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第114話 過去編3 〜退学

「あの、先生」


「ん? どうした木下?」


明が自分に話しかけてくるのは初めてのことだった。いつもだったら友達と喋っているはずなのに、一体何の用だろうか?

ひょっとして、何か真面目なことだろうか。明の表情から、そう読み取れた。


それなら、少し緊張をほぐしてやるとするか。よし。


「何だ? 退学届けか? それなら俺によこせ。校長先生に渡してやるぞ」


「あ、助かります。それじゃこれ、お願いします」


明が深々と頭を下げながら、自分のほうに封筒を差し出してきた。その封筒には、筆で大きく「退学届け」と書かれていた。


「・・・おい、マジかよ」


冗談だと思っていたのに、本当になってしまった。まさか、木下が退学届けを出すとは・・・。中学校のデータじゃ夢に向かって真っ直ぐ熱心に取り組む、って書いてなかったっけ? それが、何で高校生活が始まったばかりのこの時季に辞めなきゃならないんだ? おかしいだろ、じゃあ何で受験なんかしたんだよ。


「理由は?」


「子供ができたんです。養わないといけない、だから働こうと思うんです」


「子供ぉ?」


「はい。このクラスの黒羽と俺の子です」


もう、何を言ったらいいのかわからなかった。あまりに衝撃的なことが起きたため、脳内で整理ができなかった。


そういえば、黒羽も放課後話があると言っていた。おそらく、そのときに木下と同じことを話すのだろう。自分に子供ができた、だから学校を辞める、と。


「と、とにかく、お前ちょっと校長室まで来い! 黒羽も一緒に連れてこい!」


「・・・今すぐですか?」


「そうだ! 1時間目はサボれ! いいな!」


そう言い残すと、先生は早歩きでその場を後にした。

明は拳をぐっと握ることで決意を表し、教室で友達と笑っている早苗のもとに向かった。


開きっぱなしの戸をくぐって、まっすぐ早苗の机に歩いていく。それに気がついた早苗はこっちを向いてくれた。同時に早苗の友達もこっちを向く。


「お、彼氏さんだよ早苗」


「何々? デートの約束? うらやましぃ〜」


「う、うるさいの。どうしたの? 明君?」


「・・・ちょっと、来てほしいんだ」


「? うん、わかった」


疑問符を浮かべてきょとん、としているが、事情をここで説明するわけにはいかない。周りに人がたくさんいる。いずれ伝わることだが、今日だけは事を荒立ててはいけない。なんせ、自分達の高校生活最終日なのだから。だから、今日だけは普通どおりで過ごしたい。みんなと笑って過ごしたい。後ろ指を指されるのはそのあとでいい。


「どこに行くのかな? 人の来ないとこ?」


「何する気? もしかして・・・・・きゃあぁああああ!!!」


何も知らない2人がはしゃいでいる。事実を知ったら、この2人の態度はどうなるのだろう。みんなと混じって後ろ指を指すのだろうか。俺たちを嘲笑うのだろうか。


だが、もしかしたら俺たちのこの状況を応援してくれるかもしれない。早苗と、ずっと友達でいてくれるかもしれない。・・・そうなってくれることを、心の底から祈りたい。自分達の理解者であることを、心の底から。


明はそのまま早苗と一緒に教室を出て行き、校長室までゆっくりと歩いていった。もうすぐ1時間目のチャイムが鳴るためか、廊下や階段には誰もいなかった。それを見計らって、早苗は明にたずねた。


