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テクノクラシー衰亡史<4>

 大日本帝国がアメリカ合衆国に対して宣戦を布告したことは、アメリカ政府においてはさほど大きく注目されなかった。むしろこれでサハリン、クリルのみならずホッカイドウまで制圧できるかもしれないと喜んだ。一方で何としても翌64年までに戦争を終わらせたいフォレスタル政権にとって、さらに戦争を長引かせる気は毛頭なく、だからこそゾースウッズ作戦を実行したのだが、几帳面なフォレスタルが細部にまで口出ししたことやサハリンやクリルでの非大和民族系による武装蜂起という前提そのものが間違っていたため、失敗に終わりアメリカは世界に恥をさらしため、フォレスタルとしては一気に戦局を打開してアメリカを勝利させる必要があった。


 そこで着手したのが原子兵器の開発だった。動力としてはともかく兵器としての利用は"公には"禁止されていたため、ロシア帝国以外は実戦使用したことのない原子兵器を投入することで膠着した戦局を打開し、安全保障を盤石なものにすることができると考えられ、仮に不完全なものであったとしても放射線をまき散らし、その対象を汚染できるのは第二次世界大戦時の社会主義ドイツのスイス攻撃でわかっていたため効果的だと思われた。


 もっともフォレスタルがこのような決断を下したことについてフォレスタルだけを責めることをできないという意見も歴史家たちの中には存在している。なぜならばフォレスタルも参加した日本本土奇襲作戦後の早期降伏という当時のハースト政権の期待とは裏腹に徹底抗戦を誓った日本側の反応について、"ウチダドクトリン"と結び付ける意見が当時のアメリカでは主流だったからだった。


 "ウチダドクトリン"とは第二次世界大戦前の床次政友会進歩党連立内閣で外相を務めた内田康哉が、当時、日増しに高まっていたアメリカとの緊張に対して、


『例え、国を焦土としてでも帝国の主権と独立は守られるべきであり、そのためには帝国陸海軍は必要なあらゆる行動を取る』


 と帝国陸海軍はおろか他の閣僚にも相談しないままに勝手に宣言したことについて、"日本人はいかなる状況に陥ったとしても降伏することはないという半ば自殺的な徹底抗戦をその国家戦略に据えたと解釈して、奇襲攻撃後の反米で一致団結した日本人を"ウチダドクトリン"に従って動いていると結論付けた。


 実際には内田外相の発言は旧政党内閣下でよくあった失言の一つであり、床次内閣自体が発足後すぐに倒れ、その後の新体制の象徴である徳川義親内閣に代わっていたことにより、内田外相の発言もすぐに忘れ去られていたものだったが、アメリカ側は自らの奇襲攻撃の戦略的失敗を"ウチダドクトリン"を原因とすることで正当化していたし、また内部でもそう信じられていた。さらに言えば、フォレスタルは日本本土奇襲作戦に自ら参加していたために余計にそう信じ込んでおり、だからこそ"頑迷な"日本人の"ウチダドクトリン"を文字通り吹き飛ばすべく原子兵器の開発を開始したのだとされるが、その決定が最終的にフォレスタル政権を崩壊へと導くことになる。


 フォレスタル政権の決定に最も激怒したのはイギリスだった。


 社会主義ドイツに対する自らが行なった化学戦の恐怖と戦後の宇宙開発の進展の結果として月着陸こそアメリカに先を越されたものの、イギリス政府、ゆくゆくはできる限りの国民の軌道上への避難計画を極秘に構想してきており、ロシアと極東の消滅後はさらにそれを加速させようと考えていたイギリスだったが、ここにきて一つの障害に突き当たっていた。それは、それまでの宇宙計画の大前提とされてきた形質獲得による進化とその結果として宇宙空間への適合はできないという報告があげられたことだった。


 かつて、ダーウィニズム的、遺伝学的進化を社会主義勢力が称揚したことに対抗して、形質獲得説を政治的理由から後押しし続けた弊害がよりにもよって一番大事な計画を阻害することにつながったのだった。


 こうして、早期の軌道脱出よりも原子兵器の開発の方が早いのは間違いないだろうとの報告を受けたイギリス首相オズワルド-エーナルド-モズレーはすぐに破壊工作を命じ、1964年5月22日、カナダ人抵抗組織とイギリス諜報部はイリノイ州シカゴ郊外にあった原子兵器製造施設である"パイル-ワン"を破壊した。この破壊があっけなく成功したのはアメリカの誇る諜報機関の一つであるFBIが愛国党からの政権交代に伴い職員の多くが解雇あるいは訴追されていたために破壊計画を察知できなかったためだった。そればかりかそれがイギリスの仕業であるということすらもわからなかった。


 この結果、五大湖、特にミシガン湖近辺は重度の放射能に汚染され、そのショックはすでに限界に近かったフォレスタルの精神に多大な負荷をかけることになり、ついにそのまま帰らぬ人となってしまった。そして、フォレスタルに代わり、副大統領を務めていたホレス-ジェレマイア-ヴォーリスが昇格した。愛国党の地盤の一つであったカンザス出身ながら、社会的福音運動に大きな影響を受けていたヴォーリスは内戦後の北部地域でも積極的に復興に携わっており、"北部の聖人"として知られていた。そのヴォーリスに対する強い支持を見たフォレスタルが来る64年の大統領選の基盤固めのために任命していた人物でありフォレスタルにとってはそれ以上の存在ではなかったが、皮肉にもフォレスタル自身の死によって、フォレスタルと同じように大統領となった。


 そして、新たに誕生したヴォーリス政権は清国と日本に対して和平を申し出ることにした。ヴォーリスからすれば、自らの地盤である北部地域の汚染からの復興にまずは力を注ぎたかったからだった。日清両国はこれに反発したものの、特に北平軍閥と中央政府との関係が悪化しきっていたこともあり余力のない清国は及び腰であり、結局、イギリスの仲介によってワイト島のオズボーンハウスで行なわれた会議では休戦協定という形で戦前の国境線復帰が決められ、1964年10月27日に事実上の日清の敗戦という形で満蒙戦争は幕を閉じた。この結果は誕生したばかりのヴォーリス政権にとって追い風であり、"原子炉の悲劇的な事故"という惨劇の中にあって、僅差ながらも国民党を勝利に導く結果となった。


 こうして満蒙戦争は終わり、それは参戦した各国に大きな影響を与えた。興味深いのは日本と清国、そしてアメリカにおいても政治的混乱と欧州諸国への不信感がついに自らの側で参戦しなかったことにより強くなった点だろうが、それでも各国が手を取り合うことは決してなく、それぞれ独自の道を歩んでいくことになる。

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