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彩詠譚  作者: 風羽洸海
夜明けの歌、日没の祈り
50/127

5-4(神秘に触れて)


   *


 ワシュアール人の言う『禁域』が、『聖なる森』のことだとタスハが理解したのは、道中で民家の納屋を借りて泊まった時のことだった。

 祭司様がいらっしゃるなら、とあるじは快く了承し、返礼にタスハは一家とその家畜から病が遠ざかるよう祈祷した。そのあとで納屋に入り、持参した堅パンと干し無花果で夕食を済ませようとしたところへ、家の女房が気前よくスープを振る舞ってくれたのだ。

 こんなところに祭司様がいらっしゃるなんて珍しい、どちらへいらっしゃるんで……といった調子で目的地を聞いた女房は、途端に目を剥いて慌てた。あそこは聖なる森だ、祭司様でも迂闊に近寄っちゃなんねえ、と激しい剣幕で止めたのである。

 その祭司様が言葉を尽くしてなだめ、どうにか収まったが、危うく悪趣味な物見遊山と決めつけられ追い返されるところだった。

 ほんとに罰が当たったりしないでしょうね、頼んますよ祭司様、と念を押して女房が空になった器を下げる。タスハは慇懃に大丈夫と保証して送り出してから、連れのところへ戻った。

 納屋の床には兵士が担いできた毛布を敷いているだけだが、ジェハナがちょっとした術をかけたおかげで暑くも寒くもなく快適だし、虫に食われる心配もせずにすむのはありがたい。戸口から射し込む陽はすっかり低くなっていたが、施された術の色彩が仄かに光って感じられるので、明かりがなくともぼんやりとした視界が確保されていた。

 タスハは毛布に腰を下ろし、どちらにともなく話しかける。

「どこかと思えば、『聖なる森』が目的地だったのですね。昔からここの森のことは言い伝えられていますよ。神殿にも記録があります」

「その話が都に報告されたんでしょうね」ジェハナがうなずいた。「タスハ様がどのように聞いてらっしゃるかわかりませんが、先に注意すべきことをお伝えしておきます」

 ジェハナが職務的な物言いになる。タスハは悪いと思いつつも、手を上げて断った。

「いえ、結構です。恐らく既に知っていることですから」

「えっ? でも、カトナを離れるのは初めてなのでは」

 ジェハナは不審げに聞き返したが、タスハの静謐な表情を見て、ゆっくりと理解の表情になった。

「……ああ。ああ、そうですね、既に識っていらっしゃる。わたしが拙い言葉で説明するまでもなく、ご存じだというわけですか」

 悔しさを隠さず唸り、忌々しげにタスハを睨む。

「あなたの前で格好をつけるのはもうやめようと決めたから、正直に言いますけど。一度あなたを逆さに振って、洗いざらい吐かせてやれたら清々するでしょうね」

 物騒な告白にタスハがたじろぎ、護衛兵がおどけて目を丸くする。ジェハナは鼻を鳴らして腕組みした。

「念のため、あなたの口から説明していただけますか。何に警戒すべきか」

「そうですね、確認は大事です。……あれらの土地に近付くと、路が広く深い者、流れを通しやすい者ほど影響を受ける。常に外へ出てこようとしている理の力に引き込まれてしまわないよう、路の共鳴を自力で抑えられる距離を保たなければなりません。近付くなら相応の構えをし、決して……降りないこと」

 話すうちにも標が反応し、関連する知識が開かれる。だがタスハはそれを閉ざし、路を静寂で満たした。

 輝く翼のアシャ、清き炎のアータル、汚れなく強き流れアウィルニー……神々の名と祈りで、色と音の響きを鎮めてゆく。己の裡に向き合っていた彼は、目を上げ、畏怖と羨望の相まったまなざしを受けて苦笑した。

「大丈夫です。寝込んでしまった後、路を制御しようとかなり練習しましたから、あれらの土地に近付いても呑まれはしませんよ」

「そうでしょうね。あなたが今、路を辿られたのがわたしにも感じ取れました。万一の時には、わたしの方があなたに助けていただくかも知れませんね。導師としては絶対に避けたい事態ですけど! それはそうと、あれらの土地、とおっしゃるのですね?」

