3 異世界探訪
「まだ信じられないよ……異世界転移なんて……」
私は今自分が置かれている状況がまだ飲み込めず、頭を抱えていた。
「さて、紅茶でも飲むかね? それとも果実を絞ったジュースのほうがいいかな? もしかしたら緑茶のほうがいいかもしれんが、あいにく緑茶はうちになくてね」
一方で鎧から礼服に着替えたカティアさんは応接間に座る私達にそう言う。
先程までの雄々しい雰囲気からは打って変わって、とてもおしとやかな所作で席につくカティアさん。
それだけでカティアさんの身分がとても高いことを私達に教えるようであった。
「あっ、大丈夫です。そのまま紅茶をいただきます」
私が代表して言う。
「そうか、では頼む」
カティアさんが使用人に命じて、少しして紅茶が運ばれてくる。
私達はそれをゆっくりと口にする。
「あ……おいしい」
口にした紅茶はとても透き通るような味で、ぐいぐいと飲めてしまうような美味しさだった。
「そうか、よかった」
私の反応にカティアさんは笑顔を作ってくれた。
この人はとてもいい人だな、と私はその笑みを見て思った。
「さて、それではこれからのことなんだが……」
私達がお茶を呑み終えてから、カティアさんは切り出す。
「まってください。改めて馬車の中で教えてもらったことを整理させてください……」
私はすっと手を出して彼女を制止する。
さすがに一旦状況を整え直さないと、私の頭がパンクしてしまいそうだ。
「えーと、今私達がいる大陸はアーエクス大陸のダスマーダ帝国っていう場所で、魔法があってモンスターがいる世界。そういうことですね?」
「ああ、そうだ。と言っても、それが私達にとっては普通で殊更特別なことを話した気はしないのだがな」
カティアさんは苦笑いしながら言う。
でも、私達にとっては大きな問題だ。
「なんというか……なんというかだなぁ……」
「う、うん……まさか現実でこんなことがあるなんて……」
「アタシはそういうことに関しちゃ全然知識がないからまだ飲み込めてないよ……まったくなんなんだよ一体」
「それより、どうやったら帰れるか考えようよー!」
みんな思い思いのことを言って混乱を表す。
まあそうだよね、私だってすごい訳がわからないって感じだもん。
「ふむ……君達が動揺するのはよく分かる。でも、一旦落ち着いてこの先の身の振り方について考える話を聞いてほしい。君達を助けたからには、半端はしたくないのでな」
そうカティアさんが言ったので、私達は頷いた。
カティアさんは私達のざわめきが収まったのを確認すると「コホン」と一呼吸置いて話し始めてくれる。
「君達は異世界の人間だ。つまり、この世界での生き方を何も知らない。それでは、あっという間に野垂れ死んでしまうだろう……だから、何か生活の目処が立つまでは私の屋敷で生活するといい」
「えっ、いいんですか!?」
突如のカティアさんのその申し出に私達は驚いた。
いくら特殊な経緯とはいえ、こんな簡単に屋敷に住まわせてくれるだなんて……。
「まあ、これも貴族の義務というものだ。異国……いや、異世界の民とはいえ、困っている者に貴族がその手を差し伸べてはいけないということはない。ただ、君達だけで自力で生きていく術は探してほしい。いつまでも君達を特別扱いはできないからな」
「は、はいっ!」
びくんと体を震わせながら応える。
そうすると、カティアさんは笑みを見せてくれた。
「まあ、そう難しいことではないさ。帝国、さらに言えばこの都市は身分に関係なく仕事を募集しているところがたくさんある」
「そうなんですか」
「ああ。なんなら効率よく稼げる冒険者になってみるのもいいかもしれないな」
カティアさんは冗談めいたような口調で付け足すように言った。
「冒険者……」
怜子が反応する。ファンタジー小説をよく読む彼女にとっては聞き慣れた単語なのだろう。
だが、実際にそれを行う恐れもあるのか、少し手が震えていた。
私はその彼女の手にそっと自分の手を載せて、静かに彼女を勇気づける。