「ねぇ、明君。どこに行くの?」


「・・・校長室だ」


ちょうど、チャイムが校内に鳴り響いた。






++++++






「来ましたね、そこに座ってください」


明と早苗は校長に言われたとおり、来客用のイスに腰をかけた。


校長室には校長のほかに担任がいた。険しい目をしており、こちらをじっと見ている。・・・普段不真面目な先生がこれほど真面目な目をするとは思わなかった。


「さて、今回の件ですが・・・宮本君から聞きました。黒羽さんが妊娠された、とのことでしたね。その相手は木下君だとか」


宮本、というのは先生の名前だ。先生は、校長に話してくれたのだ。


「私の意見を言いましょう。おろしたほうがいいです」


「!? 何であなたにそんなことを・・・」


「早苗! 話は最後まで聞かないと」


普段大人しい早苗がここで反発すると思わなかった。それだけ、自分の腹の中にいる子供のことを大事に思ってくれているのだろう。


だが、ここで反発しても無駄だ。そのことを早苗もわかったのだろう、口をぎゅっと閉じて校長の話を聞いた。


「あなた達はまだ若いです。子供を産むとなれば学校を辞めなければなりません。

 ですが、まだあなた達は高校に入学したばかりではありませんか。体育祭も文化祭も修学旅行も、まだ何も経験していない。楽しいことを何も経験していないではないですか。

 それに、子育てとはあなた方が思っているよりもつらいことなのですよ? 夜泣きにだって悩まされる。ご飯だって気をつかったものを作ってあげないといけない。お金だってかかる。 高校を中退した人を雇ってくれるところなんて、この地域では存在しません。お金を稼ぐのはとても難しいでしょう。

 私は・・・・楽しいことを捨ててまでつらい道を選ばせたくはないのです。考え直していただけませんか?」


・・・そんなこと、言われるまでもない。わかっている。昨日、早苗と話し合った。自分達のことよりも、子供のことを考えよう、と。


だから、校長に返す言葉は決めていた。


「俺たちは、お互いに話し合って決めました。よく考えた上で、この結論に至りました。だから、先生がなんと言おうと、俺たちは考えを変えるつもりはありません」


「しかし、あなた方は・・・」


「くどいです。私と明君の子供をおろせ? できるわけないでしょう。

 私達は自分の子供を殺すなんてできませんし、そんなことをあなたに言われる筋合いもありません。これ以上私たちの問題に口を挟まないでください」


「早苗・・・?」


早苗は、怒っていた。早苗は負の感情を表に出さないほうだ。悔しいときも、つらいときも、悲しいときも、そして怒ったときも、態度に出さず、自分の内側に押さえつけていた。感情を表に出さず、いつも笑って周りを優しい雰囲気にしていた。


だが、感情をここまで剥き出しにする早苗なんて、初めて見た。声に凄みがあり、今にも怒鳴りだしそうな雰囲気だった。何よりも、校長を睨みつけている。・・・ここまで露骨に敵意を剥きだす早苗は、一体・・・。


「私達はもう退学届けをお渡ししたはずです。もうこの学校にこれ以上いる必要なんてありません。帰らせていただきます。お世話になりました。さようなら」


言うなり、早苗はソファーから立ち上がってドアを開け、叩きつけるようにしてドアを閉めて部屋を出て行った。


この場にいた3人は、驚きのあまり声が出なかった。話し合いを投げ出し、この場から逃げ出すという早苗の行動が突然すぎて理解できなかった。


早く早苗を追いかけなければ。そう思った明は早苗と同様ソファーから立ち上がり、そのままドアのほうへ向かっていった。だが、


「ま、待ちなさい」


校長が引きとめた。振り返って見てみる。・・・状況がやっと飲み込めたという顔をしていた。


「貴方達、本当にいいのですね? 高校を辞めて、青春を棒に振り、過酷な現実をその若さで生きていくのですね?」


校長の声は、すがりつくような声だった。確認の言葉をかけているはずなのに、校長のその声のせいで、どう耳に入っても自分と早苗を引きとめようとしている風にしか聞こえなかった。

明は少し間を置き、言った。


「はい。でも、高校を辞めることはたいしたことじゃないと思うんです。いずれ卒業するんだし、高校を出るのが少し早くなっただけです。それに・・・」


「・・・それに?」






「早苗がいれば、俺頑張れるんで。だから大丈夫です」






それだけを言い残し、明は校長室を後にした。校長達は何も言わず、明の背中を見送っていた。


校長室を出た明は、とりあえず教室に向かった。早苗が行くとすればそこしかない。他にあるかもしれないが、自分にはそこ以外思いつかなかった。


少し歩いて、自分の教室に着いた。教室の中は授業をしているはずなのに、黒板を叩くチョークの音も、先生の声も聞こえなかった。・・・ひょっとして、誰かが怒られているのだろうか?


