16日目(1)
ロキオ殿下に挨拶をするため、父が城にやって来る日になった。予定の時間近くになると、私はそわそわと落ち着かない気持ちになる。
そして悪い事に、私が不安に思っていた事は現実となってしまった。
父を迎えに玄関へ行ってくれていたスピンツ君が一旦戻ってきて、こう言ったのだ。
「アビーディー伯爵様が来られました。ご子息のミリアン様、ご息女のミシェル様もご一緒です」
「え?」
双子の弟と妹の名前を聞いて、思わず目を見開いた。
将来はアビーディー家の当主となる弟を連れて来るのは分かる。父は二年ほど前からミリアンをなるべく色々な場に連れて行くようにしていて、人脈を築かせたり、仕事を覚えさせたりしているから。
(ミシェルにも会えるのは嬉しいけど……)
ちらりとロキオ殿下を見て思う。殿下は私と妹を比べるだろうか?
「予定通り〝白の間〟にお通ししておきました」
「分かった。すぐ行く」
スピンツ君が先に白の間に向かって廊下を駆けていくと、ロキオ殿下も書類仕事を中断して立ち上がった。
しかし扉の方へ向かう時にふとこちらを見て足を止めると、固まっている私に対して訝しげに片眉を上げる。
「おい。行くぞ」
「あ、はい……」
「どうした? 家族と会えるというのに、嬉しそうじゃないな」
「そ、そんな事ないですよ! 家族に会えるのは嬉しいです、本当に」
慌てて笑顔を作るが、ロキオ殿下はそんな私の顔をじっと眺めた後、おもむろにこちらへ手を伸ばしてきた。
私は自然とその動きを目で追う。
と、ロキオ殿下は突然私の頬をふにっとつまんできた。
(……!?)
ロキオ殿下らしからぬ行動に目を丸くして驚愕しつつも、つままれた頬が軽く痛んだので涙目になった。
「で、殿下、なんれふか……?」
困惑しきっている私の顔を見ると、ロキオ殿下は意地悪なほほ笑みを口元に浮かべて手を放した。
「な、何なんですか?」
「行くぞ」
殿下は何の説明もせずにこちらに背を向けて部屋を出て行く。
「何なの……?」
三度目そう呟いてから、私はロキオ殿下の後を追った。
〝白の間〟は、城にいくつかある迎賓室の一つだ。別に調度品が白色で揃えられているという事はなく、ただ東の窓から朝日の白い光が入ってくるから白の間と名付けられただけらしい。
「殿下、ご無沙汰しておりました」
部屋に入ると、ソファーに座っていた父と弟、妹は立ち上がり、まず父がロキオ殿下に挨拶をした。
「アビーディー伯、よく来てくれた。元気そうだな」
ロキオ殿下は少しだけ親しみやすい雰囲気を出して、握手のために手を差し出す。
国王陛下は付き合いが長い父の事を気軽に名前で呼んでくださるが、ロキオ殿下は父と親しいわけではないのでアビーディー伯と呼んだ。
身内の贔屓目かもしれないが、父はとても紳士的だし、中年になった今も服などに気を遣っていておしゃれだと思う。
灰色がかったプラチナブロンドの短い髪は後ろに撫で付けて整えていて、本人は最近段々とおでこが広くなってきていると嘆いているが、娘としてはそんなに気にならない。
「おかげさまで元気にやっております。殿下もお変わりないようで……おや、お怪我を?」
「ん? ああ、そうだった。大した怪我じゃない」
殿下は指に包帯が巻かれている右手を引っ込めて左手を出し、父と握手をする。
そしてロキオ殿下がちらりとミリアンを見ると同時に、父は息子を紹介した。
「息子のミリアンです」
「何度か会った事があるな。いくつになった?」
「はい、今年で十七歳になります、ロキオ殿下。またお会いできて嬉しいです」
ミリアンは自然にほほ笑んで言った。美少年とは、こういう子の事を言うのだろうと自分の弟を見て思う。
両親に似たプラチナブロンドの髪はさらさらで、肌は白く、男の子にしては少し小柄で可愛らしい感じだ。
