新たな物語をあなたに
新年の抱負、的なSS。『久遠の振り子』の内容を含みます。
……さて、おのおの方、時の財務長官はといえばシャリム家のリヒト。申し分ない名門の出自、かつて王の候補に名を連ねた傑物。すなわち人望厚く、その中には欲深く思慮浅い追従者も多くあり。そんな男が、息子よりも若かろう田舎者に頭を下げているとなれば、不満を募らす輩も現れるが世の常。
「リヒト様。あなたほどの御方が、なぜ今の地位に甘んじておいでなのです」
官僚某から物騒な質問を投げかけられ、リヒトは眉を上げた。探るように相手の表情、些細な仕草、瞳の奥までも見つめたが、どうやら謀反を唆す計略などは持ち合わせておらぬ様子。ただの拙い憤懣、王のことが気にくわないという怒りだけらしい。
よってリヒトは薄く笑い、鷹揚に答えてやった。
「なぜというなら、私よりも彼が優れているからだ。先王アルハーシュ様をもしのぐ『王の資質』は到底私の及ぶところではない」
「お言葉なれど、『王の資質』はもはや王ひとりのものにあらず、と知らしめたのは当の大王自身。ならば資質の優劣が王にふさわしいとの証にはなりますまい」
「我らが大王のなさりように不満があるなら、直接申し上げてみてはどうだ」
ずばりと言われて、途端に官僚は怖じ気づく。リヒトは皮肉と揶揄をまじえてにやりと笑い、しかるのち真顔になって「申し上げてみよ」と繰り返した。
「それが筋の通った抗議であるなら、大王は決して無下にはなさらぬ。確かに、かの君はまこと我が強く無謀とも見える取り組みにも力を注ぎ、この国のありようをすっかり変えるほどの勢いでまつりごとをなさる。しかしいつでも、変えようとする場と人々を、その目と耳で確かめることを怠らない。実際に物事に携わる人々の声を重視し、誰の提言にも耳を傾けられる。ある時などは、小心者の役人が震え上がってしまったものだから、面と向かって言いにくいなら書面でよこせ、とも仰せられた。そういう方だからこそ、私はかの大王を支えることに何の不満もないのだよ」
――ああ、読者諸氏よ! まさにこれぞ賢王のあり方というもの! 悲しいかな、かつていにしえの大王が備えていたこの徳は、いまや失われて久しい。すべての王、権威権力の座にある者が、己の周囲だけを見て貴族や富豪の追従に惑わされその利得を追うばかりで、現実現状の切実な声を聞き届けない。心ある者はわずかとなり閑職に追われ、名も無き文筆家の駄文に慰めを見出すことに……
……以下延々と続く権力者批判と、合間にちゃっかり自分の後援者だけは持ち上げる書き手の抜け目なさに、シェリアイーダはくすくす笑いをこぼした。
邪魔をしないように近くで別の書を黙読していた警士が、おや、とそばに寄ってささやく。
「何か愉快な話でも?」
「ええ、これを見て」
開いたまま差し出された書物を受け取り、どれどれと目を通したリゥディエンは、堪えきれず吹き出した。
「また随分と持ち上げたものですね。この著者はいにしえの大王に心酔していたか、あるいは時の王に相当な憤懣を溜め込んでいたようで」
「それこそ『直接申し上げてみては』だわ。もちろん、そう出来ないからこうして物語の形を借りたのでしょうけど、肝心の相手には届いたのかしら?」
シェリアイーダは苦笑して、ぱらぱらと前後の頁をめくった。
「為政者に抗議するために引き合いに出されるのなら、お父様もそれほど嫌な顔はなさらないでしょうけど……これはちょっとやりすぎ。でも、確かにそんなこともあったかも、と思わされるわ。どの人物もとても生き生きと描かれていて、時々入る作者の嘆きを除けば、楽しい作品よ」
「そのようですね」
愛しい姫君の横顔が懐かしさに和らぐのを見て、リゥディエンも目を細める。
「実際、そうした状況にはよく居合わせました。書面でよこせ、はありませんが……」
「そもそも読み書きできる人が少なかったものね」
「はい。ですが、意見を聞こうと呼び出した者や陳情者などが、萎縮してしまったり忖度ばかりして要領を得なくなると、我が君はいつもの短気を起こして相手の“現場”へ案内させて、実地で話をされたものです。豪壮な謁見殿の高い玉座には人々の現実が届かないことを、自身がかつて僻地で暮らしていた経験から、よくご存じだったのでしょう」
「……そうね。そういう方だった」
シェリアイーダは目を伏せてささやいた。懐かしい記憶をひとつまたひとつと追いながら、書架の背表紙をなぞっていく。
「これなんて、大王様がお忍びで世直し巡業をしていたという話なのよ。それにこっちは、いにしえの英雄アイヴァにならって邪悪な旱の魔物を倒した冒険譚。あとこれは少し真面目に当時の土木事業を題材にしているけれど、やっぱりシェイダール王があちこちに顔を出しているの。これ全部が事実だったら、お父様が何人いても足りないわ」
「お供をする私も、さすがについて行けませんね」
二人は小声でささやき交わし、顔を見合わせて笑う。日だまりのような暖かさが二人を包み――だが不意に翳った。
視線を落としてうなだれた姫君に、警士は気遣わしげに呼びかける。
「……姫様?」
「こんなに……こんなにたくさん、まるで今もまだ偉大な王が生きているのかと思うほどに多くの物語が紡がれているのに、……どこにもいないの。お母様は」