恐る恐る戸を開けて中に入る。クラスの視線が一斉に自分を向いた。・・・少し居心地が悪いが仕方ない。明は早苗を探すためクラス全体を見回した。


・・・いない。もう一度見回してみるが、やはりいない。早苗の机に視線をやる。横にかけられていたはずの早苗の鞄がなかった。もしかして・・・。


「き、木下。お前、学校辞めるって本当か?」


先生が本当に驚いた顔でたずねてくる。明は、あっちゃ〜、と顔に手を当て、言った。


「・・・そうです。誰に聞きました?」


「黒羽だ。明君と私は今日限りでこの学校を辞めます、って言って出て行ったよ」


「・・・まぁ、その通りです。俺と早苗は今日で学校を辞めます」


ざわざわと、クラスの連中が一斉に小声で近所の友達を話し始めた。まだ夏休みも越えていないうちに学校を辞めるというのだ。これほど驚くのも当然の反応だった。


そんな中、校長室に行く前まで早苗と喋っていた友達が、明に声をかけた。


「ねぇ、どうして辞めるの?」


「うん。こんなに早く辞めるなんて、よっぽどだと思う」


明は、答えなかった。ここで話しても、この場をもっと混乱させるだけだし、何より言った瞬間に後ろ指を指されるかもしれない。幸い、早苗は妊娠のことを告げずに帰ったみたいだ。・・・事情は告げないことにした。


明は自分の席にかけてある鞄を持ち、そのまま戸のほうまで歩いていった。そして、こちらを見つめるクラスのみんなと先生に向かって、一言。


「みんな、今までありがとう。短かったけど、楽しかったよ」


その一言で、教室内は静まり返った。なぜ、どうして、みんなが話を止め、こっちを見ているのか、明には理解できなかった。


その沈黙に耐えられなくなって、明は教室を後にした。短かったけど、思い出の詰まったこの教室に背を向け、明は歩き出した。


一年生の教室の並ぶ廊下を歩いている途中、授業をしているクラスの中からチョークの音と、何やらわけのわからない計算式を喋っている声が聞こえた。・・・今まで鬱陶しいと思っていたこの音も、声も、そして授業の時間も、もう味わえないのだと思うと、少しだけ寂しかった。


階段に差し掛かった。登校してきたときも、下校したときも、ずっと上り、下ってきたこの階段も、もう踏みしめることなどないのだろう。


階段を下りていくと、不意に後ろから「待てよ」と声がかかった。振り向いて見る。






・・・幸一だった。






「何でだ! 何で辞めるんだ! お前と早苗ちゃんが、何でこんな早いうちからこの学校から消えなきゃならないんだ!」


「・・・・・」


「何か理由があんだろ?! 教えろよ!」


一瞬迷い、そして決心する。・・・こいつだけには、喋っておこう、と。今まで、ずっと一緒に居てくれたこの親友にだけは、話しておこう、と。


「・・・子供が、できたんだ。俺と早苗の子だ」


「子供、だと・・・?」


「あぁ。早苗の腹の中で、一生懸命生きてる。俺たちは2人で相談して、一緒に頑張っていこう、て決めたんだ」


「・・・そのこと、何でもっと早く話してくれなかった?」


「早苗から聞かされたのが昨日だったんだ。それまで、俺は何も知らなかったんだよ」


「・・・それ、本当なのか?」


「あぁ。早苗と体を重ねた日と計算しても、ちゃんと日付が合ってる。大変だったよ、押入れから保健の教科書引っ張り出したり、妊娠のパンフレットを読み漁って計算するのは」


