第5話 獣の調教
ギルバートたちの奴らの近くまでいくと、その頭に水をぶっかけた。
「なっ⁉」
呆気にとられる室内。不自然に静まりかえる中、ファフの料理を食べる音だけが、妙にはっきりと聞こえてくる。
「貴様ぁ! 今自分が何をしたかわかっているのかっ!」
ギルバートの背後で控えていたお付きの真っ白な騎士が抜刀して、私に剣先を向けてくる。
「どうした? こいよ?」
左の掌を上にして手招きをする。
「小僧がぁ! 殿下への不敬! 手足を切り落として司法官に引き渡してやる!」
とても騎士とは思えぬ台詞を吐きながら、私の右肩をめがけて剣を振り下ろしてくる。おそらく本気だろう。少なくとも素人の少年少女ならば、司法官に引き渡すまでもなく致命傷だ。
「どこまでもクズな奴だな」
私は奴の剣を右手で受け止める。
「な⁉」
驚愕に目を見開く奴の足を払う。奴は綺麗に空中で数回転すると、顔面から地面に叩きつけられる。グシャッと鼻骨が潰れる音。
呻き声を上げる青年騎士を脚でひっくり返して横臥にしてその顔を踏みつける。
そして、
「アスタ、串と空の皿をよこせ」
アスタに指示を出す。
「了解である」
アスタはさも楽しそうに口端を耳元まで引き上げるとテーブルの上の空の皿とその上に置かれている木製の食べ終えた串を私に投げて寄こしてきた。
私は皿を左手で、串を右手でキャッチすると、奴の頬肉に突き立てて床に縫い付け、踏みつける。
響き渡る絶叫の中、左手の空の皿に、ギルバートが床にぶちまけた料理を拾って乗せる。そして、ギルバートたちに近づき、
「どけ」
今もギルバートの隣に座る赤髪の少年を見下ろしてそう命じる。
「……」
微動だにせずに私を見上げる赤髪の少年に、
「私は――どけといったんだっ!」
怒声を浴びせる。
「は、はひっ!」
転がるように椅子から飛び降りると私から距離を取る赤髪の少年。
未だに事態を把握していないのだろう。ポカーンとした顔で私を凝視するギルバートの隣の席に座ると、ぐちゃぐちゃの料理がのった皿を奴の目の前に置き、
「その料理を食え!」
強い口調で指示を出す。
「ふ、ふざけるなっ! そんなことできるわけないだろっ!」
真っ赤になって否定するギルバートの胸倉を掴むと、
「いいか? 料理がマズイというのは大いに結構。人には好みがあるし、それが料理人たちの今後の成長の糧になる。だがな、せめて一口食べてから判断をしろ。逆ギレするな! 唾を吐きかけるな! あまつさえ料理を粗末にするな! それが一般社会のルールというものだ。それをお前は破った。だからその後始末をしなければならない。わかるな?」
諭すように、語り掛ける。
「ぶ、無礼なっ! この僕はアメリア王国第一王子――」
鬱陶しくなった私はギルバートの胸倉から手を離し、その頭を鷲掴みにすると、ぐちゃぐちゃの料理にその顔を押しつける。話が通じぬ獣には実力行使。これは迷宮で学んだ私の真理のようなものだ。
「もういい。ごちゃごちゃ宣う前に食え。食ったら離してやる」
「もがぐげっ!」
みっともなく喚くギルバートに構わず、私は料理に奴の顔を押しつけ続けた。
窒息するとでも思ったのだろう。数分後、観念したのかギルバートはようやく食べ始める。
そして――。
「カイ君、それくらいにしておいてあげて欲しい」
背後から聞こえてくる心底呆れたような疲れた声が聞こえて振り返ると、大剣を担いだ青髪に無精髭を生やした男が佇んでいた。
「おう、アル、あんたもここにいたのか」
顔だけ向けて、久々の再開に左手を挙げて答える。
「ああ、重要で面倒な会議がここで開かれているものでね」
アルノルトも肩を竦めて見せてくる。
アルノルトの登場により、今まで泣きながら震えていたギルバートのお付きの少年たちはその背後に一斉に隠れる。主人を放っておいて自分は逃亡かよ。随分と大層な忠誠心だな。
ま、例外はあるようだがな。唯一、そばかす少年だけが、丁度さきほど震えながらも謝罪の言葉とともに止めるように訴えかけたところだったのだ。
「それで、もういいかな?」
「ああ、獣の調教には十分だ」
そばかす少年のメンツもあるし、そろそろ引き際だとは思っていた。それに皿上の料理も三分の二は食べている。バカボン王子の教育には十分だろうさ。
ギルバートからゆっくりと離れると、今も痛みに喚く騎士の櫛を引き抜き、上級ポーションを取り出して振りかけて全快させる。上級ポーションなら傷一つつかずに治癒できる。ほら、この手の奴らは後々傷がどうとか五月蠅そうだからな。
案の定、回復した騎士は立ち上がると、震える右の人差し指で、
「アルノルト騎士長、こいつは、こいつは私たちに水をかけ、私を傷つけて、あまつさえ、ギルバート殿下に――」
必死の表情でアルノルトに訴えかけた。
「傷? どこがだい?」
「ここにさっき、櫛を刺されていたんです! 貴方も見たでしょうっ!」
「さあ、俺は見ていない。軍務卿はどうですかな?」
背後で形の良いカイゼル髭をつまんでいるダンディな男に尋ねるが、
「私も見ていない」
即答される。
「んなっ⁉ あ、貴方たちは――」
「それより、タムリ上級騎士、君たちのここでの振舞いは既に報告を受けている。そもそも、ここはアメリア王国ではない! 君らの行為は祖国の顔に泥を塗る行為だっ! 恥を知れ!」
そう突き放すと、涙と鼻水と料理で顏を汚しつつも、放心状態にあるギルバート王子を背中に担いで、
「君らも行くぞ!」
そう促す。
「じゃあ、カイ君、また」
右手を挙げると食堂を立ち去って行った。
最後までそばかすの少年だけは、最後に私にペコリと深くお辞儀をすると、アルノルトの後を付いて行ったのだった。




