47 恐怖と欲望
「そんな……怜子があと少しで、吸血鬼に……モンスターの手先に……!?」
私は思わず声を上げてしまう。ある程度推察ができたとはいえ、やはりそれを真実として告げられるのには驚きがあった。
「フフ……さすがに友人がモンスターになることには抵抗があると見える」
「……っ!」
怜子は辛そうな顔で唇を噛んでいる。その様子と先ほどの言葉で、どうやら彼女が自分の身に起こった事が分かっていたことが伺える。
「それは複雑な解除魔法を使うか、妾が死ななければ解かれない。そして残る時間はあと一時間。さて、どうするかのう?」
「……うう!」
「……怜子」
怯える怜子。私はそんな怜子の肩を触ろうとする。しかし――
「――いやぁ!」
怜子は私の手を跳ね除けた。
「愛依ちゃん、やっぱりわたしの事捨てるんだ……! 人じゃなくなっちゃうわたしの事、嫌いになっちゃったんだ……! ううああ……!」
そして、そう言って泣きながら頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「怜子!? 大丈夫、怜子の事捨てたりなんかしないよ……!」
「嘘だよ、だって私もうすぐ化け物になっちゃうんだよ!? そうなったら、もう一緒にいられないじゃない……! 化け物になったら、愛依ちゃんの隣にいられない……! ああああ……!」
私の言葉は怜子に届いていないようだった。
そんな私達の下に笑い声が響いてくる。ジョイの笑い声だ。
「フフフフ……! ああ愉快よのう、自らが吸血鬼になる恐怖に怯える娘の姿はいつ見てもいいのう……そして、そんな娘が吸血鬼になった瞬間に妾に忠誠を尽くすのはもっと気持ちが良い……」
「くっ……貴様!」
私は怜子から視線をジョイに移す。怒りの籠もった視線を彼女に向ける。
そして、その怒りのまま唱える。
「シャインスピアー!」
強力な光魔法の呪文を。
「させません!」
だが、それを身を挺して防ぐものがいた。あのアンナというメイドである。
「ぐっ……!?」
光の槍はアンナの胸に深々と突き刺さり、そのまま彼女を勢いよく運ぶ。
「おっと」
そんなアンナの体をジョイは軽々と避けた。結果、ジョイは食堂の壁に磔になる。
「ぐ……! 大丈夫、ですか……ジョイ様……」
「ああ大丈夫じゃ。よく妾の身代わりになってくれた。褒めてつかわすぞ」
「ありがたき……幸せ……ぐ」
そこまで言うとアンナは頭を垂れ、動かなり、やがて灰と化した。
絶命したのだ。だが、そんなアンナの姿を見てもジョイは笑っていた。
「おお、妾の大切なメイド長を一撃で殺すとは、さすがはケイン・オブ・コスモス……恐ろしい力じゃ」
「……それにしては、全然悲しそうな顔をしていないけれど」
「そうかのう? まあ、次のメイド長候補は既にそこにいるし、アンナには最近飽きていたところじゃったしな。フフフ」
ジョイはそう言って怜子を見る。
まさかこいつ、次は怜子をメイド長にするつもり……!?