「冒険者はギルドで適した職業を調べ、登録し、最も適した職業にクラスチェンジすることでなることができる。例えば攻撃職だったら剣士、防御職だったらナイト、と言った感じだな。……まあ、冒険者には命の危険もつきまとう。本当の事を言えば、あまりオススメはしないがね」
「なるほど……」
カティアさんの話に小さく頷く私達。
懇切丁寧に説明してくれる彼女は、やはりいい人だ。
「なに、冒険者以外でもたくさん仕事はある。いろいろと探してみるといい。ちなみに物価だが、我が国の通貨であるチクラムでいえば、二千から二千五百チクラムほどあれば一日の食事が賄うだろうな」
「ふむむ、こっちの世界の金銭感覚とあんま変わんないって感じだねー」
ユミナが言う。
確かにこちらの通貨であるチクラムという単位をそのまま円にしても違和感はない。
言葉が通じることもそうだが、こういうところも融通が効いて助かる。
「まあまずはゆっくりと休むといい。いきなりこちらの世界にやって来たのだ、いろいろと大変だろう。あともしよかったら、そちらの世界の話も聞かせてくれ。異世界の存在というのは興味深いのでな」
カティアさんは再び柔和な笑みを浮かべて言った。
そうしてその日の話は終わり、私達はそれぞれ部屋をあてがわれた。
――今日はさすがに疲れた……。
私だけでなくみんなもそう思ったのか、私達は部屋に入ると、そのままベッドに倒れて死んだようにぐっすりと眠ってしまった。
翌日から、私達の異世界での生活が始まった。
まず次の日の朝に集まった私達の会話の方針は「この先どうするか」である。
「わたしは早く元の世界に帰りたい……だから、その方法を探したい……」
そう言ったのは怜子だ。
彼女は不安そうにしながらそう提案した。
それはそうだろう。私だって帰られるならば早く帰りたい。
「でもよぉ、その帰る方法のアテがさっぱりないし、どうすりゃいいんだ?」
「そうだよねー……まずこっちでちゃんと生活できるようにしたほうがいいのかもねー」
それに対し茉莉とユミナが言った。
彼女達の言うこともまた、もっともな事だった。
現状、私達はどうやったら元の生活に戻れるか、その術を一つたりとも知らないのだ。
ならば、こちらで一旦生活の基盤を手に入れたからのほうがよい。
それは筋の通った考え方だ。
「そうだね、じゃあまずカティアさんにも言われた通りにこっちで生活する方法を見つけて、それからなんとか情報を集めよう。それが多分、私達にできることだから」
「わかった」
「おーけー」
「……うん」
私の言葉に三人とも異議はないようで頷いていくれた。
私達はそうと決めると、朝食を終えたあと早速屋敷の外に出て仕事を探し始めた。
もちろん、都市の地形は詳しく知らないため屋敷の使用人さんに案内されながらではあるが。
「うーんさすが帝都。すごい人でごった返してるし賑わってる」
「月並みな感想だなぁ。もっとこうないのかよ。もっとこう……もっと」
「そういう茉莉っちだってロクな感想出てきてないじゃーん。でもやっぱ都会がわーってなってるのはどこの世界も一緒なんだねぇ。都会最高ー!」
「……人に酔いそう」
使用人さんに案内されながらの都市めぐりは私達にちょっとした衝撃を与えた。
近世風の建物が並び、行き交う人々の服装もまた私達の世界の服装から見ればはるか昔のような服装、しかしところどころに魔法によって街が回っている姿がはっきりと見て取れる。
そんな異世界の都市の情景は見るものすべてが新鮮で、自分達が今、危機的な状況にいる事さえ忘れさせられた。
「あっ……あれって本屋だ……看板に書いてある」
「本当だ。でもアタシ達この世界の字読めるのか?」
「読めてるじゃん看板」
「た、確かに……!」
「茉莉っちってたまにアホだよね」
「直球ぅ!」
「いやでも茉莉の感想もしょうがないよ。だってストレートに読めすぎて違和感がなかったもん。なんでだろう」
「そういうもんって考えるしか無くない? どうせわかんないし」
「……ご都合主義の謎……ちょっとワクワク……」
「そこはテンション上がるんだね怜子……」
とまあこんな感じで私達は初日を観光気分で都市めぐりに費やした。
……案内してくれた使用人さんにはかしましすぎたろうから後で謝った。
