あなたという幸い
誕生日SS
暑さが峠を越し、旱鎮めの祭も無事に終わって、収穫のせわしなさにはまだ猶予がある、そんな頃のこと。
いつものように読み書き教室が終わった後、タスハがジェハナの片付けを手伝っていると、五日後の予定は空いているかと問われた。
「特に用事は入っていませんが……」
答えつつタスハは首を傾げる。町の住民に同じ質問をされたなら、各家庭における祈祷や祝福の依頼だろうが、神を奉じない東の人々がそれはないだろう。案の定ジェハナは、ややはにかむ風情で言った。
「ささやかな身内の宴を開きますから、良ければ祭司様もいらして下さい。神々もウルヴェーユも関係ありませんので、気楽に」
「宴……ですか。何かおめでたい事でも? 私が行ってもお邪魔でないのなら、喜んでお祝いに伺いますよ」
タスハが戸惑いながらも了承すると、ジェハナは嬉しそうに満面の笑みを広げた。
「是非おいで下さい、私の誕生日祝いなんです」
「おや、それは、おめでとうございます。そうですか、では贈り物を用意しなければいけませんね。間に合うかな」
というかそもそも、若い未婚女性への贈り物なんて、何を用意すれば良いのやら。神殿祭司から一般住民への贈り物ならば、ある程度こういう類と決まっているから簡単だが、相手は何しろ異国人。総督府付きの導師であり、しかも名門貴族のお嬢様である。
タスハが神殿の台所事情を思って途方に暮れるより早く、ジェハナが屈託なく辞退した。
「どうぞお気遣いなく。ワシュアールでは基本的に、誕生日は贈り物をもらう日ではなくて、当人が皆にご馳走をふるまってもてなす日なんですよ。お客様はただ集まって、楽しく賑やかにお祝いするんです」
「そうなのですか? では誕生日を迎える当人が一番大変な日なのですね」
「ええ、まあ」ジェハナは軽く笑った。「でもそれなら、一年に一回、自分の誕生日に大盤振る舞いすればいいだけです。友達や親戚や上司部下にまで、毎月のように贈り物を用意しなくて済むでしょう? 祖父母の代ぐらいまでは、祝宴の食事やお酒は誕生日の人が用意するけれど、招かれた側も相応の贈り物を渡さなければならなくて、大変だったようですけれど。ともあれ、ここはワシュアールの都ではありませんし、私たちもショナグ家の者としてではなく、ただ総督府の者として暮らしているわけですから、宴といってもささやかなものです。どうぞ祭司様も気兼ねなくおいで下さい」
すらすらと解説に慣れた口調でそこまで言い、それから彼女はちょっと言葉に詰まって、ぎこちなく遠慮がちに付け足した。
「あ、その……異国の風習に参加するのが問題なければ、ですけれど。ごめんなさい、つい浮かれて」
「お祝い事が楽しみなのは当然ですよ」
タスハは目元を緩めて微笑み、表情を改めると畏まって一礼した。
「謹んでお招きにあずかります。嘉き日になりますよう、神々にお祈りしておきましょう」
「どんな時にもお祈りを欠かさないんですね。ということは、ご自身の誕生日にもやはり礼拝をなさるんでしょうか。お祝いとは別に」
ジェハナは面白そうな声音で言い、ふと思いついて疑問を投げかける。話題の流れを予期していなかったタスハはまごつき、態度を取り繕うのが遅れた。彼の反応を見たジェハナが、はっと顔をこわばらせる。
謝罪の言葉が出るのに先んじて、タスハは素早く手で制した。そして、いつもと同じ、穏和な微笑を見せる。作り笑いではなかった。彼女の優しさが尊くて、自分の身の上をちゃんと心に留めていてくれたことが嬉しくて。
「実は、私は自分の誕生日を祝ったことがないのですよ」
わりと酷い話を随分にこやかに告げてしまい、ジェハナに変な顔をされた。タスハは緩んだ表情をなんとか引き締め、ごほんと咳払いしてごまかす。
「元々誕生日がわからないというのもあって、拾われたのと近い時期の祭日に、先代様が感謝と厄払いの祈祷を毎年おこなって下さっていました。ですので、特にこの日と決まっておりませんでね。贈り物やご馳走は……まあ、この神殿をご覧頂ければおわかりの通り、余裕がありませんでしたから。お祝いというより、そうですね、おっしゃる通り祈る日でしたよ」
むろん満足しています、と当たり前のように言い添える。ジェハナは複雑な面持ちで聞いていたが、タスハが口をつぐむと眉を寄せた。何を考えてか、しばらく一人でうーうー唸った末に決心して顔を上げる。
「祭司様。こんな申し出が失礼でなければ良いのですけど……というか、もうこれは私の自己満足なのですけれど」
「どうぞ、何なりと」
「誕生日祝い、一緒にやってしまいませんか」
「――はい?」
あまりにも予想外で、タスハはぽかんとなった。どういう意味かと問うことすら忘れて目をしばたたく彼に、ジェハナは握り拳をつくって力説する。
「その、近い時期とは違うかもしれませんし、神々とは関係ない宴というのも、祭司様にとっては好ましくないかもしれません。でも、誰だって一度は誕生日を盛大にお祝いするべきだと思うんです。もちろん祭司様にはワシュアール流ではなく、ご馳走と贈り物でもてなされる側になって頂きますから!」
生真面目に、熱を込めて。誕生日を祝ったことがないまま大人になった人間がいるなんて許せない、とばかりに。