「ええ。古い言葉で何か名前がつけられているようなのですが、私にはそこまで読み解けませんから」

 タスハは何気なく答えたが、ジェハナは目を輝かせて食いついてきた。

「古い言葉での名前があると、どうしてわかるのです? 標が開かれなければ名があることもわかりませんよね。名前がわかるけれど発音できないとか?」

「よくあることではないのですか?」

 タスハは面食らったものの、すぐ興味津々と続けた。

「響きだけが感じられ、はっきりと発音がわからないのですよ。たとえるなら、壁の内側に埋まっているものがうっすらと透けて見えるような。意味も漠然としていて……そう、あの土地のことだと理解はできるのですが、正確に言い表せない。水に映った月を掬おうとするような感覚です」

 彼の説明にジェハナが顔をしかめ、護衛兵士が嘆息した。何かいけなかったか、とタスハは兵士を振り返る。呆れたような苦笑が寄越された。

「導師殿の苛立ちも、ごもっともですな。祭司殿がおっしゃったのは、まさにかつてワシュアールの王がおこなっていたことですよ。色や音の助けなく、路に刻まれた標から直観を掬い上げるわざ。あなたが本格的に色と音を用いて標を養い路をさらに開けば、どれほどの知識が目覚めるでしょうな。資質に乏しい私などはもはや嫉妬も抱けませぬが、あなたを逆さに振りたいと願うのは一人二人ではありますまい。ともあれ、話はほどほどにしてお休みください。明日も早いのですから」

「そうですね。では失礼して、私はしばらく祈って参ります」

 タスハは頭を下げ、複雑な表情の二人から離れて外へ出る。藍色の空に光る明るい星を見渡し、アータルの赤いともしびを見付けると、そちらに向かってひざまずいた。

 目を閉じて、祈りの文言をつぶやく。熱く滾る炎の存在が心をかすめた。

 識っている。確信がささやくのをよそに、彼はただ祈った。神の名を唱え、称え、その力のいや増すことを、地上に恵みをもたらしたまうことを願う。

 無色無音の静寂を、彼はどこまでも深く潜っていった。その先に神はおわすか否か、答えは得られない。ただ求めずにはいられないがために。


 夜明けからほどなく出発した一行は、細い田舎道を北に向かっててくてくと歩いた。ほとんど人の住まない土地で、遠くに羊の群が見えるほかは、人家もない。そこかしこにかつての果樹園とおぼしき形跡が残っているが、どうやら川が涸れたせいで、一帯から人が消えたようだ。

 宿を借りた農家には井戸があったが、あまり大勢を養えるだけの水量はないのだろう。とうに基礎だけになった家屋の跡が、早い段階でほとんどの住民がこの地に見切りをつけたことを示していた。

 寂れた道は、昔の畑の間を縫って遙か北の山並みへ向かっていたが、恐らく途中で消えているだろう。いずれにしても、彼らの目的地はそう遠くはなかった。

「あれですね」

 ジェハナが行く手を見たままつぶやく。タスハがうなずき、兵士は目蔭を差した。誰からともなく足を止め、近付く前にじっくりと観察する。

 あちこちに岩が露出するほかは平坦な荒野。短い春を謳歌する草花に覆われ、山羊に食われまいと鋭い棘で武装した灌木の茂みにも、愛らしい黄色の花が咲いている。そんな風景の中に、それはいかにも不釣り合いであった。

 こんもりとした、この辺りでは見かけない樹形の木立。否、そもそも本物の樹木であるかどうかすら怪しい。数百年前からそこにあったかのように、丈高く密に生い茂り、それでいて限られた範囲から外へは枝一本出ていない。

「砂漠の水場のようですな」

 兵士が独りごちたので、タスハは振り返って小首を傾げた。視線に応えて兵士は言葉を添える。

「南方には、ここいらよりずっと乾いた土地が広がっていましてね。一面、砂と岩しかないのです。しかしそんな中に、いきなりぽつんと椰子の茂る緑が現れることがある。自然に水が湧く場所があって、砂漠を渡る旅人のために棗椰子やら何やらが植えられておるのです」

「なるほど。しかしあそこに湧いているのは、残念ながら水ではないようですね」

 タスハは言って、道の先に目を転じた。既に胸の奥がざわつき、波立っている。まだ遠いのに、異様な圧迫感がして落ち着かない。近寄ってはならない、逃げろ、と本能がささやく。ジェハナが帯の鉦を抜いて握り締めた。

「以前に見た禁域よりは、規模が小さいですね。これならさほどの危険はないと思いますが、くれぐれも用心を」

 はい、とタスハは顎を引き、忌避感を押し殺して慎重に歩を進めた。

 熱い火の気配。世界の根で燃え盛る理の炎。

 ――名もなき神が手で掻き回されると、やがて最も固く重いものが沈んだ……

 創世神話の一節がよみがえる。

(眩しい)

