36 ハピネスはつけ回す
何かがおかしい。
私はここ最近そう感じるようになっていた。
というのも、妙に何者かにつけ回られている気がするのだ。
例えば視線。
外に出ている間、ずっと誰かに見られている気がするのだ。
ギルドでクエストを選んでいるときも、実際にクエストを遂行しているときも。クエストに関係なく外に出ているときも、である。
また、同じように視線だけではなく誰かにずっと後をつけられている感覚があった。
同じく外を出てから家に帰るまで、ずっと。
私が歩いているとひたひた、ひたひたと一歩遅れながらもずっと後ろからくっつかれていると思うようになった。
これだけならまだ私の自意識過剰が生み出した被害妄想と言えるのかもしれない。
だが、私が覚えた違和感はこれだけではなかった。
物が少しずつだが消えるようになったのだ。
例えば髪をとかしたくし。
これがある日突然なくなっていた。
部屋中探してもなく、そのとき私はまあこうしてものがなくなることもあるよねと思うようにした。
だが、物は次々と消え始め、私もさすがに訝しむようになった。
遠出の冒険用に使っていたスプーンも。
かわいいと思って随分前に部屋のインテリア用に買っていたくまの人形も。
よく使っていたハンカチも。
そうした私物が次々と消えてしまっていたのだ。
これはさすがにおかしい。日々つけ回られている感覚に加えて、私はそう思っていた。
だが、一体誰が? 少なくとも仲間達ではないだろう。彼女達も心は病んでいるが、もっと堂々と行動に出るタイプだ。
こんな影でコソコソと私をつけ回るような真似はしない。
少なくとも私には思い当たる節はなかった。
だから、私はいっそこちらから出てみることにした。
犯人をつきとめるための、策に。
その日の夜、私は一人街中を歩いていた。
だが、本当に一人というわけではない。
私の背後では、こっそりと仲間達が見守っていた。
「……それで、どう? 怪しい姿、いる?」
『いや、こっちはまだそれらしい姿は見えないな。まだ人が多くて分からん』
私は手に持っている小さな光る石に話しかける。
すると、その石から茉莉の声が帰ってきた。
今私が使っているのは『伝心鉱石』と呼ばれるマジックアイテムだ。
簡単に言ってしまえばトランシーバーのようなもので、それなりに距離が離れていても会話できるという優れものだ。
『こっちもまだそれっぽい影は見えないねー。やっぱ人が多いと判別しづらいよー』
『私もキトラに空から見てもらっているけれど、今のところぱっとしないね。まあ引き続き監視は続けるよ』
『そうだね……でも、愛依ちゃんをつけ回す奴がいるなんて、許せない……絶対わたし達で捕まえないと……!』
さらに鉱石からユミナ、マリー、そして怜子の声が聞こえてくる。
私は怜子の決意めいた言葉に軽く笑う。
「ふふっ。ありがとう。頼もしいよ」
私の犯人を突き止めるための策というのが、これだった。
夜あえて一人で出歩き、そこをみんなに監視してもらうことで犯人を突き止める。
伝心鉱石もそのためにわざわざ大枚を叩いて五つ手に入れた。
……これで突き止められなかったら、出費的にわりと痛い。
『でも本当にいるのー? いや、愛依っちを疑うわけじゃないけどさー。今のところらしい姿は見えないって言うかさー』
『愛依の言うことだぞ、間違いあるわけないだろ。にゃろう愛依をストーキングするなんて絶対許さねぇ……このアタシがぶっ飛ばしてやる』
ユミナの言葉に茉莉が少し感情を高ぶらせながら言う。
「まあ落ち着いて……冷静にならないと、捕まえられるものも捕まえられないと思うから。……それに、今日はまだあの“気配”を感じてない。多分まだ来てないんだと思う。でも、みんなには監視を続けて欲しい。いつその“気配”が来るか分からないからね」
『了解』
私の言葉にみんなが一斉に返す。
私は恵まれた仲間を持ったなと、嬉しくなる。
そんなときだった。
「……!?」
私は背後にゾクリとした感覚を覚え、立ち止まる。
『ん? どうした愛依?』
「……待って、来た。奴だ」
『え!? じゃあその、例のストーカーが!?』
