14日目
二日後。私はその日も真面目に侍女の仕事をこなしていた。
朝はロキオ殿下の服を選んで――本当は爽やかな王子様に仕立て上げたいのだが、『なるべく威圧感の出るもの。もしくは性格が悪そうなもの』という殿下の要求を渋々のんで、悪の王子っぽいものを選んでいる――それをスピンツ君に渡し、スピンツ君がロキオ殿下を起こして着替えを手伝うのを待ってから、殿下の髪を整える。
その後私室に移動し、ロキオ殿下の朝食の給仕を終えると、次にロクサーヌのごはんのお世話をし、また殿下の寝室に戻ってベッドシーツなどを回収して洗濯室に持っていく。
部屋の掃除や部屋に生けるお花の交換など、手伝ってもらえる事は城の使用人に手を貸してもらっているので、朝も前ほど忙しくはなくなった。
日中は基本的に、スピンツ君と一緒にロキオ殿下のそばについている。
執務室にいると仕事の邪魔になるのではと思ったが、ロキオ殿下が「いろ」と言うので、他に用事がない時はそばに控えるようにしている。
扉のそばに椅子を置いてロクサーヌのブラッシングをしたり、誰かが部屋を訪れれば対応したり、暇な時は本を読んだりしている。
あとは殿下が怪我をした右手を酷使していないか密かに見張ったり、そろそろ休憩を挟んだ方がいいと思ったらお茶やお菓子を出す。
(今度、菓子職人にジンジャークッキーを作ってくれるよう頼もうかしら)
城には料理人とは別に菓子職人がいる。ロキオ殿下はあまりお菓子は食べないが、ジンジャークッキーなら甘過ぎないし、小腹も満たせるのではないかと思う。
(昨日の夕食のスープは気に入ったようだから、同じ味付けのものを料理長にまた出してもらうよう言って、部屋に飾る花はピンクは嫌なようだから、明日から気をつけて……)
執務室の隅で本を読んでいても、いつの間にか文章を追う視線は止まっていて、ロキオ殿下の事を考えている。
王妃様の場合、時々商人を呼んで買い物をされたり、庭を散策されたり、イオ殿下とシニク殿下の妃二人を呼んでお茶会を開かれたりと、のんびりする時間も多かった。
が、ロキオ殿下は仕事ばかりしている印象なので、せめて美味しい食事やお茶の時間、そして部屋に飾る花で癒せたらいいなと思うのだ。
そんな事を考えていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「スピンツです」
「入れ」
ロキオ殿下が返事をすると同時に、スピンツ君が中に入ってくる。私も一応本を置いて立ち上がった。
「殿下、城にアビーディー伯爵の使いの方が来られています」
アビーディーという名に反応して、私は目を丸くした。ロキオ殿下もペンを持つ手を止めて言う。
「エアーリアの父親の使者が?」
「はい。伯爵は、エアーリアさんがロキオ殿下付きの侍女になったという話を聞いたようで、一度挨拶をしておきたいとおっしゃっているらしいです。使者さんを通してもいいですか?」
「ああ」
ロキオ殿下の返答を聞いて、スピンツ君はまた部屋を出て行った。
私は首をすくめて謝る。
「なんだかすみません。お時間を取らせて」
「構わない。悪評ばかりが目立つ私に付く事になった娘の事が、伯爵は心配なのだろう。大事な娘を任せたぞと、釘を差しに来るつもりだ」
「そ、そんな事は……」
ロキオ殿下は慣れた様子で笑っている。
「それに、お前の事を抜きにしても、アビーディー伯爵の事はあまり雑に扱う事はできない。伯爵家と言えど、かつての〝アビーディー〟の王族の血が流れているのだからな」
アビーディーとは、今はこの国の東の端にある領地の名前だが、かつては小さな国の名前だった。
けれど現在のアビーディー家当主である父から八代前の時代に、ロキオ殿下のご先祖様が治めていたこの国――レストリアに征服される形で国はなくなったのだ。
その頃は戦争が多く起こっていた時代なので、アビーディーのような小国の滅亡もあちらこちらで起きていて、特別珍しい事ではなかった。
当時のアビーディーの王は私利私欲に走る愚王だったという話だし、レストリアの一部となってからはアビーディー国民の暮らしはむしろ楽になったらしいので、征服された後に反乱が起きたりする事はなかったようだ。
戦争は悲しい出来事だったが、今でも私を含めたうちの領地の人たち――かつてのアビーディー人たち――は、先祖が征服された事を恨んだりはしていない。
アビーディーの王族は王だけは追放されたが、誠実だったその息子はレストリアで伯爵という地位を与えられた。
そして今も、アビーディー家の人間はレストリアの王に忠誠を誓っている。もちろん私も、父も母もそうだ。
この国の貴族の中でも、かつての王族という事でアビーディーの名前は有名だ。
私も養子だからこそ、アビーディーの名に恥じない振る舞いをしなければと常に思っていた。
と、そんな事を考えているうちに、スピンツ君がうちの使者を連れて戻ってきた。入ってきたのは、父の従者であるロワードだ。
ロワードは主に仕事面で父を支えてくれている人物で、年齢は父とほぼ同じなので、私の事も娘のように可愛がってくれている。
「エアーリア様、お久しぶりです」
ロワードはロキオ殿下に丁寧に挨拶をした後、殿下の斜め後ろに移動していた私と目を合わせてにっこり笑った。
「久しぶり、ロワード。でも久しぶりと言っても、三ヶ月ぶりくらいじゃない?」