使用人さんは別に問題ないむしろ楽しかったと言ってくれるあたり、主人であるカティアさんと同じくいい人なのだなと思った。
とにかく、私達はそうして、その日は街のだいたいの地形の把握、そして求人広告のチェックをして一日を終えた。
私達はそれから数日、そんな日々を過ごした。
「服屋だ! ショッピングしようよショッピング!」
「お金を無駄遣いしないの! とりあえず今持ってる制服とカティアさんから借りてる服で我慢なさい!」
「ぶー! 愛依っちのどケチー!」
「浪費家にしゃべる権利などなぁい!」
街を探索し、
「うへー見てみろよ大道芸人だぜ。あれやったら儲かるかなぁ」
「難しくない? 私達にそんな技術ないし」
「いやここはアタシの身体能力を生かしてこう……なんか凄いことを」
「具体性の欠片もないねぇ!?」
仕事を探し、
「異世界の図書館……知らない知識の宝箱だぁ……!」
「なんか食リポみたいになってる……」
「はっ……ご、ごめん……」
「いや、謝らなくていいから。ところでその本は?」
「……モンスターを使った料理本」
「やっぱりグルメリポートじゃん!」
情報を探し、
……と、そんな探し続けの日々だった。遊んでいるように見えるが探し続けだった。とにかく探し続けと言ったら探し続けです。
まあそうして、酒場のウェイトレスや道具屋の店番、お金持ちの家のメイドなど、それらしい仕事にも目星をつけ、さらに安い賃金で生活できる宿屋も見つけ始めた。
気づけば三週間ほどの時間が経ち、もうそろそろカティアさんの屋敷を出て生活を始めてもいいのかもしれない……そんなことを考え始めた頃だった。
「んー……一応生活できる見通しは立ってきたかな」
夜。
私は一人、部屋でぶつくさとそういったことを言いながら今後の展望をベッドの上で考えていたところだった。
「やっぱりメイドのお仕事が一番稼ぎは良さそうだなぁ。衣食住もついてくるし。ただなかなかハードそうだし家主の機嫌取りも大変そうだしでここは無難に――」
――コンコン。
「……うん?」
そんなとき、部屋の扉がノックされる音が聞こえてきたのだ。
「はい、どうぞ」
私が促すと、入ってきたのは怜子だった。
「愛依ちゃん……」
「怜子、どうしたの? ……とりあえず、中入ろっか」
不安そうな顔で私を見る怜子。彼女の顔を見たとき、私は怜子がとても辛そうにしているように思え、部屋に招き入れて、二人でベッドの上に座った。
「…………」
私は怜子が自分から話し始めるのを待つ。
この子に話を強要するのは逆効果なのを知っているから。
「……わたしね」
そして、少しした後に怜子は話し始めた。
「早く帰りたいよ……愛依ちゃん……わたし、ここでゆっくり頑張るなんて、無理だよぅ……」
それは心からの声だった。
今にも泣き出しそうな彼女の声が、私に届いてくる。
「……そっか。そうだよね、普通は無理だよね、そういうの」
「うん……愛依ちゃんも茉莉ちゃんもユミナちゃんもみんな強いけど、わたしは弱いからそういうの、無理なの……」
「強くなんかないよ」
私は怜子の頭を撫でながら言う。
「私だって結構無理してるんだよ? お父さんもお母さんも学校のみんなもいないこの世界で、お互い元の世界の住人は四人だけ。そんな中で、頑張るなんて難しいもん」
「そうなの……?」
「うん、そうだよ。でも頑張らないと、ずっと帰れないでしょ? だから頑張るの」
「愛依ちゃん……」
涙を蓄えた目で私を見る怜子。
私は、そんな彼女に笑いかける。
「大丈夫。私が頑張るから。怜子は怜子にできることをすればいいんだよ」
「……うん。ありがとう、愛依ちゃん。ちょっと気持ちが楽になった」
そう言って、怜子は少し私の横で私の肩に頭を置いていくと、そのまま帰っていった。
「怜子、あんなに辛そうに……。それにきっと、怜子だけじゃないよね。茉莉だってユミナだって、早く帰りたいと思ってるはずだよね」
私はベッドに横になり、両手を頭にまわして天井を見ながら言う。
「……このままじゃ、いけないよね」
そして、一人に戻った部屋で、私はそう呟いた。




