51、髪遊び
明日の晩餐会の流れとテーブルマナーのおさらい、候補者たちの名前と特徴。それらとそのほかの諸々を確認してアーラはすべきことの指示を仰ぎ、打ち合わせは予定よりも短時間で終了した。
アーラが退室しようとするとゼファードに呼び止められた。彼があまりに深刻な表情だったので何事かと思えば、語られたのはリルグリッドの死についてで、クオードへの尋問の内容だった。
牢番たちの証言にもとづき、公にはできないながらクオードに疑いがある件を問うと、クオードはまったく表情を変えずに覚えがない旨を告げたという。その場はそのままクオードを帰したと言うものの、ゼファードは彼への疑いをぬぐいきれていないのだと、口調と言いよどんだ間からアーラは察した。
「クオードの忠誠は昔から、なんと言うか……時々、行き過ぎていると感じることもあるんだ。あいつは王家に忠実だが、裏を返せば王家をよく言わない者には容赦がない」
「どうして私にその話を?」
アーラがたずねると、ゼファードはただアーラに知っておいてほしかったのだと言った。
リルグリッド事件の詳細について知っているのは近しいわずかな者たちだけで、アーラはその中に自分も含まれていることに何とも言い表しがたい――緊張感のような優越感のような――奇妙な感覚を覚えた。人の死が絡む事件では不謹慎と思いつつも、それは〝あちら〟で仕事がみとめられたときの気持ちと似ているようで、それよりも少し、こそばゆかった。
屋敷へ戻ると、仕立て屋がほぼ出来上がったガウンをティアーナに見せているところだった。
「あらあ、お早いお帰りだこと! ちょうどよかったわ。アーラ、ほら御覧なさいな。なかなか良くできているとは思わなくって? 早速着てみて頂戴」
アーラは返事をする間も選択の余地もなく強制的に着付けられた。腰の紐はきつく編み上げられ、息が詰まる。ティアーナの独断で肩も袖も衿も取り払われたデザインは、アーラにしてみればたいそう心もとなく、首の後ろで結ぶリボンだけがドレスがずり落ちないことを保証する最後のよすがだった。
「とってもよく似合うわ、アーラ! 肌の色が白くって、藤色が映えていてよ。もっと腰のうしろを膨らませて、前をすっきり整えるとスタイルよく見えるわ。それからそちらの人、ここにひだを寄せて見せてちょうだい……そうよ。アーラ、じっとしていてね、針が刺さるといけないから」
たっぷり布地が足され、ひだが寄せられる。新たにレースが何巻も持ち出され、アーラの目にはほとんど完成しているように見えたガウンのそこかしこに手が加えられてゆく。
「真珠も清らかさをアピールできてよいけれど、銀とダイヤモンドのよく光る首飾りのほうが見栄えがするのではなくて? それとも月嶺石のしとやかな輝きがいいかしら? 靴もよいものを探させなくてはいけないわね。わたくしのだとサイズが小さいと思うもの」
天気のよい日の梢にとまった小鳥のように楽しげにさえずるティアーナにアーラがなんとか微笑みを返していると、ジルフィスが壁にもたれてこちらを見ているのに気がついた。
――いつからいたんだろう?
マネキンのようになされるがままで、作り笑いを浮かべ続けているさまを観察されていたのだと思うと、穴を掘ってでも隠れたくなった。ティアーナは知らないかもしれないが、ジルフィスは、アーラが夜会や晩餐会のために贅を尽くした準備や装いをすることを好まないと知っている。
ようやく一段落してティアーナが八分目程度の及第点を出すと、黙って外野から眺めていたジルフィスが歩み寄ってきた。
「おふくろ、アーラを借りてもいいかな」
「あらジルったら、いつの間に帰っていたの?」
「さっきからいたよ」
ジルフィスがアーラの手をとって歩き出すと、ティアーナは、
「またこちらへつれていらっしゃいよ。まだ髪飾りをあわせてみなくてはいけないんだもの」
ジルフィスは母親にひらひらと手を振って、階段を上がり、アーラをいくつもある客間のひとつに引っ張り込んだ。
「おふくろの相手は疲れるだろ。あの人は昔からああなんだ。……でも、娘ができて心底よろこんでる」
彼はアーラを椅子に座らせて、ドレッサーをぞんざいに開けるとその中からブラシとこまごまとしたものを取り出した。
「ここは客間だけど、客を泊めるより夜会を主催したときの控え室に使うことのほうが多いんだ。アーラ、じっとしてて」
ジルフィスはなれた手つきでアーラの髪をとかし始めた。午後、つい執務室の控えの間でまどろんでしまいゼファードに髪を梳かれたことを思い出して、いたたまれない気持ちになる。
それでもジルフィスのブラシは優しくすべらかに動き、彼は落ち着きのない馬をなだめるときも同じようにブラシをあてるに違いないと思った。
「どうするの?」
「ちょっと遊ぼうかと。……おふくろだけにアーラを独り占めされるのは癪だからさ」
「人で遊ぶのは趣味が悪いと思うわ」
「君も楽しめばいいんだよ、アーラ。俺、こういうのはちょっと得意なんだ」
ジルフィスはつやが充分出るまでくしけずった髪を、耳の横から一房すくって長く編んだ。同様にもう一本編み、それらをそろえて冠のようにぐるりと頭に一周させる。
「ぜんぶ結い上げるのも大人っぽくていいけど――首筋がきれいに見えるしね――でも、こうやって後ろ髪を残すのもアーラには良く似合うよ」
「こんなにきれいに編めるなんて、よっぽど器用なのね」
――それかよっぽど修練を積んでいるんだわ。
おそらく花街で遊んだあと、相手の女性たちに何度となくこういった技を披露したのだろう。
「やってみてほしい髪型があったら、言ってごらん。やってあげるから」
「シンプルなのが一番いいわ。あんまり凝った髪型だと、肩まで凝るの」
アーラは正直に白状した。ジルフィスは笑って、
「もったいないなあ。こんなにきれいな髪なのに」
結び目をほどいて編み目をほぐし、ジルフィスはふたたびブラシをあてた。
けれどもブラシは毛先をすり抜けたきりもどっては来ず、代わりにジルフィスの頬がアーラの髪に押し当てられた。
「アーラ」
「うん?」
すぐそばにジルフィスの体温がある。アーラはささやかな警戒とひそやかな安心感を矛盾なく同居させて、小さく息をついた。
「とってもきれいだ。似合ってる」
「ありがとう」
「……アーラが望めば、俺はボーロックにも他のどんな卑俗な貴族どもにもアーラが煩わされないですむように、ここに閉じこめるのに」
「閉じこめられるのはごめんよ。言っとくけど」
「だからアーラが望めば、の話さ」
背もたれのうしろから回された腕の温みに、アーラは軽く目を閉じた。
優しく甘く強い誰かに絶対的に守られるという想像は、甘美には違いない。けれどもそれは同時に、彼が秘めている剣の刃の鋭さと同じくらいに怖ろしくもある。どのみち自分が望むことなどありえないのだから、その怖ろしさは実現しないと信じたい。
――ジルが本気じゃないのを願うばかりだわ。
そう、きっと本気ではないのだろう。青髭でもあるまい。
アーラはそう思うことで、自分を安心させた。