ほとんど聞き取れないほどの一言だったが、それはリゥディエンの息を詰まらせた。
重い沈黙の底を、ぽつりぽつりとつぶやきが転がる。
「偉大なる王。彩紀を開きし、輝ける六彩の御君。語られるのは皆、そうなった後の姿。まるで最初から玉座にいて、『その前』なんてなかったみたいに」
際限なく――それこそ千年分の過去までも沈んでゆきそうな暗い瞳を、瞬きして引き上げる。シェリアイーダは力なく微笑んだ。
「誰かは書いたのかもしれないけれど、きっと失われてしまったのね。胸のすく物語が愛されるのは、いつの時代でも同じだもの」
「姫……」
リゥディエンは共に眉を曇らせ、かける言葉を探しあぐねて口をつぐむ。だがじきに彼はぱっと憂いを払った。雲間から黄金の陽射しが降る。
「ならば、書きましょう」
「えっ?」
「物語を書くのですよ、姫。今なら書き物をする時間もお金も充分にあります。伝記として事実に縛られることもない、もう誰も真偽を確かめられないのですから、自由に……あなたが蘇らせたいと願う母君の姿を綴るのです」
思いも寄らない提案をされて、シェリアイーダはぽかんとなった。これまでに経た幾度もの人生で、何かを書き記すことが出来たのはごくわずか。それもすべて『記録』を残すことに躍起になっていた気がする。
「自由に……つまり、嘘をついても良いのね?」
上手く飲み込めないままにつぶやいた彼女に、リゥディエンが楽しげな笑いをこぼす。
「意図して嘘をつかなくても、確かこうだったとか、こうであって欲しかったとか、そうした記憶と願いを撚り合わせて、あの頃の日々を紡がれてはいかがですか。偉大な王となる前の、田舎育ちの頑固な変わり者シェイダール、その傍らで幼いあなたを抱いていた若い娘……ヴィルメのことを」
あまりにも久方ぶりに母の名を耳にして、シェリアイーダ――シャニカの魂は大きく揺れた。堪える間もなく涙が溢れ、頬を伝う。
肩を震わせて嗚咽を堪える彼女を、かつての夫はそっと抱き寄せて包み込んだ。
「私も、些少ながらお手伝いします。あなたよりは幾らか覚えていることもありますし、我が友から聞き知った故郷でのやりとりなども、思い出せる限りをお話ししましょう」
「ありがとう……ありがとう、リッダーシュ。ええ、そうするわ。書いてみる。物語なんて……読むばかりだったから、うまく書けるかわからないけれど……」
「一緒に取り組んでみましょう。きっと楽しくなりますよ」
優しく背をさすり、黒髪に口づけする。慰めの行為は、しかし姫君を我に返らせた。急いで涙を拭って身を離し、周囲を見回して人目がないことを確かめて、シェリアイーダはほっと息をついた。
「駄目ね、つい立場を忘れてしまって。とにかく、あなたの提案はとても素敵だわ。今になって“新しいこと”を始めるなんて、なんだか不思議な気分。あなたも、負担にならない範囲で協力してね」
「負担などと、まさか。喜んで。思い出して語らえるのは、大変に幸せな心地ですよ」
にこにこと屈託無く応じたリゥディエンに、シェリアイーダは感謝の目礼を返し、次いで何かに気付いた疑惑の表情になった。
じっ、と元夫を見つめるそのまなざしは、時を越えて父から受け継いだような深い紫。リゥディエンは否応なく古い記憶に引き込まれ、懐かしさに押し潰されないように笑みを取り繕う。その防御に気付いてか否か、シェリアイーダはしかめ面をした。
「ねえリゥ。お母様を思い出してくれるのは良いけれど、あなた、ついでにわたしを赤ん坊として見なかったでしょうね?」
「――え」
ぎくりと怯み、咄嗟に否定もできず目が泳ぐ。
――ああ、だって仕方ないではありませんか、あの頃の様子を思い出せば必定、姫は愛くるしさの極みで――などと内心で言い訳したのが、顔に出た。
シェリアイーダは彼を睨みつけ、苦々しげに低くゆっくりと唸った。
「わたしはあなたの子を産んだこともあるはずなんだけれど。いつになったら、よちよち歩きのちっちゃな姫から卒業できるのかしら」
「あ、いや、まことに申し訳も……しかし決して幼子扱いなどは」
珍しくしどろもどろになったリゥディエンに対し、シェリアイーダはふんと鼻を鳴らして背を向ける。怒ったふりで歩き出した姫君の後から、恐縮しつつ警士がついてきた。
もちろんシェリアイーダとて、彼が抱く感情はそれなりに理解しているつもりだ。愛する女であり崇敬する女王、共に歩む伴侶であると、確かにそう認められているとわかっている。だが最も深い底に消えず横たわるのは、庇護の愛であることも疑いない。
最愛の主君にして親友の、大事な大事な最初の娘。悲劇の巻き添えにしてしまった痛ましい幼子。
後の人生でどれほどの想いと経験をその上に塗り重ねてゆこうとも、決して消えはしない。
(決して? いいえ、どうかしら)
ふと思いつく。もし本当に、かつての母と父の姿を物語に紡げたなら、そこに幼いシャニカ姫をも『登場人物』として投げ込んでしまえたなら、もしかしたら、あるいは。
ぴたりと足を止め、振り返る。
叱られた犬のような顔をしたリゥディエンを見上げ、シェリアイーダは挑むように微笑んだ。
「ではさっそく始めましょうか。まずは紙とインクを略奪しに行きましょう」
「はい、姫」
安堵を隠さず、畏まって敬礼した警士を連れて、姫君は意気揚々と新しい挑戦に踏み出していった。
2023.1.1