 無意識に彼は目を細めていた。いつの間にか、その視界は暗がりに覆われている。月も星も太陽もない、雲もない、ただ混沌と暗い空。黒い泥土の大地。少し先で泥が薄くなり、炎の輝きがこぼれ出ていた。

(ああ、なんと美しい)

 畏れと感動が胸を満たす。たとえようもなく惹かれ、同時に決して触れてはならないとも感じた。彼は自然と足を止め、熱い輝きに魅入られながらも静かな心で頭を垂れた。

 脈打つ炎の周囲に、小さな星がきらめいた。六色の星がそれぞれの声で歌う。細い光の糸が紡がれ、縒り合わさって、泥土のひび割れを繕ってゆく。

《白雪 血潮 萌ゆる草》

 誰かの詞が聞こえ、清涼な流れが星を巡って炎を鎮めてゆく。消し止めるのではなく、滾る熱を導き、廻して、ふたたび深い底へと還すのだ。

《海原 麦の穂 遠き宇宙》

 数え上げられる色と事物にそって、暗闇の世界に秩序の輪郭が浮かんでは消える。彼は己もまたその流れに加わり、神々の炎を讃えた。

《巡り廻せよ 百歳 千歳

 果つることなき 時の果つまで》

 炎が強く輝き、歓喜と共に高く噴き上がる。

 一瞬のできごとだった。暗い空に向かって、まばゆい黄金の火が大樹のごとくそびえ、枝を広げ葉を茂らせて天蓋を覆う。そしてそのまま、自ら燃え尽き、無数の火の粉が星となって世界に散っていった。

 恍惚というにはあまりに清澄な幸福感に満たされて、タスハはしばらく放心していた。すべてを識ったような、それでいてまったくの無知に戻ったような、不可解でありながら穏やかな心地。ゆっくり瞬きすると、現実の視界が戻ってきた。

 濃い緑の葉を茂らせた木立の手前に、灰色の石碑が警告するように建っている。その傍らにジェハナがいて、鉦を帯に挿したところだった。石碑はそう大きくはなく、彼女の胸の辺りまでしかないが、妙な存在感でもって樹木の侵出を止めている。木立の奥を窺い見ようにも、梢の下は単なる木陰にはあり得ないほど暗い。

 だが、遠くからも感じた圧迫感は薄れていた。近寄りがたさはあるが、わけもなく逃げ出したくなるほどの忌避や恐れは感じない。さきほどまでの幻視を重ねたら、理由は明らかだった。

「どうやら鎮められたようですね。良かった」

 タスハは言って、木立を見上げながらジェハナに歩み寄った。彼女も安堵しているだろう、と思ったのだが、こちらに向けられたのは渋面だった。しかも聞こえよがしのため息を浴びせ、頭を振って言うことには。

「……本当のところ、わたしは神々を信じてはいません。少なくとも、あなたやカトナの皆さんと同じような意味合いでは。自然の気象や世界の成り立ちに神々がかかわっているかもしれないとは思いますが、人間ひとりひとりの生活にあれこれちょっかいを出すようなものではないだろうと、ええ、そんな風に思っているのですけど。でも! ……やれやれ、あなたは神々に愛されていると信じるしかなさそうです」

「おやおや」

 タスハは間の抜けた声を漏らした。胡乱げな目つきをされてしまったので、ごまかすように背後を見る。離れて待機していた兵士が神妙な面持ちでやって来て、タスハの前で恭しく一礼した。両手を袖に入れる臣従の礼ではないが、右手を胸に当てて深く腰を折る、正式な礼だ。

「まことに、祭司殿には恐れ入りました。このハシュバル、生まれ持った資質の劣るがゆえに理の神髄に触れることは叶わぬと諦めておりましたが、今になってそれを垣間見ようとは……驚嘆の限りでありますな。貴殿こそは真に、神々と人の仲立ちをなさる御方であると確信いたしました」

「おやおや……」

 タスハはもう一度つぶやき、天を仰ぐ。それから二人のワシュアール人に対し、苦笑して見せた。

「どうやら私は、東の不信心者を二人も改心させたようですね。喜ばしいことです。しかし勘違いなさらないでください。確かに私は並外れて広く丈夫な路を持っているのでしょうし、普通の人よりもずっと深くへ降りてもゆけますが、すべては神々のお恵みによるものですよ。そしてまた、驚嘆すべきはこの世界を創りたもうた神々の御わざと御力こそであり、私はそのほんの一滴を受けられる器であるにすぎません」