最近やっと私の身長と並んだと喜んでいたが、本人はもっと大きくなりたいらしい。
確かに背の高いロキオ殿下と並ぶと圧倒的に見下ろされている。
「隣りにいるのが次女のミシェルです。ミリアンとは双子なのです」
「ああ、覚えている。目立つ双子だからな」
父の紹介を受け、ミシェルはスカートを軽く持ち上げて、可愛らしく頭を下げた。
ミシェルの髪も綺麗なプラチナブロンドで、リボンのついたくるくるふわふわの巻き毛は背中の半ばまで伸びている。
顔立ちはミリアンとよく似ているが、ミリアンよりも可愛らしく、体型も華奢だ。丸い瞳はいつも明るく、化粧をしなくても頬はほんのりピンク色に染まっている。
ミシェルはロキオ殿下への挨拶を終えると、私の方に向き直って、花がほころぶような笑顔を浮かべた。
「姉さま、お久しぶりです!」
「ミ、ミシェル……」
こちらに飛び込んでくるミシェルを受け止め、抱きしめる。ロキオ殿下の前だというのに困った妹だ。可愛くて叱れないからさらに困る。
「ミシェル、顔を見せて。元気だった?」
「もちろん! 私から元気さを取ったら何も残らないもの!」
「言えてる」
遠慮ない言葉を放ったのはミリアンだ。二人は双子だけあってとても仲が良い。
「姉さん、この間ぶり」
そして腕を広げてこちらへやって来たミリアンとも抱擁を交わす。昔は姉さまと呼んでくれていたのに、最近では大人になって、そんなふうに呼ぶのは恥ずかしいようだ。
けれど昔と変わらず私を慕ってくれている。
「姉さまの前だから格好つけちゃって」
「そんな事ないよ」
今度はミシェルがからかうように言い、ミリアンが恥ずかしそうに反論した。
二人はお互いに遠慮をしないので、昔からよく喧嘩をしては、私や母に「僕は悪くない!」「私は悪くないの!」と泣きついていた。
それでも毎回すぐに仲直りしてまた二人で遊ぶようになるので、喧嘩をしていても何も心配はいらないのだ。
「エアーリア」
「父さま」
双子の後には、にこにこと嬉しそうに笑っている父とも抱擁し、お互い元気である事を確認し合う。
今は家を離れて暮らしているから、こうやって数カ月ぶりに会うと、自分の家族はなんて素敵なんだろうと改めて思ってしまう。
ここにはいない母も含めて、皆優しいのだ。
私はまるで白鳥の群れに紛れ込んだ黒いアヒルのようだけど、除け者にする事なく、白鳥として――家族の一員として扱ってくれる。
愛すべき私の家族。
――私がこの世で一番、大切に想っている人たち。
「母さまも元気でいる?」
「ああ、変わりないよ。今日も一緒に来たがっていたが、全員で詰めかけてもロキオ殿下のご迷惑になるかと、留守を頼んだんだよ。ミシェルにも留守番をしてもらおうと思っていたんだが、久しぶりにエアーリアに会いたいと言って聞かなくてね」
「だって心配だったんだもの!」
そう言って、ミッシェルはロキオ殿下に気づかれないよう、殿下の方にちらっと視線をやった。
あまり良い評判を聞かないロキオ殿下の侍女になった私を心配してくれたのだろう。
「そろそろ座ったらどうだ?」
いつの間にかソファーに座っていたロキオ殿下は、背もたれに片方の腕を置いて、長い脚を見せつけるように組んでいた。スピンツ君がピカピカに磨き上げた靴が眩しい。
ロキオ殿下の態度は一言で言えば『偉そうな態度』だし、前ならば私も「嫌な感じ」と思ったかもしれないが、今は「うちの殿下は仕方がないな」と許容してしまう。
ロキオ殿下がやると様になっているし、実際偉いので許されると思うのだ。
……どうも私、ロキオ殿下に甘くなってきているような気がする。
「そうさせていただきましょう」