「そんなこと、させない! シャインスピアー!」
私は再び光の槍を放つ。それは先程のように今度はジョイの右胸に刺さった。
だが――
「がっ……!? ……フフ、フフフ……なかなかの力じゃ……こうして一度死ぬのはいつ以来か」
なんと彼女は、それによって一度胸を吹き飛ばされたにもかかわらず、あっという間にもとの形に戻ったのだ。
「な……!?」
「フフ……驚いておるのお人間。それもそうか、人間が真祖の吸血鬼を相手にするなどそうそうないことじゃからのう。だがのう人間よ、あいにく妾は並の攻撃では死なんのよ。これが並の吸血鬼と、真祖との差じゃ」
そこには、自分の力への圧倒的な自信が感じられた。
同時に私は思う。奴は不死身なのかと。もしそうなのだとしたら、一体どう対策を取ればいいのかと。
「怯えておるな、人間……フフ、いいのう、力の差に怯える人間は実にいい……さあ、その顔をもっと絶望で染めてくれ……」
ジョイはそう言いながらパチリと指を鳴らす。すると、食堂の床に黒い影が伸び、そこから唸り声と共にグールが次々と現れ始めた。
「ウゴゴゴゴゴゴゴ……」
「まずい……! 怜子、今は逃げよう!」
「め、愛依ちゃん。でも……」
「でもじゃない! 今は分が悪い! とにかく逃げるよ!」
私はそう言ってうずくまっている怜子の手を引く。
そして、グール達に捕まらないように走り抜け、食堂を後にした。
一方で背後から、
「フフフ! 逃げるといい! 運命の時が来るそのときまでなぁ!」
というジョイの癇に障る笑い声が聞こえてきたのだった……。
◇◆◇◆◇
「はぁ……はぁ……」
私と怜子は闇雲に走り、そして目についた部屋に逃げ込んでいた。
どうやらそこは物置らしく、古びた家具や調度品などが雑に置かれていた。
「大丈夫、怜子……?」
「…………」
怜子は答えない。ただ黙ってうつむいているだけである。
私は耳を澄ませながら周囲を見回す。
どうやら私達を追ってきている足音は聞こえなかった。それよりも聞こえ、目立つものがあった。
時計である。時計の秒針の音が聞こえ、その姿が目に入ってきたのだ。
その時計は古びた柱時計だったが、まだ生きていた。そして、時間は夜の十二時まであと四十分ほどしかないのを指し示していた。
「思った以上に逃げるのに時間を使いすぎた……どうにかしないと……」
「どうにかって……?」
怜子が俯きながら聞く。彼女の表情を伺うことはできない。
「……正直、どうすればいいかまだ思いつかない。さっき放った魔法は今の私が唱えられる中でも最上級だったから。でも必ず怜子を戻してみせる。怜子をモンスターなんかにさせやしない。なんとしてでもあいつを倒す。そうすれば怜子は戻るはず」
「…………」
怜子は私の言葉に黙ったままだ。まあさすがに言葉も出ないのだろう。だって、私の言葉は無責任にも程があるだろうから。
「……怜子」
でも私は諦めない、絶対に。私は怜子を励まそうと、彼女をそっと抱きしめる。
「……無理だよ」
だが、その瞬間だった。
「えっ?」
「無理だよっ!」
怜子はそう叫ぶと、私のことを突き倒し、そしてそのまま私の上に跨ってきたのだ。
「怜子……!?」
「もう、どうしようもないんだよ……! わたしは吸血鬼になって、奴に支配されちゃうんだ……! そうして、みんなの敵に……!」
「怜子、諦めないで! まだ道はあるかもしれない……!」
「でも、でも……愛依ちゃんはわたしの事捨てようとしている……! モンスターになろうとしている、わたしの事を……!」
そこで私は気づいた。私は、怜子の事を戻そうと言った。だがそれは、失敗したときに彼女を見捨てると言っているようなものだと。彼女は、それが不安だったのだ。
今まで社会から爪弾きにされていた彼女にとって、その言葉は残酷すぎたのだ。
彼女は吸血鬼になる自分と、今までの自分を重ねていたのである。
「もう、わたしはどうしようもない……だから」
故に、怜子は言った。
「……愛依ちゃん」
私を押し倒した状態で。
涙を流しながら、そして笑いながら。
「わたしと一緒に吸血鬼になって……」
と。
「……怜子」
「あいつが言ってたの……今の私の状態でも、他人を吸血鬼にすることはできるって……血を吸えば、同族を作ることはできるって。つまり、同じになれば一緒にいられるの」
「…………」
そして怜子は、すがるような声で言った。
「だから愛依ちゃん。わたしと、永遠に一緒にいて……」




