尊大なる君
即位数年後、まだまだ若造な大王様。
間が悪い時というのは、何もそこまでと思うほどに重なるものだ。
たまたまシェイダールは鍛錬を終え、水路のそばで半裸になって汗を拭いているところだった。リッダーシュは冷たい飲み物を取りに行き、召使は汚れた服を素早く片付けるためにそばを離れて。鍛錬の相手をしていたヤドゥカは何やら部下に捕まって、込み入った話を持ち込まれたため日陰に避難しており。
つまり、ほんの短時間ではあったが、大王様が一人きりになってしまったのだ。身分の証になるもののひとつも身に着けていない状態で。
そしてたまたま、そこへ大荷物を抱えた年配の男が通りかかった。
この男は街で商店を営んでいるのだが、王宮には不案内だった。跡継ぎの息子が頑張って王宮への伝手を開拓したので、納品に来るのは専ら息子の仕事だからだ。しかし今日に限って急に予定外の来客があり、やむなく父親である男が代わりを務めたのである。が、しかし。
広い王宮内で迷ってウロウロした末、出てきた場所が教練場。どう見ても行き先を間違えたが、正しい道を尋ねられそうな人影もない。誰かいないかときょろきょろしてばかりいたせいで、男は敷石につまずいた。
「ああっ!」
頓狂な叫び声と、何かが散らばる物音に気付き、シェイダールはそちらを振り向いて眉を寄せた。半白髪の男が四つん這いになり、まわりに布包みや巻物が転がっている。
何者か、と不審に思いつつ見ていると、起き上がった男とばっちり目が合った。途端に、
「おいっ、そこの! 見とらんで、手伝ってくれんか!」
苛立ちもあらわに手招きして急かす男。相手が若造で従者の一人もついていないから、適当な下っ端だと認識したのだろうが、だとしても無礼ではある。シェイダールは渋面になったが、散乱した品物のほうが気になったので、無言で歩み寄って拾い集めてやった。
「やれ参ったわい。ひぃ、ふぅ、みぃ……これと、もうひとつ」
男はひとつひとつ無事を確認しながら、梱包し直していく。最後にシェイダールの手元に目をやり、ぎょっとなって「おい!」とまた大声を上げた。
「勝手に開くな、それは貴重な写本なんだぞ! 傷んだらどうする」
強引に巻物を奪い取り、ほら残りも渡せ、と手振りでせっつく。シェイダールはむっとした顔をすると、要求を無視して別の書を開いた。
「おまえはファザーリ商店の使いか?」
「っ……、いいから返せ! まったく……これの価値なんぞわかっとらんのだろうがな、おまえは」
無礼の仕返しとばかり、おまえ、と強調して男は言う。
「書物というのは非常に貴重なものなんじゃ。おまえみたいな若いのが、知ったかぶって詩の一節二節を暗誦するためのもんでもない。蓄えるべき知識を得て、心を養い徳を積む生き方を学ぶ、そういう、金に代えられない価値がある。雑に扱うな、もっとしっかり勉強せい!」
「書物が貴重なのは分かるがな。徳を積むだとか、誰の基準で……」
呆れてシェイダールが言いかけたところで、
「我が君!」
黄金の声が焦った響きで呼んだ。振り向くと、主君が元いた場所に水差しを置き去りにしてリッダーシュが駆け寄って来る。シェイダールは取り急ぎ彼を安心させてやった。
「大丈夫だ、何でもない。こいつがつまずいて荷物をばらまいただけだ」
「これは……先日注文されていた写本? なぜこんな場所に」
リッダーシュはひとまず警戒を解いたが、油断はせず、厳しい目で商人を見据える。シェイダールは肩を竦め、「迷ったんだろう」とあっさり応じた。ここで育ったおまえは慣れているだろうが、外部の人間には結構わかりにくいんだぞ、という含みを込めて苦笑する。
そんな主従のやり取りを目の前にして、商人は見る見る青ざめた。まさか、とも、平にご容赦を、とも言い出せずにいるうちに、召使が数人ささっと現れてシェイダールの剥き出しの肩に清潔な上衣を着せかけ、離れた場所にいたヤドゥカも騒ぎに気付いて足早にやって来た。側近の二人が両横を守り、背後に召使が控えるありさまは、間違いなく威風堂々大王様である。
もはや気絶しそうな様子の商人に、シェイダールはちらりと面白そうな目つきをくれただけで言葉はかけず、召使に案内を命じて立ち去らせた。
商人がよろけながら行ってしまうと、シェイダールは上衣に袖を通して帯を締めながら、やれやれと頭を振ってぼやいた。
「常々思うんだが、なんだってジジイどもは基本が偉そうなんだ? 相手が誰だか知りもしないくせに、初っ端から見下してきて命令したり説教したり、当然こっちが従うものだって態度で」
そこまで言い、彼は自分に向けられている視線に気付いて眉を寄せた。
「なんなんだ、おまえら揃って何か言いたそうな顔をして。リッダーシュ、笑いたいのを堪えてるな? 黙ってないで正直に言えよ」
不機嫌に命令されて、堪え切れずリッダーシュがふきだす。横でヤドゥカが押し殺したため息をつき、沈痛に答えた。
「まさにおぬしの態度がそれだ」
「――え」
「初対面から」
「……」
「もしや、自覚しておらなんだのか」
あまりにもシェイダールが愕然としているので、ヤドゥカは呆れて問うた。無自覚な大王様は呆然自失したままつぶやく。
「同じ……? あのジジイと?」
「おぬしの態度が偉そうでないなら、何だと思っていたのだ」
「俺はただ、不作法なだけだと。田舎者で、粗野で。……偉そう、なのか」
なんてこった、とばかりにシェイダールは眉間を押さえる。ヤドゥカは天を仰いだが、感想は口に出さなかった。代わってリッダーシュがいつもの暖かさでとりなしてくれた。
「同じではなかろうよ。おぬしが嫌う『ジジイども』はことごとく、少しでも自分のほうが上だと示したがる輩だ。相手が若い、育ちが卑しい、あるいは女子供だとか、何かしら弱点を見出しては、だから無知で愚かで劣った人間だと思い知らせたがる。おぬしの尊大さにはそうしたところが無い。相手との優劣など関心がなく、用件や議論を進めることだけに重きを置くがゆえだろう」
「ああ……うん、そうかも知れない」
少しほっとしたような、複雑な声音でシェイダールが納得する。そこへヤドゥカが言い添えた。
「いずれにしても、相手が受ける印象は大して変わらんがな。しかしワシュアールの大王が卑屈で頼りないよりは、尊大なほうが頼もしくて良い」
もはや全方位に『偉そう』でもなんら問題の無い地位にあるのだから、と請け合う言葉だったが、シェイダールは一撃くらったかのようにぎゅっと目を瞑った。
「いや、今後は少し気を付ける。ああいうジジイにはなりたくない」
珍しく謙虚に反省している主君の姿に、ヤドゥカとリッダーシュは顔を見合わせた。そして、声は出さずに口だけ動かして指を立てる。
(もって三日だな)
(一日では?)
「おまえら俺が見てないと思って失敬なこと言ってるだろう。気配でわかるぞ」
即座に唸り声が飛んできて、二人は白々しく姿勢を正したのだった。
なお、偉そうな大王様はたいそう記憶力が良く負けず嫌いでもあらせられたので、意外に後々までこの自戒を忘れなかったという。努力が実を結んだかどうかは、残された史料から判断できないにしても。
2022.8.3
リッダーシュはフォローしてるものの、本編でのシェイはヤドゥカに対して「勝った気がしない」とか勝ち負け気にしてましたがね!(笑)




