30~31日目
ロキオ殿下からの告白は私に大きな衝撃と動揺をもたらした。
「あ、あい……?」
初めて知った単語でもないのに、私の頭はその言葉を理解できなかった。
するとロキオ殿下は、事もなげに言い直してくれる。
「愛している」
「あ……」
「愛している」
「も、もういいです……」
じわじわと顔が熱くなる。私はロキオ殿下の方を見ていられずにうつむいた。
心臓の鼓動が大きくなって、耳の中でもドクドクと音がしている。このまま爆発してしまいそうだ。
(愛してる? ロキオ殿下が私を? 一番大切に想ってる?)
私はおそるおそる顔を上げてロキオ殿下を見た。殿下は相変わらず、人が変わったのかと思うくらい甘い顔をしてほほ笑んでいる。
「い……いつから……」
ちゃんと敬語を使ってしっかりした文を喋ろうとしているのに、頭が回らず、思ったように言葉が出てこない。
しかしロキオ殿下は私の質問の意図を理解して、こう答えた。
「いつから? そうだな。自分でもよく分からない。いつからエアーリアに惹かれていたのか。はっきり自覚したのはついさっきだ。『エアーリアは私にとっての一番なのだ』と、自分の本心が勝手に口をついて出てきて、ああそうだったのかと思った」
ロキオ殿下は恥ずかしそうな様子も見せずに、あっけらかんと言う。
どうしてそんな普通にしていられるのだろう。
殿下は機嫌よく言った。
「誰かを愛するという事は、結構気分がいいものなのだな」
そして私の方を意味ありげに見て続ける。
「これでエアーリアも私の事を愛してくれたら、もっと気分がいいのだが」
「わ、私は……」
思わずロキオ殿下を見上げる。急にこんな事を言われても、冷静に自分の気持ちを探れない。さっきからずっと頭が混乱している。
けれど私とは反対に、ロキオ殿下は落ち着いていた。私の胸元を指差して言う。
「そのブローチ、お前は何故そんなに大切にしてくれている?」
「これは……殿下に頂いたものですから……私がお仕えしている主人に」
「本当にそれだけか? 主人に貰ったものだから毎日つけて、廊下に落としていないか気にして、壊されそうになれば危険も顧みずに止めに行くのか? 私に貰ったものだからじゃなく?」
「分かりません……」
そう言われると、本当に分からなくなった。
ロキオ殿下の事は、もちろん嫌いじゃない。意地悪そうに少しつり上がった目も、綺麗な青い瞳も、自信ありげで高慢なところも、意外と優しいところも、たまに少し寂しそうなところも、全部――
(全部……)
その続きを知るのが怖い。
だって、私が第三王子の恋人になるなんてあり得ない。
「殿下、よく考えてください。私では殿下に不釣り合いです。身分的にも……」
「そんな事はないだろう。アビーディー伯爵家は元々王族だし、今も力のある貴族だ。名ばかりの公爵家の令嬢と結婚するよりエアーリアと結婚した方が王家としてもメリットはある」
「け、結婚って」
「だが、私の気持ちとしては、エアーリアが何者であれ関係ないがな」
恋人というだけでも頭が追いつかないのに、ロキオ殿下はもう結婚の事まで考えているのか。
もちろん私も立場的に何度も恋人を作ったり別れたりできないので、結婚まで考えてお付き合いをするつもりだけど……。
(ん? ちょっと待って。……結婚?)
脳裏に、扇子を広げて笑う王妃様の顔がよぎる。
そこで私はやっと、大切な事を思い出した。
(そうよ! ロキオ殿下には婚約者がいるのに……!)