幸一は、何も言わなかった。いや、言えないのだろう。・・・幸一の顔からわかった。

そこで少し間があり、幸一が口を開いた。


「・・・明、俺はお前のことを親友だと思ってる」


「奇遇だな。俺もだよ」


「だから、俺はお前の味方だ。もちろん早苗ちゃんの味方にもなる。だから、俺はお前に子供をおろしてまで高校生活を続けろなんて言わない。お前らの生活、みんなが非難しても、俺だけは応援してやるからな」






・・・温かい、とても温かい友の言葉だった。






自分には味方がいる、親友がいる、支えがいる。今の自分にとっては、この上ない最高の支えだった。学生のくせに、愚かなことをした自分に後ろ指を指す中、ただ1人、幸一だけは自分達にエールを送ってくれるのだ。


・・・明は泣きそうになりながら「ありがとう」と呟き、その涙を悟られないようにと、その場を後にした。






++++++






校門のところまで行くと、早苗が待っていた。少しだけ寂しそうで、少しだけ怒ったような、そんな表情をしていた。・・・何か考えているのだろうか、早苗は明に気がついていなかった。


明は何も言わず、ゆっくりと早苗の近くに寄り、早苗の体をそっと抱きしめた。そこで、やっと早苗は明に気がついたようだった。


「あ、明君。来てくれたんだね」


「まぁな。・・・それより、何でさっきは怒って出て行ったんだ? あんな早苗、初めて見たぞ?」


「・・・ごめんね。ちょっと、頭に血が上っちゃって」


「? 何でだ? 校長、何か気に障るようなことでも言ったのか?」


「うん、言った。私と明君の子供を、おろせって、言った。私達の子供を、殺せって、言った。そんなこと、何で何も知らない赤の他人に言われなきゃならないの・・・!! 私達に口を出す権利なんてあの人には・・・」


ぎゅ、と、明は少し早苗を抱きしめる力を強めた。早苗の言葉を遮るように、強く。

早苗も、明の気持ちがわかったのか、それ以上は何も言わず、大人しく明の腕に抱かれていた。


「・・・帰ろう、早苗。俺、これから仕事と住む家探さないといけない」


「え? 住む家?」


「あぁ。あの家は、もういいんだ。家賃も結構高いから、これから貯めるバイトの金もそれで全部消える。もっと安いとこ探さないと、金が貯まらないだろ?」


「うん。そうだね。頑張ってね、明君。私も頑張るから」


「あぁ。お前のためなら、何だってやってやるさ」


明は、この瞬間に決心した。



俺は、こいつのために生きていこう、と。



どんなことがあっても、こいつだけは守ろう、と。



たとえ、親しい友人から後ろ指を指されることになっても、人から蔑まれようと。






+++++






「校長、それで両親のほうは・・・?」


「駄目です。木下君の身元保証人である叔父は、学費を払わなくて済むからということで退学を許可。黒羽さんのほうも、お父さんの退学を許可しました。・・・これで、めでたく退学が成立、というわけですね」


「・・・・・申し訳ないです。俺がついていながら」


「別にあなたが謝ることではありませんよ、宮本先生。ただ、私が気がかりなのは木下君の職場のことです。アルバイトだけで2人分の生活費を稼ぐことなんて・・・・・」


「・・・難しい、ですね。2人で働けば何とかなりそうですが・・・黒羽のほうは働けない。万が一のことがあれば子供が・・・・」


「・・・とにかく、私たちが出来ることはもう何もありません。あの子たちが決めた道ですもの、私たちが口を出すのは間違っています」


「・・・ですが」


「もう何もかも遅いのです。今更2人の退学を止めることなんて、我々にはできません。・・・神様がいるのだったら、どうかあの子たちを助けてくれればいいのですが・・・」


「・・・何とか、立派に生きてくれれば、いいんですけどね」


「それは私も同じ気持ちです。・・・さて、そろそろ次の授業が始まります。宮本先生、あなたまで授業をサボってはだめですよ?」


「・・・わかりました。では、失礼します」



これからも「殺し屋」よろしくお願いします!

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