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彩詠譚  作者: 風羽洸海
金枝番外
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それは予知ではなく

十二章のジョルハイが何をやっていてどう感じていたのか。

 特別な予知能力や神のお告げがなくとも、人は時に未来を予感する。無意識がなりゆきを予測すると言おうか。漠然と、あるひとつの方向へと進んでいく流れを察知するのだ。

 このところジョルハイの胸中に打ち寄せている静かなさざ波は、そういう類のものだった。


「それでは、今日はこれにて。くれぐれも、ナジャム様に宜しくお伝えください」

「承知しましたとも。あなたのおかげで我々も本当のところを知れて、本当に助かります。ジョルハイ様、どうぞ御身お大事に」

 慇懃な挨拶に送られて、ジョルハイは商人の邸宅を後にした。数年前から彼が折々の祭祀を受け持っている家だ。今は、燈明の一派につながる大事な手がかりのひとつ。

 通りに出て左右を見渡し、危険はないと確認してから、おもむろに長衣の襟を引っ張って正す。角帽の位置をきちんと整えてから、彼はゆっくり歩き出した。

 燈明ことイシュイ率いる過激な一派は、主に豪商の財力に支えられている。ジョルハイはそれを崩すための細工にいそしんでいた。世嗣の御付ではあったものの、自身は“邪法(ウルヴェーユ)”に手を染めず関わりもしていない、その事実をもって監禁を免れた。むろん、これまでに数多作った“貸し”によるところも大きい。おかげでこうして、自由に外を出歩けてさえいる。

 燈明派が抱き込んでいる家に直接働きかけるのはさすがに無理だが、自分の受け持ちを通じて、このまま神殿内の分断対立が続くことの不利益と危険を説くことはできた。

 燈明の一派は自分たちの結束が固い一枚岩であり、大神殿の内だけですべてを決められると信じているからこそ、強硬な行動を起こせたのだ。しかし実際は、その支援者である名士商家は、他のそうした人々とのつながりを無視できない。理と利を併せて説き情に訴えれば、連帯や結束は簡単に揺らぐ。


 今の暴走を、世間はどう見るでしょうね……我々の「どちらが正しいか」など気にする者がどれほどいましょうか……あまり懇意にしすぎては……ただ懐を肥やしたいだけの者まで寄ってくることに……長くは続きませんよ、後の身の振り方を考えませんと……


 人が抱く漠然とした不満不安を巧みに突くジョルハイの弁舌によって、早くも成果はあらわれ始めていた。商家同士の会合や親類縁者の集まりで、燈明派の旗色は悪くなりつつある。王と世嗣のやり方を批難して憚らなかった家も、この騒動をどう収拾すれば自分たちの傷を小さく済ませられるか、他家の動向を気にして慎重な態度に変わり始めた。

 まだその影響は大神殿の中にまでは及んでいないが、暴動の中心から離れたところにいる神官たちは、潮目の変化に気付いて退路を確保しにかかっている。神殿内で飛び交う噂話や議論の内容からして、それは明らかだ。

 ジョルハイはひとり、薄笑いを浮かべた。

(まったく、誰も彼もつくづく我が身が可愛い。わかりやすくて笑わせてくれる)

 人心の変化を的確に察知できるからこその、侮蔑嘲笑。その敏感さは、年長の家族の機嫌を取ってうまく立ち回るという、年少者の生存戦略として芽生え培われ、やがて忌まわしい見習い時代を通じて、自分への加害を減らすため相手を操作する手管へと進化してきたもの。

 そしてさらに神殿の中で、己に利益をもたらす技術として磨き上げられた。

(さすがにうんざりしてきたな)

 己の爪先に目を落とし、ふっと吐息をひとつ。迂遠で、狙った効果が言動として現れるまでは確証が得られず、いつでもまた裏切られる可能性を孕んでいる、不安定な利害関係の泥沼。シェイダールなら、「まったく嫌なところだな!」などとしかめ面で吐き捨てただろう。その声が脳裏によみがえり、ジョルハイは微かに苦笑した。

(同感だよ、私だってこんなことは好きじゃない)

 ただ得意なだけだ。そして習い性になってしまっているだけ。

(いつかこんな諸々を、きれいさっぱりやめてしまえる時が来るなら……)

 思いがけずそんな考えが胸をよぎり、彼は虚を突かれたように立ち止まった。そして、茫然と空を仰ぎ見る。

 青く、深く、遠い空。昨日も今日も明日も変わらず。

(……私がいなくなったら、誰が君のためにこの手の面倒を引き受けてくれるかな、シェイダール)

 当たり前のように、そうなるとわかりきっていることのように、考える。

 私がいなくなったら。

 雑踏の喧噪が遠のき、急に時の流れが遅くなったように、何もかもが鈍く不明瞭になる。

(ああ、そうか)

 すとん、と腑に落ちた。そういうこと、らしい。

 毎日せっせと工作にいそしみながら、一方でどこか、道筋はこちらに繋がらない、という不思議な感覚がつきまとっていた。本筋は別のほうへ向かっている、という予感。

 そちらの道を、考えなかったわけではなない。神殿側からでなく、王宮側から事態を変える道を。だから細工として、あの宝刀を持ち出して預けた。あれがもし、そうなり得る(・・・・・・)ようになったなら、その時、自分がすべきことは……

(もう随分前から決まっていたような気がするな)

 こうなるだろうと、心のどこかでずっと知っていた。予知の力など無いのに。

(それならそれでいいさ)

 恬淡てんたんと納得する。今初めて知ったわけでも気付いたわけでもない、本当はもう何年も何年も前から、自分がそうする(・・・・)とわかっていたのだから。

 肩の荷が下りたように、ふと背中が軽くなった。彼は小さく肩を竦め、歩みを再開する。

(せいぜい効果的な文言を考えておくとしよう)

 もちろん、今やっている細工も手抜きはしない。いずれにしてもシェイダールの役には立つ。もっとも、私は君の味方だ、と何回言っても信じてくれない彼のことだ、最後まで理解はされないかもしれないが。

(まぁでも、彼なら最大限に活用してくれるだろう)

 ああもちろん、それも知っている(・・・・・)ことだ。

 ジョルハイはすがすがしい面持ちで大通りを歩いて行く。その口元には、既にすべてをやり遂げた者のような、満足げな笑みが浮かんでいた。



2024.10.15



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