておいたぞ。差額はありがたく頂戴したから遠慮しないで持ってけ」


「わー、ちゃっかりしてるね……」

「別にいいんじゃないかな、タダより高い物はないって言うし」


 茶畑さんはネクタイを締め直すと、名残惜しそうにアンプの外装を撫でた。

 昨日まで悪戦苦闘していたのを俺たちも知っている。


「いやぁ……なかなか勉強になったわ。スピーカーもだが、学園祭で使うって言ったら、みんな値引きしてくれるんだから面白いもんだな。こんな世知辛い社会だが、まだまだ捨てたもんじゃないわ……」


 大人は大変だ。だけど大人は凄いと俺は思った。

 俺の深読みでなければ、茶畑さんは何かに吹っ切れたかのようで、服は地味になっていたけど今まで以上のイケメンに見えた。


「で、黒那はなんのバイトしてたんだ?」

「うっ?! よよよっ与一っ、それっ言っちゃダメだからねっ!? 絶対ダメッたらダメッ!」

「安心しろ、とても言いたくても言えない」


 メイドカフェに行ったと、この不良中年にバラしたらからかわれそうだ。


 クロナのメイド服姿は、自由奔放な普段のクロナを知っているせいか、ギャップ受けという現象を俺の中で引き起こした。

 青少年の深い部分に、クリティカルで突き刺さったと言い換えてもいい。


「ま、仲良くな。おっさんもがんばってくるわ」

「お、とうとう認めた?」


「おう、こう何度も言われたらな。もう好きに呼べ」

「そうするっ、うちらおっさんのこと応援してるからね!」

「今の茶畑さんなら大丈夫ですよ。俺たち茶畑さんを尊敬してますから」


 事情はわからないけど、おっさんはこれから大事な用件があるようだ。

 俺たちは彼を励まして、彼の背広姿を見送って、普段の生活へと戻った。


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