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出会い、もしくは再会

(あの子は私の娘だ)


 そう確信した瞬間、記憶がすべて蘇った。



 明るい薄曇りの日の朝だった。


 父に頼まれて朝採れの新鮮な白身魚を仕入れた帰り道。昔からなぜか今日のような空が好きな私は気分良く大通りを歩いていた。


 何を考えるでもなく、忙しそうに通りすがる人々や野菜を売るお店など普段通りの大通りの様子を眺めていると、ふと異質なものが目に留まる。


 最近できた大きな庭のある飲食店の前に馬車が停まっていた。馬車はよく見る幌馬車ではなく、扉や屋根があり豪華な装飾まで施されている四輪の馬車だ。どう見ても私には縁もゆかりもない、高貴なご身分の方の馬車だろう。


 ちょうど御者が恭しく扉を開けたところだった。通りの人もどんな人の馬車なのかと、足を止める人が何人もいる。


 私もつられて足を止めた。いつもなら興味がなくてさっさと通り過ぎてしまったかもしれないが、機嫌が良かったからかほんの気まぐれだ。


 建物の中から華奢な女性が出てきた時、私の心臓がギュッと掴まれたかのような感覚がした。


 女性は雲の途切れた隙間から覗く太陽のような美しい黄金色の髪の毛を靡かせて馬車に向けて歩いている。庶民の私には見慣れない繊細なフリルのついた淡いピンクのワンピースを纏っていた。


 肌は透き通ってしまいそうなほど透明感があり、まつ毛は長く、鼻も高い。髪の毛と同じ黄金の瞳は同じ女性でも見惚れてしまうほど美しかった。


 大通りの人もざわつく程の美しい女性は、明らかに庶民の私とは別世界の高貴な方で、私も初めて見るお方──のはずだ。


 はずなのに。


「亜子……?」


 私は意識することなくこの名前を呟いた。その瞬間、頭の中にぶわっと過去の──前世の記憶が流れ込んでくる。


 私の名前は長谷川涼子。どこにでもいる普通の主婦が、離婚により再就職。


 ママ友付き合いをこなしながらシングルマザーで一人の娘を育てていた。その名が──長谷川亜子。


 私のこの世で一番大切なたった一人の娘だ。


「亜子……っ!」


 日本人の両親から生まれた亜子は目の前の黄金色の髪の毛の女性と容姿が似ても似つかない。それなのに、わかる。


 この目の前の女性が私の娘、亜子だと。


 理屈じゃない。でも、わかる。


 だって私はこの子を産んだ母だから。


「あ……」


 こちらを見ることもせず馬車に乗り込む亜子に手を伸ばす。亜子に触れたい。話をしたい。


 そんな願いも虚しく、御者が馬車の扉を閉める。慌てて馬車へ向かって歩き出すも、見物人がいつの間にか増えていて思うように歩けない。


 御者が御者台へと乗り込むと、ゆっくりと馬車は動き出す。


「亜子……!!」


 当たり前のように隣にいた私の娘、亜子。幼い時は手を繋いでいつも側にいた。


 それなのに、なぜ今はこんなに遠いの──


 必死になって呼びかけても私の声が届くはずもなく、無情にも馬車は走り出し、瞬く間に通りの奥へと去って行ってしまった。


 周りにいた見物人達も馬車がいなくなるとその場から潮が引くように立ち去ってしまう。


(いけない……っ!)


 咄嗟に私は近くにいた中年の女性に声をかける。


「すみません、さっきの方はなんていうお名前の方なんですか?」


 中年女性は足を止めて少し驚いた顔をした。


「知らないの? あの方はラインデル侯爵の二人目の娘、リオナお嬢様よ」

「リオナ……様……」


 私の、涼子ではなく今世の私、アイリス・アトランとしての記憶を辿る。リオナ・ラインデル。ラインデル侯爵……なんだか聞いたことはあるような、ないような。


 私は自分自身の世間への疎さを呪った。定食屋の看板娘でありながら、私は内向的で世間に興味がない。自分の半径1メートルのことさえ把握していれば満足するような性格だった。


