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37 いつかのときを思って

「うう……」

「朝から調子悪そうだね、愛依ちゃん……」

「そうだね……」


 怜子の言う通り、私は朝から調子が悪かった。と言うのも、原因はあのハピネスである。


「昨日もずっとハピネスにつけ回れてさ……さすがにちょっと疲れた……」


 あれから一週間。

 ハピネスはあの言葉通り私をストーキングし続けていた。

 それは朝昼晩問わず、私の行動を監視し、干渉してくるものだった。

 例えばある日は、一日中彼女の視線と気配を感じ続けた。

 おはようと起きて外に出てから、おやすみと宿に帰って来るまでずっとである。

 またあるときは、私物が消えた。

 生活に困るほどではないのだが長く私が使用していた私物や飲食に使ったものなどが消えるのである。

 正直なかなかに気持ちが悪い。

 また、部屋のインテリアの配置が微妙に変わっている事さえあった。

 それはつまり、物色されているということである。

 これもなかなかに怖い。

 ともかくそんな感じで、私はストーカー被害に疲れていた。


「大丈夫? 一応この前部屋に見よう見まねで結界を張ったし、部屋にずっと籠もっててもいいと思うんだけれど……」


 確かに、怜子の言う通りであった。

 私はさすがに自室での安らぎは欲しいと思い、怜子と二人で魔導書を漁り、そうしたモンスターの干渉を受けない魔法を探し出して部屋を結界で覆ったのだ。

 その効果か、部屋の中でハピネスの視線や気配を感じる事はなくなった。


「うん、ありがとう……でもほら、みんなが頑張ってクエストこなしているのに私一人だけ何もしないってのはどうも気がとがめてね」

「でも……」

「それにさ、一人籠もってても何も解決しないじゃない。それだったら、少しでも体を動かして解決につながる糸口を探したいんだ、私は」


 私は怜子にそう笑って言う。

 そんな私に、怜子は少し困ったような笑みを浮かべる。


「まったく、しょうがないなぁ愛依ちゃんは」

「……ごめんね、付き合わせちゃって」

「いいのいいの。いつもはわたし達が愛依ちゃんに苦労かけてるしね。それに、ある程度は愛依ちゃんの好きにさせてあげないと愛依ちゃんどっかいっちゃいそうで怖いし」

「別にどこにも行かないって」

「本当? わたしに愛想つかして消えちゃわない? わたしの事面倒臭いって嫌いになってない? わたしこれからも愛依ちゃんの横にいていいの? 捨てたりしない? 大丈夫?」

「だ、大丈夫だって! 捨てたりしないから!」


 急に不安になって聞いてくる怜子に私は慌てながら言う。

 もう、少し油断するとこれなんだから。

 でも、前よりは落ち着いているようで少し安心である。


「おーいなにしてるんだ、もう行くぞー」


 と、そこで茉莉の声がした。

 どうやら少し二人で長話し過ぎてしまったらしい。


「茉莉達が待ってる、それじゃあ行こうか」

「うん、そうだね」


 私と怜子は二人で席から立ち上がり、ギルドに向かうのだった。



「……はあ」


 私はため息をつく。

 感じるのだ。私を監視するじっとりとした視線を。

 そう、ハピネスが私の事を見ているのである。その存在を、私は嫌というほど感じている。


「……やっぱどこかにいるのか、ハピネス」

「うん……そうだね、どっかにいるね。これは」


 茉莉が私に聞くと、彼女は周囲を見渡す。

 今私達がいるのは森の中だ。希少なモンスターが出たので研究用に捕獲して欲しいというのが今回のクエストだった。

 そのクエストの中で、私は見えざる視線を感じていたのである。


「ちくしょう愛依に必要以上のストレスかけやがってよぉ……! おらっ隠れてないで出てこい! アタシがぶっ飛ばしてやる!」


 それをあなたが言う?

 と言いかけたが私は口をつぐんだ。

 さすがに私のために起こってくれている茉莉の気持ちに水を差したくない。


「それにしてもこんな森の中で姿を消せるなんてさすがモンスターって感じだよねー。人間だったらわりとすぐバレそうな気がするんだけれど」

「そうだね、でも最初わたし達が捕まえたときは普通に姿を現してたよね? あれはどういうことなんだろう?」

「ほらあれだよー、ストーカーって自分の存在をアピールしたがるパターンがあるじゃん? そういうのだと思うよー」

「ああ……」


 ユミナと怜子が私の横でそんな話をする。

 まあ確かにそこは疑問に思っていたところではあった。

 でもまさかそんな単純な行動原理なわけが……ありそうである。


「まあそんな事よりも指定されたモンスター探しだよ。さっさと見つけて宿に帰ろう。カーバンクルだっけ? 確か額に宝石がついた小さなキツネみたいなモンスターなんだよね、話によると」