怜子が慌てた様子で言う。そこで私はできるだけ周囲に見えないように、鉱石に言う。
「私はこれから人通りの少ないところに出る。そこで、もし怪しい影があったら、みんなで捕まえて欲しい。お願い。これ以上の通信は怪しまれるからしない。それじゃあ」
私はそこで通信を切り、また歩きだす。
すると感じた。
私を見る強い視線に、ひたひた、ひたひたとつけ回されるあの感覚を。
それに私は嫌悪感を覚えながらも、仲間を信じて人通りの少ない通りに入る。そして、そこで少し歩いたそのときだった。
「貴様かあああああああああああっ!」
茉莉の叫び声が聞こえ、私は背後を振り向いた。
そこには、四人が一人の外套をまとった何者かに覆いかぶさり捕らえている姿があったのだ。
「みんな……!」
私はみんなのところに駆け寄る。
「おい愛依、多分こいつだぞ! こいつ、さっきからどう愛依が道を変えてもついて来やがってた! このストーカーめ顔を見せろ顔を!」
そうして茉莉がその人物の外套を剥ごうとした、そのときだった。
「あら、乱暴なのはおよしになって?」
そんな声が聞こえたと思うと、その外套の中から煙のようなものが出てきて、四人は地面に倒れる。
「うわっ!?」
「みんな!?」
そしてその煙は、私とみんなの間に降りてきたかと思うと、やがて形をなした。その姿は、私達が知っている姿だった。
「ハピネス……!?」
そう、そこにいたのはあの青白い肌を持つサキュバス、ハピネスだった。
「どうも、愛依。ああ、会いたかったですわぁ」
ハピネスは私を見ると恍惚とした表情を浮かべる。そこに、正気は感じられなかった。
「……あなたが、ストーカーの犯人なの?」
「まあ、有り体に言ってしまえばそうですわね。……ふふ、愛依。言ったでしょう。わたくし、あなたに興味が湧いたって」
「……だからって、ストーカーまでするぅ?」
背後で立ち上がっている仲間達の中でユミナが言う。
「わたくしの感情は日に日に大きくなっていっているのですや、愛依……毎日あなたを思わない日はありません。そうして考えているうちに、わたくしはあなたと常に一緒にいたい、あなたのモノを欲しいと思うようになっていったのですわ」
ハピネスはそんな仲間達に振り向かないで言う。私以外は見たくないと言わんばかりに。
「……だから、こんなことを?」
「ええ、愛依。今日はバレてしまいましたけれど、わたくし諦めるつもりはありませんわ。わたくしは必ずあなたをわたくしのモノにする。でも今はそのときじゃない。だから、こうしてずっと見守らせていただきますわ、愛依。ああ、わたくしの愛しい愛依……」
ハピネスは両手で自分の頬を触りながら言った。
私は思った。
ああ、そういうことか、と。
彼女も、つまりそうなのである。
ハピネスも、かつての仲間達と同じなのだと。私の事を思い続けるあまり、精神を病んでしまい、結果こんな風になってしまったのだと。
ただ、仲間達とは違う事が一つだけある。彼女は、人類に仇をなすモンスターである、という事だ。
でも、私は言う。
「……ハピネス、お願いもう辞めて。あなたが私を思う気持ちはよく分かった。けれど、こんなやり方は間違っている。だから――」
「だから、何かしら? あなた達の仲間になれとでも? 残念だけれど、それはできませんわ。わたくしはあくまで魔軍の大幹部の一人。すべてのモンスターの主たるヘイトレッド様の忠実な部下」
「ヘイトレッド……?」
初めて聞く名だ。それが彼女達を統率しているのであろうか。
だが、そんな疑問よりも今は眼前の彼女である。
私は言う。
「ねぇハピネス。道は誰にだって選べる。だから、あなただって……!」
「そうはいかないんですの。ああ愛依、優しいですわね。だからこそ、あなたをわたくしのモノにしたい……でも今はそのときではない。だから、わたくしはあなたを見続けますわ……ずっとね、クスクスクス……!」
そうして、ハピネスは一瞬にして私達の前から消えた。
これからもストーカーを続ける。そうと取れる宣言をして。
「……まったく、どうしてこうなった」