父はロキオ殿下の態度は気にならない様子で、殿下と向かい合って座った。父の隣にはミリアン、そしてその隣にはミシェルが座り、私はソファーの後ろ――ロキオ殿下の斜め後ろに立つ。スピンツ君は部屋の隅に控えながら、こちらを見ていた。
お茶を運んできてくれた侍女二人は、王妃様付きの侍女だ。今回、私は父たちの会話に混じらなければならないし、周囲に目を配れないので手伝いに来てくれないかと頼んだら、快く引き受けてくれた。
「それで? 今日はエアーリアの事で私に釘を差しに来たんだろう?」
ロキオ殿下は片方の唇の端を持ち上げると、高圧的に言った。
いつでも誰とでも戦う気満々、といった様子のロキオ殿下だが、父はそういう相手と話す事にも慣れているので、笑って受け流した。
「いえいえ、そんな事はないですよ。私は、エアーリアが世話になりますと頭を下げに来たのですから」
「だが、アビーディー伯はそうでもミシェル嬢は違うようだ」
不遜に笑いながら、ロキオ殿下はミシェルを見る。ミシェルは一度驚いたように肩をすくめ、迷うように視線を泳がせたが、やがてロキオ殿下を真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「私は、優しくて気弱な姉の事が心配で。姉はいつも自分の事は後回しにしようとするので、無理をしたりはしていないかと思っているんです。王妃様は姉の事をよく見ていてくださったので安心していたんですけど……」
「私だと不安か?」
「……少し」
眉を下げてロキオ殿下を上目遣いで見ながら、ミシェルは言った。
「ミシェル!」
私は慌てて口を挟む。
「失礼よ。ロキオ殿下に何を言うの?」
「だって、殿下の侍女はこれまでに何人も辞めているでしょう? それって普通じゃないわ」
ミシェルは、自分は間違っていないと思ったらそれを貫き通す強い子だ。けれどこの場でロキオ殿下にまで楯突くのは、お姉ちゃんの胃がもたないからやめてほしい。
しかし私の願いも虚しく、ミシェルは丸い瞳をロキオ殿下に向けてはっきりと言う。
「殿下、殿下の侍女たちがどうして城を去ったのかは存じ上げませんが、もしも私の姉に乱暴な事をおっしゃったり、不当な扱いをされたりなされば、私、黙っていません!」
「威勢がいいな」
「申し訳ありません、殿下」
父も一応謝ったが、苦笑している。私が高慢な態度を取るロキオ殿下の事を「仕方ないな」と許してしまうように、父も可愛いミシェルの発言を本気で制止するつもりはないのだろう。
唇を引き結んで自分に強い視線を向けるミシェルに、ロキオ殿下は意外にも怒りを露わにする事はなかった。むしろ少し愉快そうな顔をしている。
ロキオ殿下の表情に私は安堵すると同時に、少し胸がざわついた。ロキオ殿下はミシェルの事を気に入ったのだろうかと思う。
私がなんとなく複雑な気持ちになっている間にも、ロキオ殿下はにやりと笑ってこんな事を言っていた。
「姉を心配しているようだが、お前に言われずとも私はエアーリアの事をわりと丁寧に扱っているぞ。まぁ、最近は」
ロキオ殿下の言葉を聞いてミシェルは「本当に?」と尋ねるようにこちらを見たので、私も困ったようにほほ笑んで言った。
「ロキオ殿下にはよくしていただいています。私は大丈夫よ。いずれは王妃様付きに戻るかもしれないけれど、ロキオ殿下の侍女になれてよかったと思っているわ」
正直言ってロキオ殿下の印象は『高慢な王子』からさっぱり変わっていないのだが、前とは違って、今は何というか、尊大に構えているロキオ殿下をほほ笑ましい気持ちで見守れるのだ。
「ロキオ殿下は優しいところもあるのよ」
ミシェルにだけ伝えるように小声で付け加えたが、おそらく皆に聞こえていただろう。
「それならいいけど……」
ミシェルは意外そうに言って、溜飲を下げた。