 私はマリーに聞く。モンスターの事ならうちのパーティなら彼女が一番詳しいからだ。


「そうだね。と言ってもカーバンクルの生態は今でも謎が多くてキツネっぽいものもいればドラゴンみたいなのもいるとは聞くけれど。私も実際には見たことないな」

「なるほど。キトラはどう? 見つけた?」

「キュイ」

「……見つけてないってさ」


 マリーはキトラを私達の頭の上に飛ばしていた。

 それで空の目によって周囲を探索させていたのだがこれがなかなか見つからない。


「まあ気長にやるしかないよ。情報自体は確かっぽいしね。ところでさ……」


 と、そこでマリーが聞いてきた。


「こんなときに聞く話じゃないかもしれないけれど、この前お姉ちゃんが言っていた『こっちの世界』ってそれどういうこと? まるでここが自分達の世界じゃないような……」

「ああ……そのことか……」


 私はちょっと言いよどむ。

 私達が異世界人でいずれ異世界に帰っていくことは伝えなければいけないことだ。

 だが、今のマリーがそれを受け止めきれるかどうかが不安でもある。

 マリーは私に大きく依存している。他の友人達のように。

 だが友人達と違うのは、マリーはここの世界の住人である、ということだ。

 それはいずれ別れがやって来るということでもある。その現実に彼女は耐えられるのか……。


「……いや、違うな」


 そこで私は呟く。

 現実に耐えられないのはきっとマリーじゃない。私の方だ。

 私はマリーに話さないことで逃げているのだ、帰れないかもしれないという現実から。

 私達はなんだかんだでこの世界に馴染んできている。それこそ、元からこの世界の住人であったように。

 でも、話してしまうとこの世界が私のいる世界じゃないということを嫌でも自分で認識することになり、孤独感が生まれる。

 その孤独感を抱えながらずっとこの先を生きていく可能性があるという覚悟ができていないのだ。

 今のところ元の世界に帰る手段も、どうしてこの世界に来たのかもまったく分かっていない。

 最悪、この世界で死ぬまで過ごさなければいけない事だって有り得る。

 私は言葉にすることで、異世界人としての自覚を思い出して、この世界に骨を埋める覚悟を持つことが怖いのだ。

 ……でも。


「……実はね、私達この世界の人間じゃないんだ」


 私は向き合わなければいけないんだと思う。

 そうしないと、いけないんだ。

 だって、私はみんなを率いるパーティのリーダーなんだから。

 みんなが私を頼ってくれているんだから、そんな私が弱気でいちゃいけないんだ。

 そんな私が、現実と向き合うことを恐れちゃいけないんだ。


「……え?」


 さすがにマリーも驚いているようだった。というか、理解できていないようでもあった。

 当然だよね。


「まあ、何言っているか分からないよね。でも、本当なの。私達はいわゆる、異世界人ってやつなんだ。偶然この世界に迷い込んで、それで帰る方法を探してるんだ」

「冗談……ってわけじゃないんだよね。それじゃあ、いつか帰っちゃうの?」

「帰れたらいいなぁ……って思ってるんだけど、なかなかうまくいかなくてね。でも、そのために私達は冒険者をやってる。だからまあ、帰るよ、きっと」

「………………そっか」


 マリーはしばらく黙ったあと、それだけ呟いた。

 彼女の中でどんな心境の整理があったかは分からない。

 でも、少なくとも彼女の心がまた病んだようには見えなかった。


「……分かった、私も協力する。でも、もし帰るってなったら、そのときはよかったら私もお姉ちゃんの世界に連れて行って欲しい」

「え、ええ!?」


 私はその申し出に驚く。しかし、マリーの目にはしっかりとした意思があった。


「私、本気だよ。お姉ちゃんと離れ離れになりたくない。きっとお姉ちゃんだってそう思ってる。でも、お姉ちゃんはしっかりしてるからみんなのこと思ってさっきみたいなこと言ってるんだと思う。だから、私がお姉ちゃんについていくの。そうすれば万事解決でしょ?」

「……うーん、そんなうまくいくかなぁ」


 私は悩む。

 マリーの思い込みはいつもの事として、はたして本当に彼女を連れて帰る事ができるのか。

 そもそも帰ってちゃんと生活させてやることができるのか。

 悩みは尽きない。


「いいじゃん、連れて帰ってやろうぜ」


 と、そこで言ったのは茉莉だった。


「茉莉!?」


 私は彼女の発言に驚く。それどころか、彼女だけではなかった。


「うん、いいんじゃないかなー」

「そうだね……わたしもアリだと思う」


 ユミナも怜子も、それに賛同しだしたのだ。


「ふ、二人も!?」

「そうだねー。だってうちも自分の身で考えたらありえないもん、愛依っちと離れ離れになるなんてさー」

「そうだね……それに、案外生活もなんとかなると思うんだ。こう、記憶喪失とかそういう方向で攻めていけば……」

「だなー、まあなるようになるって。ソレ以上に、愛依と別々になる苦しみは理解できるからアタシはマリーが来るのを咎めはしないね」

「みんな……ふふっ」


 私は思わず笑った。

 なんだか、一人悩んでいたのがバカみたいだ。そういうのもアリなんだと、私は思った。

 みんなと一緒ならどんな事も問題ない、そう思えてきた。


「……ありがとう」

「ん? お礼言われるようなこと言ったか?」

「いいや、なんでもない」


 私はそう言ってちょっと先に駆け出す。

 ちょっと照れ隠しも含めて。


「それよりみんな、ちゃんとカーバンクル探そうよ。それで、早く帰ろう? 私達のこと見てる誰かさんの視線や気配ともおさらばしたいしね」

「あ、うん! 待ってよー!」


 私の事を駆け足で追いかけてくるユミナ達。

 そうして私は未来に向けて少し前向きになれた気がしたのだった。



「……ふぅん、異世界からね」



 どこか昏い声色で何か声が聞こえた気がした。


「……?」

「どうした? 愛依」

「いや、なんでもない。行こう」


 しかし、それをはっきりと聞き取ることはできなかった。


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