 私がぼんやりとしているうちに中年女性は立ち去っている。


 リオナ・ラインデル。亜子は今どんな人生を歩んでいるのだろう。私の娘は幸せでいるのだろうか。


 侯爵家のご令嬢なのだから、定食屋の娘である私より遥かに裕福で食うには困っていないだろう。蝶よ花よと大切に育てられたのだろうと想像はつく。


 だが、彼女が本当に幸せなのか、それは彼女自身しか知らない。裕福だからといって幸せとは限らない。


「知らなきゃ」


 私は彼女の母だ。正確には今世では母ではない。私はまだ16歳の小娘で、妊娠はおろか結婚すらもしていない。


 ただ、彼女は前世で私の大切な娘だった。娘の幸せを守るのは母親であるべきだ。例え今世は他人で手が届かないような身分差があったとしても。


 それに、ただ会いたい。話をしたい。


 私はギュッと籠バックの持ち手を握り直す。


 娘への使命感と渇望。私の頭にあるのはそれだけだった。


 弾けるように私は走り出す。今の私にできることをしなければ。


「ただいま!」


 息を弾ませて店に帰る。


「父さん!」


 私はカウンターの中にいる今世の父親、メイデンに声をかけた。


「アイリス、おかえり」


 深みのある低音の父が私を少し驚いた顔で見る。おそらく父親に似て寡黙な私が勢いよく帰ってきたから何かあったのかと案じてくれているのだろう。


 だが、今の私にそんなことをいちいち説明している気持ちの余裕はない。


「ねえ父さん! リオナ・ラインデルって知ってる?」

「まぁ……名前くらいは」

「どんな子なの!?」

「どうしたんだ急……」

「いいから!」


 私は父の質問を遮って答えを促す。何か言いたげな父は、それを飲み込んで答えてくれる。


「たしか……アイリスと同じ16歳だったんじゃないか? 女学院に通っていたとか……もう卒業しているかもしれないが」


 女学院とはこの街、ロジール唯一の女学院のことだろう。高位な身分の人しか通えない、私には縁のない場所だ。やっぱり住む世界が違いすぎる。


「ラインデル侯爵家ってどんなご家庭なの? 仕事は?」


 まるで娘を嫁に出すような気分だ。どんな家で暮らしているのか、ご両親はいい方なのか、知りたいことが山ほどある。


「ラインデル侯爵は国の医局を取りまとめる長だよ。だからラインデル侯爵は王都に住んでいるはずだ。王都とロジールは川を隔てはいるがそう遠くはないから時々見かけることはあるけれど」

「医者ってこと?」

「ラインデル侯爵自体が医術に長けているわけではないはずだ。医局を取りまとめて管理する、役人と言った方が近いだろう」

「ふうん」


 スケールは掴めないけれど、やんごとないお人だということはわかる。特にロジールの街では一二を争うくらいのお金持ちなのではないだろうか。


 亜子はすごいところの娘に転生したものだ。本当に彼女が幸せかどうかまではまだわからないけれど。


「もしリオナ・ラインデルについて何かわかったことがあったら教えて? 噂でもなんでもいいの」

「アイリス」


 父が厳しい顔で私を見る。これは怒っている時の父の顔だ。


「何があったのか知らないが、あまり侯爵のことを探るのはよしなさい。身分が違いすぎる。何か企んでいると思われて捕らえられたらどうする。それができる身分の人なんだぞ」


 いつも寡黙な父の厳しい言葉は堪える。私が娘を想うように、父もたった一人の家族である私の身を案じてくれているのだ。


「そうだよね」


 ここは日本ではない。この国、ヴァルダーナ王国では法律というものはなく、偉い人の一言で人が殺されるようなそんな国だ。


「十分に気をつけるよ」

「気をつける、ね」


 父は渋い顔をする。


「私はラインデル侯爵を害したいわけじゃない。リオナ様を一目見て憧れてしまっただけ。どんな方なのか知りたいの」


 父に嘘をつくのは申し訳なかったけれど、100%嘘というわけでもない。私がリオナを大切に想う気持ちだけでも伝えたかった。


「作業の手を止めさせてごめんなさい。お魚買ってきたよ」

「……ああ」


 私が籠をずいっと父に差し出すと、父はそれを渋い顔のままで受け取る。


「お店を開けるまで部屋で休んでくるね」


 私は何か言いたげな父を置いて居住スペースのある二階へと階段を登った。

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