もしも彼女の声音やまなざしに、わずかでも驕りや憐憫があったなら、いかにタスハであっても腹を立てただろう。だがジェハナが示したのは、ただ純粋なひたむきさだった。
むろんこの時のタスハは導師の任期を知らず、彼女が来年はもうここにいないかもしれないと考えて思い切った提案をしたなどとは、推測しようもない。ただ不思議なばかりだ。彼は当惑したまま、ぽろりと言葉をこぼした。
「なぜ私に、そこまで」
つぶやいてから恥ずかしくなり、ああいや、とごまかす。
「ご親切には感謝しますが、あなたのお祝いに便乗するなど、厚かましいにもほどがあります。私はそんな、……それほどの者では」
「まあ! 祭司様ともあろう方が、誕生日を祝ってもらうのに資格が必要だとおっしゃるんですか? 立派な人物でなければ、実績がなければ、生まれてきたことを祝うべきではないと?」
途端にジェハナが憤慨した。慌ててタスハは「そういう意味では」と言い繕う。だが彼女は逃げを許さず畳みかけた。
「私はただ、あなたという方がこの世に生まれ、こうしてここにいらっしゃることをお祝いしたいんです。心底それだけです。でも、そこに何かの『価値』が必要だとおっしゃるなら、ええ、数え上げて差し上げましょう。あなたがいらっしゃらなければ――この町の祭司が、タスハ様、あなたという方でなければ、私は最初から仕事につまずき大失敗していたでしょう。町の人に親しめず、教室も開けず、そうこうするうちに路の共鳴が広まってしまって、カトナは恐怖と敵意の渦に呑まれていたかもしれません」
「それは……その、少しは私がお役に立てたところもありましょうが、ジェハナ殿とイムリダール殿ならば、そんな事態には」
「あなたは私に、神々に祈るということ、祭の意味、人々との関わりを教えて下さいました。それだけじゃありません。祭司という立場を置いても、人に親切であること、町の和を取り持つことを、身をもって示し、私たち異国の者にも等しく温情をかけて下さいました。つまりあなたは」
「そ、そこまでに。どうかご容赦を」
遂にタスハは悲鳴を上げて遮った。真っ赤になった顔を手で覆い、ジェハナに背を向ける。茹だった頭の中でも卑屈な理性は頑として凍ったまま、決してそんな大層なものではない、と釘を刺す。温情だの優しさだのと褒められる美徳を備えているわけではなく、ただ祭司としてなすべきことをしているだけだ、と。しかし感情はまったく静まらず、無邪気な子供かのように、ただただ褒められたことに舞い上がり歓喜する。
彼がなんとかして大人らしい態度を取り戻そうと苦心している間、ジェハナはじっと黙って待っていた。
長らくかかって、タスハはようやく火照りを冷まし、深く息をついた。天を仰いで神々に力添えを乞い、やっとジェハナに向き直る。そこで初めて、相手も羞恥を隠してわざとらしく怒った顔をつくっているのに気付いた。思わずほっとして苦笑が浮かぶ。
「すみません、露骨な事を言わせてしまいましたね」
「いいえ。私は当たり前の感謝を、当たり前に申し上げただけです。たまにはきちんと言葉にしなければ、心で感謝しているだけでは伝わりませんもの。良い機会でした」
ジェハナは強がって応じたものの、言葉尻では柔らかい表情になった。タスハは首を竦めて恐縮する。
「畏れ入ります。……せっかくのご厚意ですが、一緒にお祝いを、というのはやはり遠慮しておきましょう。今まで誕生日の話などしたこともない祭司が突然どうしたかと、皆に奇妙に思われるでしょうから。それで私の事情が話題になるのは望ましくありませんし、何より、祝宴の主役はあなたなのですから」
常識的に考えたら最初にこう言うべきだったではないか。まったく、どうかしている。タスハは内心で呆れながら、残念そうなジェハナに深々と頭を下げたのだった。
なお祝宴当日。タスハはどうしようか迷ったものの、やはり贈り物がなくては落ち着かず、先だって女神アウィルニーに捧げたのと同じような花飾りをこしらえて持参した。
ジェハナは喜んで受け取り、それから文句を言った。
「私にはお祝いさせて下さらなかったのに、不公平じゃありませんか」
そう来るだろうと予想していたタスハは、今回は羞恥に慌てることもなく、澄まして切り返す。
「あの時のお言葉だけで、私には身に余る祝福というものですよ。こちらこそ、あなたという方が導師としてこの地においでになったこと、いかほど感謝しても足りません。ですからそれは、あなたという幸いに対する、ほんのささやかな捧げものです」
ジェハナは自分が浴びせた賛辞を見事に凝縮した一撃をくらい、耳まで朱に染めて絶句した。横で聞いていた兄総督は後になって、ひどい渋面でぼやいたとか。
「祭司でなければ、公衆の面前で妹を口説くとは破廉恥な、と斬り捨てるところだぞ。どうしてあの男は、冴えないくせにああいう台詞をしれっと吐けるんだ……」
それこそ幸い、当人たちの耳には入らなかったので、祭司と魔女は相変わらず平和なのであった。
2017.12.11
オマケIF・当人たちの耳に入ったら
「くど……っ!? ままままさか滅相もないそんなつもりはちっとも全く!!」
「そこまで否定されるのも不愉快だな。妹の何が不満だ」
「こういう兄がいるところだと思うわ(怒)」




