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自分の幸せ

「失礼いたします。ビクトル様、私に何か……」


 食堂に入り用を聞こうと顔を上げると、ビクトル様とリオナの前に座っているレインさんと目が合った。


「今日は珍しく終わりの時間が一緒だったレインが来てくれたんだ。アイリスも一緒に食事をどうだ?」

「いえ、それはできません」


 さすがに侍女が主人と共に食卓を囲むわけにはいかない。固辞すると、その答えを承知していたかのようにビクトル様が頷いた。


「それでは食後に応接室を使ってレインの相手をしてやってくれ」

「……かしこまりました」


 私は礼をして一度食堂から下がる。レインさんへのお茶を用意しようと厨房へと向かった。


「一緒に食事はしないの?」


 厨房にいたマリーさんにそう話しかけられて驚く。マリーさんとは最低限の会話しかしたことがなく、こういうことを聞かれると思っていなかった。


「もちろんです。主人と食卓を共にするなどあり得ませんから」

「そうね」


 会話が終わったかと思いきや、マリーさんは立ち去らずに私の前に立ったままだ。


「レイン様とずいぶん仲がいいのね」

「仲がいいというか、私の実家の食堂の常連さんで、恩人でもあるんです」

「恩人?」

「話すと長くなるのでいつかお話させてください」

「……そう」


 マリーさんはどことなく不満げな様子を見せながら、配膳のために厨房から立ち去っていった。私は水桶から水を汲むと、それを鍋に入れて火にかける。


「レイン様は麗しい容姿の方だから、女性になら誰にでも嫉妬されるのでは?」


 急に隣のカメリアに話しかけられて、私はさらにびっくりした。カメリアともろくな話をしたことがない。


「マリーさんも?」

「歳を重ねても女性は女性でしょう」

「そういうものかしら」


 前世の私は結婚で失敗したということもあって、亜子が生まれてからは恋愛とか誰かをかっこいいとか思ったことがなかった。思い返してみれば、前世の同年代でも既婚未婚に限らず異性に興味があり続ける人も何人もいた。


「でもカメリアはそうではないのね」


 私がそう指摘すると、赤い瞳が私を捉える。こうしてしっかり目があったのは初めてのことだ。


「カメリアは私とレインさんのことを気にしている風でもないし、レインさんに会いたいと頻繁に食堂へ行ったりしていないもの」

「ふっ……」


 カメリアはふっと息をもらすように小さく笑った。


「例外もいるということね」


 ビクトル様達の夕食が終わるとレインさんだけが応接室に移動した。二人きりになったので、私はお茶の用意を終えるとレインさんの友人として向かいの椅子に座らせてもらう。


「仕事は順調か?」


 私が座るや否や挨拶もなくレインさんにそう尋ねられる。


「ビクトルにこき使われたりしていないか?」

「大丈夫です」


 心配性のレインさんに少し笑ってしまってからしっかりと否定した。


「ビクトル様は屋敷にいらっしゃることは少ないですし、寝るだけに帰ってくるような日も多いですからそもそもそんなに関わっていないんです。日中はリオナ様の身の回りのことをさせていただいていますが、リオナ様も多くを望まれる方ではないので。やることは多いですが楽しくやれています」

「……そうか」

「ありがとうございます、心配してくださって」


 本当にレインさんは優しい人だ。レインさんが口添えしてくれなければ、私はここにいることもリオナと再会を果たすこともできなかっただろう。


「初任給が出たら何かご馳走させてくださいね」

「そんな……いや、わかった」


 一度断りかけたレインさんだったが、何事かを考えて承諾してくれた。


 その後は最近の坂の上食堂の様子や兵士の仕事についてなど当たり障りのない話をして、最後はレインさんを門まで送って別れた。この屋敷は北の砦の割と近くにあるので、これから時々夕食を食べにくると言ってくれた。


 この屋敷の関係者の中でレインさんは坂の上食堂での私を知っている唯一の人だ。会いにきてくれるとホッとするし、嬉しくもある。


 温かい気持ちで屋敷へ戻ると、今度はリオナに部屋に呼び出された。お茶を持って部屋に入ると、リオナはなんだか興味津々な顔で私を待ち受けていた。


「ねえママ! さっきのイケメンとはどういう関係なの!?」

「どういう関係って……」


 さっきマリーさんにも似たようなことを聞かれた。カメリアに言われたことが頭をよぎる。


「リオナもレインさんのことが好きなの?」

「人妻に聞く質問じゃないよ、それ」


 リオナは口を尖らせた。


「それに私、人のものを奪ったりしないもん」

「人のものって……私とレインさんを恋人か何かだと思ってる? そんなんじゃないよ」

「ママはレインさんのこと何とも思ってないってこと?」

「今さら私に恋愛なんてできるわけがないじゃない」


 元夫の顔が浮かんで思わずため息をつく。


「私には恋愛も結婚も向いてないの。一回失敗してわかったから」

「それは……」


 私が何のことを言っているのかわかったのだろう、リオナの表情も曇る。


「でもそれって前世の話でしょ? 今のママは十六歳のアイリスだよ? 一度も結婚したことのない、かわいい女の子だよ」

「見た目が変わったからって中身まで変わったわけじゃない。リオナだってそうでしょう? この世界で十六年生きてきたとはいえ、性格が大きく変わったわけじゃない」

「でも……」


 いつまでも不満そうなリオナに諭すように言う。


「私はね、不器用なのよ。できることが限られるの。子供が生まれたら子供のことに一生懸命になってそれ以外は配慮することすらできない。大切なものをいくつも抱えて生きられる人じゃないの。そんな性格なのに好奇心は旺盛で次から次へとやりたいことが出てくる。だから私は恋愛をしてはダメな人間なのよ。相手に失礼だわ」


 結婚で一度失敗して身に染みたことだった。私は誰かを大切にできるような器はない。だからもう二度と恋愛はしないのだ。


「そんなママでもいいよって言ってくれる人がいるかもしれないじゃない!」


 リオナはなぜか瞳に涙を溜めて声を荒げた。


「パパとは合わなかったのかもしれないけど、自分の幸せは自分で掴む! パートナーには頼らない! っていう自立した考えの人もいるはずよ! ママはそういう相手に巡り会えなかっただけ。せっかく生まれ変わったんだから自分の幸せもちゃんと考えてよ!」


 リオナの必死の訴えに胸を打たれる。いつまでも幼い子供だと思っていたリオナにこんな立派に反論されるなんて。


「初めから諦めるのはやめて! ちゃんと相手を見てから考えてよ」

「そう……ね」


 私がリオナに幸せになってほしいように、リオナも私に幸せになってほしいのかもしれない。だとしたらちゃんと真剣に向き合うべきなのかもしれなかった。


「考えてみる」

「考えることもないでしょ! ただ前向きになればいいの」

「歳とってから自分の考えを変えるのはなかなか難しいのよ」

「ママ、私と同い年でしょ!」


 そう突っ込んでくれたリオナの顔に笑顔が戻る。生まれ変わってもリオナと再会できてよかったと心から思う。


 亜子を産んで、本当によかった。その機会をくれた恋愛や結婚を、私は忌避しすぎているのかもしれない。

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