父は弟やロワードを連れて登城してくる事が多いので、定期的に顔を合わせている。
母や妹とは、この王城の中ではなかなか会う機会はないが、それでも半年に一回ほどは実家に帰っているので、あまり懐かしいという感じもしない。
「三ヶ月会わないとなると久しぶりですよ。私も伯爵家の方々も、いつもエアーリア様の事を気にかけていますから」
「ありがとう」
控えめにほほ笑んで言う。
その後、ロワードはロキオ殿下と話をし、最終的に明後日の午後にロキオ殿下と父は面会をする事になった。
とは言え、ロキオ殿下と父は今までも何度か顔を合わせた事があるはずなので、これが初対面というわけではない。
「それでは私はこれで。殿下、ありがとうございました。エアーリア様、また明後日に」
「馬車のところまでお送りします」
「おや、ありがとう」
ロワードはスピンツ君に案内されて、部屋を出て行った。
「すみません、ありがとうございます」
二人の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はロキオ殿下に感謝を伝えた。
ロキオ殿下は「いや」と答えた後、三秒ほど間を置いてこう尋ねてくる。
「前にお前は自分の事を養子だと言っていたが、親や弟たちとは仲良くやっているのか?」
口調や表情から、私の事を心配して尋ねてくれたのだろうと分かった。
私はロキオ殿下に安心してもらおうと、こう答える。
「はい。父も母も、私の事を自分の子どもように可愛がってくれました。三つ下の弟と妹……彼らは双子なのですが、二人とも仲良くやっています」
「そうか……。それはよかったな」
ロキオ殿下は安心したように言いながら、少し寂しそうな表情もした。
(自分と家族の関係の事を考えておられるのかしら?)
何と声をかけるべきかと迷っていると、ロキオ殿下は気を取り直して顔を上げた。
「お前はいつアビーディー家にもらわれたんだ?」
「正式に養子に入ったのは二歳の時です」
そう答えてから、生みの親の事を説明する。
「私の本当の両親は、夫婦揃って代々アビーディー家で働いていた使用人だったんです。ですがある時、お使いで買い物に出た時、馬車の事故に巻き込まれて亡くなったそうです。それでなかなか子宝に恵まれなかった伯爵夫妻が、一人残された私を引き取ってくださったんです。忠実に仕えてくれた二人の子だから、と」
伯爵夫妻――私の今の父と母には、本当に感謝している。血の繋がりのない、自分たちとは全く似ていない子どもを、これまで何不自由なく育ててくれたのだから。
私を引き取ってすぐに母の妊娠が分かっても私を手放す事はしなかったし、可愛い双子の弟と妹が生まれてからも、私たち三人を平等に扱おうとしてくれた。
「生みの親の事は覚えていないのか?」
ロキオ殿下は少し椅子を引いて長い脚を組み、言う。
「ええ、私は幼かったので何も覚えていません。思い出がないのは寂しいですが、両親が死んだ日の事も記憶にないですから、それはよかったのかもしれません。覚えていたら悲しくてたまらなくなったでしょうから」
「そうだな」
頷くと、ロキオ殿下は首を回してから立ち上がった。
「少し休憩する。ロクサーヌはどこへ行った?」
「出窓のカーテンの陰に」
ロキオ殿下は出窓でごろごろしていたロクサーヌを抱っこして連れ去ると、ソファーに座って、愛猫のもふっとした毛なみを堪能し始めた。ロクサーヌは日向ぼっこを邪魔されて少し迷惑そうな顔をしているが、逃げる事はしない。
「お茶をお淹れしましょうか?」
「ああ、頼む」
お湯を沸かすために部屋を出て廊下を歩きながら、私はふと考えた。
明後日、ここにやって来るのは父だけだろうか、と。
ロキオ殿下に挨拶するだけなのだから、まさか一家総出で来る事はないだろうが……。
(母さまやミシェルは来ないわよね?)
ミシェルとは、私の妹の名前だ。
明るくて、おてんばで、いつも笑顔を周りに振りまいている彼女。
まるで天使か妖精かと見紛う可憐な妹は、私とは正反対のタイプをしている。
――と、そこまで考えたところでハッと気づく。
ミシェルは、前に王妃様が言っていたロキオ殿下の好きなタイプの女の子そのものではないかと。
『ロキオはね、明るくてお喋りな子が好きなのよ。人懐っこく、皆に愛されるような。それに、どちらかというと自分が相手を可愛がりたいタイプね。例えて言うと、包容力のある姉のような女性より、少しわがままな妹のような子が好きという事よ』
頭の中で王妃様の言葉が繰り返される。
大好きな、可愛い妹。
天真爛漫な彼女の魅力は、姉の私が一番良く分かっている。
五年ほど前、私の婚約者にどうかと父が連れてきた貴族の子息の少年が、私ではなくミシェルに一目惚れしてしまった事を思い出す。父もその事に気づいて、結局少年は私の婚約者にもミシェルの婚約者にもなる事はなかった。惚れっぽい少年に父は不安を覚えたらしい。
(ロキオ殿下は、もしミシェルを見たらどう思うかしら?)
別に、ロキオ殿下には私よりミシェルを好きになってほしくない、というわけではない。
ただ、きっと私とミシェルが並んだ時、ロキオ殿下は明るくてお喋り上手なミシェルを見て、「妹の方が私の侍女であればよかったな」と考えるだろうと思うのだ。
お茶を淹れるのが上手いくらいでは、私はミシェルに勝てないから。
妹が来るのか来ないのかを不安に思いながら、私は明後日を待ったのだった。