 謙虚に言い、彼は自然な仕草で禁域に向かって手を合わせ祈りを捧げた。荒ぶる神々の力の発露、地上世界の綻びを通じて見える世界全体の姿。何もかもが神秘であり、奇跡であるのだ。

 彼の祈りに、兵士がぎこちなくならう。不慣れな様子で合掌し、何をどう祈れば良いのかわからないまま、ただ瞑目し頭を下げる。

 ジェハナはそんな様子を複雑な顔で眺め、改めて禁域に向かい合った。祈りはしない。ここは理の力が迫り上がっている危険な土地であり、六色六音を巡らせ封印して、力を鎮めなければならない場所だ。恭しく祈るだけではどうにもならない。

 ――ただ、それでも。

 ジェハナはタスハが祈り終えるのを待ち、慎重に言葉を選んで舌に乗せた。

「タスハ様。以前の宿題、覚えていらっしゃいますか。標を辿って得られるのは、人智にすぎないのか否か、という命題について」

「もちろん。あなたの答えを聞かせていただけますか」

 タスハが振り返り、微笑む。既に己の答えに確信を持ち、誰に何を言われようと揺らがない強さを湛えて。だからこそジェハナは、思うままを告げた。

「わたしの答えは、『結論を出すには判断材料が足りない』です。あなたは昨日、禁域を名付けたいにしえの言葉を、読み解けない、とおっしゃいましたね。壁の中に埋まっているのを透かし見るような、水に映った月を掬うような、と。それで、もしや、と思ったのです。もしかしてわたしたちは、ウルヴェーユで智恵を読み解いているつもりで、実はその本質に触れていないのではないか、と」

「本質……?」タスハは怪訝に繰り返し、はっとなった。「すなわちあなた方も、壁を透かして見える姿を頼りに《詞》を紡いでいるだけで、壁に埋まっているものを掘り出してはいない、とおっしゃるのですか」

「そうです。わたしたちは水に映った月しか見えていない。どこかに月本体があるはずなのに、それはまだ見付けられていない、そんな気がしたんです。今さっき、あなたの路に共鳴し、力を巡らせるあの……言い表せませんけれど、あのやり方に触れて、確信しました。色と音を使うウルヴェーユのわざ、それだけがすべてではないと。だから」

「神智か人智か、まだ判断はできない。なるほど」

 タスハも釣りこまれ、祭司としての立場を横に置いて純粋に謎を追う顔になる。これはいかん、と我に返って取り繕おうとしたが、幸か不幸かジェハナは意気込みでいっぱいで、彼の態度に気付いていなかった。満面の笑みで握り拳をつくり、朗らかに力強く言う。

「祭司様、やっぱりわたし、ずっとカトナで暮らしたいです。あなたを逆さに振るのは無理でも、あなたのやり方を学べば、わたしもウルヴェーユの本質にもっと近付けるかもしれない」

「祈りはウルヴェーユのための道具ではないよ」

 思わずタスハは、弟子をたしなめる口調になった。だがジェハナはもちろん、それしきでは引っ込まない。

「ええ、承知しています。ですがウルヴェーユが『最初の人々』の信仰の遺産であり、その証拠に、今に伝わる祭儀に六音の諧調が含まれているのだとしたら、ウルヴェーユを探ることは信仰の源を探ること。何も問題はないじゃありませんか?」

 理路整然と立て板に水の勢いで応酬し、その流れが止まらぬままに、彼女は口を滑らせた。

「それなら、ずっとおそばにいられますし」

 つるっと言ってしまって、タスハの反応を目にした後で、ジェハナ自身も真っ赤になって口を覆う。二人はお互い朝焼けと夕焼けのように頬を染め、目を合わせられないまま、ひたすらもじもじした。