すでに隣国サベールの王女様には話が行っていて、相手はロキオ殿下との結婚に乗り気だとか。
けれど殿下自身はまだこの事を知らない。知らずに、私の事を好きになってしまった。
これじゃあ、王妃様の計画通りに進んでしまっている。
(私は殿下の想いに応えられないから振る事になり、傷ついた殿下をサベールの王女様が癒やす。そうすれば最初は結婚に乗り気じゃなかったロキオ殿下も段々と王女様を好きになっていき……)
二人は幸せな結婚をする――。
私は口を開いたまま固まった。殿下が不思議そうな顔でこちらを見ている。
可愛らしい王女様とロキオ殿下が並んで立っている姿を思い浮かべると、胸がちくちく痛んだ。
さらに二人がキスをしている光景なんて想像したら、ナイフが心臓に刺さったみたいに鋭く痛む。
(どうしよう……すごく嫌だ)
ロキオ殿下が誰かと結婚するなんて。
私は目の前に立っているロキオ殿下を見上げた。顔は動かさず、目だけを動かして。
殿下は私と目が合うと柔らかくほほ笑んだ。この笑顔が他の女の人に向けられると思うと嫉妬してしまう。
(私もロキオ殿下が好きなのかもしれない……ううん、きっとそうだ)
でも、それが分かったとしても何にもならない。苦痛が増すだけだ。
何故なら、私はロキオ殿下とは絶対に恋人にも夫婦にもなれないんだから。
サベールの王女様にはもう話が伝わってしまっている。これを反故にすれば国際問題になりかねない。
(だから私はロキオ殿下を受け入れる事はできない)
十分くらい黙って固まっていたような気がしたが、実際は一分も経っていなかったと思う。
私は氷が溶けたかのようにまばたきをし、息を吐いた。心はまだ冷えたままだったけれど、ロキオ殿下を見て言う。
「殿下、私ではやはり殿下とは釣り合いません。殿下のお気持ちはとても嬉しいですが、私では無理です」
震えを抑えながら、なるべくしっかりした声を出した。自分の気持ちと反する事を言うというのは、なかなか辛い。
「私はロキオ殿下の事は好きではないので受け入れられません」と言うのが一番手っ取り早く、ロキオ殿下も諦めやすいと思うのに、どうしても嫌いとは言えなかった。
「エアーリアは頑固だな」
ロキオ殿下は、めげている様子はない。それどころかずっと淡くほほ笑んでいる。
「だが私も、お前が素直に受け入れるとは思っていない。私が愛を伝えても、結婚してくれと言っても、絶対に遠慮するだろうと思った。私はエアーリアの事をよく分かっているからな」
「殿下……」
「だからゆっくり、時間をかけて口説き落とす事にする」
「え」
ロキオ殿下は右手で私の左手を、左手で私の右手を握ると、自信たっぷりに続ける。
「お前も私を好きなはずだ。それを分からせてやろう」
はははと高笑いすると、私の手を片方握ったまま屋敷の中へ戻っていく。
「で、殿下……! 諦めてください……!」
私がロキオ殿下を好きな事はもう自覚していますから、と思いながら、私は半泣きで叫んだのだった。
翌日。フルートーを発つ日がやってきた。
ロキオ殿下やスピンツ君はまた来月も来るからと思っているのか、玄関の外まで見送りに出てきてくれたクロッケンさんやセオさん、サラさんともあっさりとした別れの挨拶を交わすだけ。
けれど私は、来月はもう来ないかもしれない。いや、来ないつもりだ。
王妃様に言って、ロキオ殿下の侍女を辞めさせてもらうから。
「エアーリア」
サラさんたちにお世話になったお礼を言っていると、ロキオ殿下が優しく私を呼んだ。そして「もう行くぞ」と言って、手を支えて先に馬車に乗せてくれる。
馬車の中では、私は進行方向に対して反対向きに座ったのだが、殿下は私の手首を引いて自分の隣に座らせた。
「わ、私はスピンツ君の隣で大丈夫です」
「そうか。まぁ向かい合って座ってもエアーリアの顔がよく見えていいな。王城に着くまでずっと眺めている事にしよう」
「……殿下の隣に座ります」
私はロキオ殿下の侍女を辞める。絶対辞める。だってこんな状況で侍女は続けられない。
こんな、甘い空気を垂れ流して私を甘やかすロキオ殿下の隣では。
「なんか、いつの間にかいい雰囲気になっていて僕も嬉しいです」
ロクサーヌを抱えて最後に馬車に乗り込んできたスピンツ君がにこにこしながら言う。ロクサーヌはスピンツ君の抱っこを信用していないのか、落とされる前に慌てて殿下の膝の上にぴょんと飛び乗ってくる。
「いい雰囲気になんてなっていません」
私はむきになって言ったのだった。




