縺れた糸も
父も母も年を重ねた。私も美幸も保護されるべき子供ではなくなったのだ。
「父さん、私離れて暮らしていいの? イライラしたり、落ち着かない心地が続くかもしれないよ」
彼が、自身の感情を制御できるとは思えない、きっと不安定になるだろう。
「これまで通り暮らせば、わしの心は満たされるかもしれない。だが娘をストレスの捌け口にし、自分だけの城の主でいる状態が、幸福だとはもう考えられん」
父が自分の在り方について疑問を持つなんて、全く考えてなかった。とにかく自分が一番正しいと信じて生きている人だった。
「私、父さんは一生大切なことに気付かないで、朽ちていくんだって思ってた」
「わしに酷い言葉を投げつけるんだな、幸」
父は寂しそうに笑った。
「自分の胸に聞いてみるといいよ」
彼の胸に刺さればいいのにと、棘のある言葉を吐く。大人になりきれない自分がはがゆい。
「それだけの仕打ちをしてきたもの。私たちも覚悟してきたわ、幸もう我慢しなくていいのよ」
一番我慢してきたのは母だった。彼女なりに最善を尽くしてくれていたのだと今は思う。
「ごめん言い過ぎた、母さん。二人にも言い分があっただろうに、私は自分のつらさしか知ろうとしてなかった」
「いいんだ。わしがみている世界が全てではないと、お前や美幸が気付かせてくれた。気が付くのにずいぶん時間がかかってしまったがな。また四人で暮らしたいなんて虫のいいことも考えた。だがわしは家族という繋がりに甘え、またお前を傷付けるだろう。そうでしょう、長谷川先生?」
父の問いかけに、静かに家族のやりとりを聴いていた先生が口を開く。
「残念ですが、その可能性が高いです。距離があるからこそ、より良い関係が築けることが、家族の問題については多いです。小野田さんが自立するのには、まだ時間がかかります。これからも、ご家族の支えや愛情が必要です。みなさんは大きな分かれ道に立っていると考えます。よい方向に進むため、お互いの存在が気づきになるはずです」
先生は厳しい表情だったが、声音はどこか柔らかかった。
「先生、私家族は必要ないなんて、ばちあたりな考えを持っていました。でも、デイケアで訓練して、作業所で働いて気付いたんです。父さんは大変な思いで家族を養ってくれていたんだなって。頭で理解しようとしていたことに、やっと心が追い付いた気がします」
「幸。お前がそう思ってくれているだけで、わしは救われるよ」
父が擦れた声を震わせて言った。
「父さんへの拒絶反応も生理的な嫌悪感も消えないと思う。だから、正直実家に戻らなくていいという言葉はありがたかった。こんな不遜な子供でごめん」
傷つけるかもしれないが、偽らずに家族に接したかった。
「子供は、迷惑や心配を親にたくさんかけていいの」
母がはっきりと言う。
「態度だけはいっぱしだったが 、わしが家族のなかで一番子供だったんだろう」
「そう、大きな子供ね。それだったら、私も母親にはなりきれていなかったわ」
やっと両親との距離が縮まった気がする。
今回の面談でこれだけは言っておきたかった言葉がある。これまで決して言えなかった。
「お父さん、お母さん、育ててくれてありがとう」
神妙に二人に向け私は発した。父がぎこちなく笑う。
「お前が、生きてくれれば、それだけが願いだ 。わしらの元へ来てくれてありがとう」
「もう結婚式の挨拶じゃあるまいし。これで終わりじゃないんですよ」
母の目尻には涙が光っていた。私は黙って頷く。
複雑に絡まった糸も最初から縺れていたわけではなかった。そして絡まっても、また解けるのだ。
朝から降り続いている雨は、小雨になった。




