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彩詠譚  作者: 風羽洸海
断片・二次
71/127

ないものねだり

 カウファ家に待望の長男が生まれ、盛大な祝いが催されてほどなくのこと。一児の父となったハドゥンのもとを、相談がある、と幼馴染が訪れた。

「なんだおい、いつにも増して辛気臭い顔だな。何があった」

 客間に入ったハドゥンは思わず呆れ声を上げた。この若い祭司はつい先日、神殿で赤子に祝福を授けた際はいかにも堂々として、先代の不在を忘れさせるほど立派に儀式を執り行ったというのに。今日はまるで見習いに返ったかのようだ。絨毯に腰を下ろしてはいるものの、まるきり落ち着かずそわそわしている。出された白湯も口をつけていない。

 ハドゥンが向かいに座ると、タスハはすっかり途方に暮れた様子で切り出した。

「なぁハドゥン。父親になるというのは、どういうものかな」

「……は?」

 問いかけが唐突な上に漠然としていて、ハドゥンはぽかんと聞き返した。伏し目がちの友人をまじまじと見つめ、いやまさかな、と訝りつつ確かめる。

「誰か孕ませちまった、って話じゃねえよな」

「そんなわけないだろう」

 即座にタスハは赤くなって否定する。混乱した思考を落ち着かせるように頭を振り、彼はうつむいたままぶつぶつ言った。

「いや、何も親代わりなどと気負わなくてもいいんだ。そうだよな」

 ハドゥンが口出しせず黙っていると、ややあってタスハは筋道の通った話をした。

「弟子にしてくれと言ってきたんだ。ほら、先の冬に豆屋の夫婦が亡くなったろう。あそこの子が……ウズルというんだが」

「ああ、そう言えば一人息子だったな。まだ十一だか十二だかで、叔父に引き取られたんじゃなかったか?」

 ハドゥンも思い出して相槌を打った。冬の寒さにやられて夫婦とも病に倒れ、ほんの十日も経たずに儚くなってしまったのだ。子供はまだ店を継げる歳ではなかったし、元々小さな商いだったので譲る当てもなく、畳んでしまったはずだ。

 タスハは憂鬱にため息をついた。

「その叔父一家と上手くいっていないらしい。びっくりするほど利発な子でね、どういうところで折り合いが悪いのか、どうして我慢できないのか、滔々と説明してくれたよ。それなら仕方ない、と納得させられてしまった。とは言え、おまえに奉公先を斡旋してもらうほうが良いのじゃないかな。私はまだ弟子を教え導けるほどの身ではないし、……それにやはり、祭儀のことだけ教えたら良い、というものでもないだろう?」

 そこまで聞いて、ハドゥンはやっと、幼馴染みが何を案じているのか、なぜこうも頼りない様子なのかを理解した。大袈裟に呆れ、わざとぞんざいに応じる。

「そう身構えなくてもいいだろう。むつきの世話からしてやらにゃならん歳ってんじゃなし、自分から親戚に見切りをつけて飛び出すような奴なら、親恋しさに泣いたりもせんだろうさ。先代様にしてもらったように教えてやれば、充分だ」

「……私にできるかな」

「そんなもの、やってみなきゃわからん。やらなきゃ、できるようにもならん」

 ハドゥンは鼻を鳴らし、尊大に腕組みした。一呼吸置いて、気遣いが露骨にならないよう慎重に言い添える。

「ヤーディー様はおまえを立派に一人前の祭司にしたんだ。同じようにすれば、何の不足もあるもんか。それとも、おまえは不満だったのか?」

 不器用な思いやりは、確かにタスハに届いた。彼はやっと表情を和らげ、穏やかに「いいや」と答えた。

「不満などあるものか。ただ、私は最初からそういうものとして育てられたから良いが、ウズルは違う。血の繋がった家族との暮らしを知っているから……父さん、母さんと呼べる暮らしを」

 言葉尻で声がかすれた。タスハが口をつぐみ、ハドゥンも沈黙する。二人が共有するいくつもの記憶が、静寂のなかによみがえった。

 先代祭司ヤーディーは、神殿に捨てられていた子を引き取り、養育した。そこには確かに愛情も、家族めいた絆もあったが、しかし、彼は決してタスハに「父さん、母さん」とは呼ばせなかったのだ。

 折に触れ、彼は幼子に繰り返し説いた。

 ――いいかい、タスハ。私たちはおまえを愛している。何より大切に思っている。だがおまえの父母ちちははではない。おまえの本当の両親は他にいるのだ。そしていつか、おまえを迎えに来るかもしれない。たとえ一度はおまえを捨てた親であっても、彼らこそが本当の父母なのだよ――

 カトナは地縁血縁の強い田舎であるし、先代も古い時代の人だった。血のつながりを何より重んじる価値観において、彼の取った態度は決して間違いではない。

 いつ本当の親が我が子を取り戻しに来たとしても、恥ずかしくないように。あるいはこのまま神殿を継ぐとしても、“親なし”だからと陰口をささやかれぬように。立派に、一人前に育て上げること――それこそが先代祭司夫妻の使命だったのだ。

 厳しいばかりでなく、むしろほとんどの時、彼らは優しかった。それでも、決して、一度たりとも、無条件に甘やかさなかった。

 もはや取り返しのつかない過去に思いを巡らせ、タスハは小さくつぶやいた。

「未練だな」

「うん?」

「不満はないが、未練はある。一度ぐらい、お二人に甘えてみたかったよ」

「なら、せいぜい弟子を甘やかしてやれよ」

「それはどうかな」

 タスハは眉を寄せ、そんな己を想像してみるなり失笑し、首を振った。

「無理だよ。どう接したらいいのかわからない。……うん、やはり先代様の教えを踏襲するのがいい。ないものねだりをしても、しょうがないな」

 話すうちに納得し、彼は愁眉を開いて晴れやかに笑った。

「くよくよ悩んでいたのが吹っ切れたよ、ありがとう。よし、気が変わらないうちにウズルの所へ行ってくる」

 言うともう、弾みをつけて立ち上がる。ハドゥンは座ったまま友人の足を乱暴に叩き、

「おう、頑張れよ祭司様。弟子を持ったらいよいよ一人前だ。もう俺に泣きつくなよ」

 偉そうに励まして送り出した。タスハは文句も言わず、もう一度ありがとうと感謝してから、迷いのない足取りで出て行く。ハドゥンは小さく首を振り、置き去りにされた白湯をぐいと飲んだ。

「はなから心の決まっていることを、いちいち確かめに来るんじゃねえよ」

 苦笑いでぼやいて、世話の焼ける奴だ、と舌打ちする。

 ハドゥンが会話によって後押ししたにせよ、最初から心を固めていたのでない限り、こんなにすんなり納得して行動に移せるものではない。

 ――まぁ、いつまでも親分の顔を立てるのは殊勝だけどな……

 いつまでこの関係が続くやら、続いて欲しいのやら。

 彼はちょっと頭を掻いて、何にともなく肩を竦めたのだった。



2017.1.8



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