「あー、えへん。御両人、そろそろ仕事に戻りませんかね」

 白々しく平静を装った兵士ハシュバルが割り込んでくれなければ、そのまま二人揃って木立の樹になってしまうまで立ち尽くしていたかもしれなかった。


 禁域の規模や石碑の数と大きさ、彫られた模様などの記録を取り、滞りなく仕事を済ませると、三人は帰路についた。

 道々歩きながら、船に揺られながら、タスハとジェハナは様々な議論を交わした。互いの領分について遠慮しすぎることなく、以前よりも率直に、かつ敬意をもって。

「そもそも、神殿の伝える神話は元が口伝でしょう。時代と共に欠落や変化があったと見るのは当然で、『正しい資料』として信頼は置けません」

 ジェハナが典拠について批判すれば、タスハは問題の本質はそこではないと返す。

「だとしても、真実が含まれていることは間違いないと思いますね。記録を辿って原初の世界にまで遡れたとして、では最初に神々について記した……あるいは語ったのは誰か? その誰かは、本当にあるがままの事実を、遺漏なく正確に伝えたか? 言葉にした時点で多くが取りこぼされる以上、正確さを追求しても無意味です」

「標の智恵なら……いえ、これも突き詰めれば真実か否かの判定はできなくなりますね。わたしたちは『最初の人々』が遺したわざだと教わりましたが、客観的で明らかな証拠はない。もしかしたらそれこそ、神々がわたしたちの先祖に刻みつけられたのかも」

 熱い議論を、兵士もまた興味深げに聞いていた。二人に比して極端に浅く狭い路しか持たない彼は、そこで口を挟んだ。

「資質に優劣があるのも、なぜなのでしょうな? 基本的に路と標は親から子へ受け継がれ、一世代で極端に変わることはない。ならば、私のように劣った一族は、優れた一族に仕えるように創られたのですかな」

 タスハとジェハナは虚を突かれた顔をして、それぞれ思案しながら言った。

「ふむ。それはあり得ます。神々がはじめから、人々を役割別にわけてお創りになったのなら。あるいは『最初の人々』が自分たちの国をそのように、血筋で定めてしまおうとしたのなら。しかし……」

「わたしとしては、神々がそこまで繊細な細工をするというのが想像つきませんね。役割を固定するということは、社会のありようも決めてしまうということでしょう。ですが現実には、ワシュアールではかつて神殿が負っていた役割は大部分が神官ではない人々に移りましたし、そもそもかの大王は羊一頭持たない貧しい生まれだったのですから。むしろ資質の程度を様々にしておいて、どのような人間がどこに生まれても、何かしら役割を果たせるようにしたと考えるほうが、すっきりしていませんか?」

「確かに。仮に『最初の人々』が血筋による役割分担を考えてこのわざを生み出したのだとしても、血が混じり合い、路を閉ざすわざまである現在では、あまり意味がありませんね。生まれ持った資質の優劣は変えようがなくとも、だから彼らが王で我らが臣だ、とは決まっていない」

 そこまで言い、タスハはふと得心の笑みをこぼした。どうかしたか、と目顔で問うたジェハナに、彼はちょっと肩を竦めて見せた。

「医師殿がおっしゃっていたのはそういうことかと、今、腑に落ちました。資質に恵まれている私が祭司というのは皮肉なことだ、と言った時に、かの御仁は、何が皮肉なんだ、と呆れ顔をされましてね」

「ああ、いかにもヴァシュ先生ですね」

 ジェハナも笑い、それからふと不安げな表情になって、そっと小声で確かめた。

「タスハ様。路を閉ざすわざは……まだ必要ですか?」

「いいえ」

 タスハは即答した。自分でも意外なほど、すっきりとした答えが自然に浮かぶ。多くの標を読み解いた今、自分で己が路を閉ざすことも可能だが、しかしもう二度と、そうしたいとは望むまい。なぜなら、

「あなたが教えてくれましたから。祈りであれ、色と音であれ、路を辿り開いてゆくことは信仰の源を探ることと同じだ、と。私自身、あの土地で理の力に触れて確信しました。ウルヴェーユの本質は世界そのもの、すなわち神々にも通じている。私はずっと、美しく便利なわざとしてのウルヴェーユだけを見て、信仰が侵されると危惧していましたが、そんな小さなものではなかった。ですからもう、路を閉ざしたいとは思いません」

 自分に対してうなずき、彼はそこでふと言葉を切った。胸に浮かんだ続きを言おうか言うまいかためらい、ちらっと同行者に目をやる。

(やめておこう)

 ――第一そんなことをしたら、あなたに去られてしまう。

 禁域でのジェハナの台詞に対する返事代わりだが、逃げ場のない船の上で兵士に巻き添えを食わせては気の毒だ。何より自分がいたたまれない。

 タスハはぎゅっと唇を引き結び、ジェハナの怪訝な視線から逃れるように、黙って川面の航跡を見つめたのだった。


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