想いを映すこと
※ミオがまだ里で暮らしていた頃
ヴァストゥシャの住民は皆、人と獣の特徴を併せ持っている。人のように立って歩き、五本の指を使い、言葉を話すが、見た目は狼や虎や豹など獣の様相が強い。
つまり全身が毛皮に覆われている。
――となれば、すなわち。
ほわほわ、ふわふわ。
「……?」
そよそよと吹く風に転がる小さな毛玉が視界をよぎり、ミオは畑仕事の手を止めて、その行方を目で追った。
季節は初夏、冷涼で乾いた気候の高地である里にも、それなりに夏の兆しがあらわれている。木々の梢も草葉も緑を濃くし、そこかしこに可憐な花々が咲き、蝶や蜜蜂、様々の虫がせわしく飛び回っている。鼻歌のような羽音が溶け込む陽射しは、力強く暖かい。そして毛玉。
ほわほわほわ、と道端を漂ってきた毛玉が、豆畑の畝に行き当たって止まった。ミオはなんとなしにそれを拾い上げる。白や灰色、褐色や黒とさまざまな色の毛が混ざっているが、どれも細く柔らかい。
「冬毛……?」
口の中でつぶやいて、首を傾げる。注意して見渡すと、あちこちに同じような、小さな毛玉がほわほわと転がっていた。
換毛期、だろうか。里の住民がいっせいに冬毛から夏毛に衣替えするとなったら、それは確かにとてつもない量の毛が抜けるだろう。ミオはしばし手の中の毛玉を見つめ、それからこてんと反対側に首を傾げた。
(でも、家はそんなでもなかった……ような?)
もちろん、板張りの床にはいつもうっすら毛が落ちている。こまめに箒を使いはするが、“塵ひとつ落ちていない”状態など望むべくもないのは自明なので、生活の支障にならない程度に整えるだけが目的だ。
そして箒を使う頻度も、床の様子も、以前と特に変わりはない。
(ということは……スルギさんは、換毛しない?)
犬にも個体差があるのは、故郷にいた頃に見て知っている。はっきりとした換毛期があって、このぐらいの時期にはすべすべの夏毛にもこもこ冬毛の束が盛り上がって、子供たちが先を争ってそれを抜き取るような犬が多かったが、一方で、いつの間に生え替わっているのかわからないものもいた。
(スルギさんは、あんなにふかふかだから……)
もそっ、と束で毛が抜けそうな部類のように思えるのだが。やはりジルヴァスツは普通の獣とは違う、ということだろうか。衣服も身につけていることだし。
拾い上げた毛玉を手にとりとめなく思案し、結局ミオはそれを地面に置いて、豆の世話に戻った。
しばらく畑仕事に精を出し、うっすら汗ばんだ額を拭いながら、コツコツと杖をついて家に戻る。土間にはスルギの履き物が揃えて置かれていた。土間に面した広い部屋――最初にミオが寝かされていたところ――はたいてい開け放たれているのだが、今は襖が閉められていた。珍しく誰か診療中なのだろうか。
「ただいま帰りました」
奥に向かって声をかける。襖の向こうから、「おかえり。ちょっと待って」とスルギが答え、何やら片付けているような物音が続いた。
ちなみにこの家には、土間と二部屋があるだけだ。診療したり薬を調合したり書き物をしたりして主な時間を過ごす広い部屋と、続きの奥に寝室がひとつ。スルギはミオのために衝立を作って寝室を仕切り、「寝相が悪くて君を蹴飛ばさないように」してくれた。
じきにスルギが襖を開けたが、他には誰もいなかった。ミオは目をしばたたき、はてと奥を窺う。箒と、何やら詰めた袋がひとつ。スルギの手には櫛があった。そして視界の端をほわほわとよぎる毛玉。心なしか、スルギの姿が全体的にほっそりしたような。
畑で考えていたことの続きが、ぱちんと組み合わさる。
「もしかして、毛繕いされている途中でしたか」
「ああ、もう一通り終わったから大丈夫」
スルギは当たり前のように答えて、櫛に残った毛を取り、部屋の隅に転がっていた毛玉を拾って袋に追加した。
「やっぱりこの時期には、皆さん毛が生え替わるのですね」
ミオは納得しながら部屋に上がり、袋の中身を確かめる。白と灰色のふかふかがみっしり詰まっていた。
「集めた毛は、何かに使うのですか?」
「うん。集めて洗って、糸を紡いだり、叩いて固めて布にしたりするんだ」
「これを、糸や布に……できるんですね。叩き固めた布というのは、毛氈でしょうか」
「平原ではそう呼んでいるのかい? こっちではそのまんま、織布に対して圧布って呼んでいるけどね。そういう仕事は馬の民と手分けしていて、向こうの持ってる羊の毛と撚り合わせたりするんだ。糸にも布にもできない毛は、そのまま布団の詰め物にする」
そこでスルギはふと小さな笑いをこぼした。怪訝そうなミオの顔を見つめて目を細め、慈しむ声音で続ける。
「馬の民はね、人形なんかも作るんだよ。頼めばきっと、君の似姿も作ってくれるんじゃないかな。君が欲しければ、だけど」
「人形……ですか。里の皆さんは作らないのですか? 子供が遊んでいるのを見た覚えがありませんが」
人の子、とくに女児であれば、お気に入りの人形のひとつふたつはあるのが普通だ。話しかけたり、ままごとをしたりと、人形を使って遊びながら“女がすべきこと”を学んでいく。
だがこの里ではそうした役割分担がないから、人形も必要ないのかもしれない。女児であれ、男児と同じく野山を駆けまわり、いずれ『狩り』に加わるべく身体を鍛え、仲間との協調や連携を身につけるほうが大事なのかも。
そう考えながらミオが質問すると、スルギはつかのま首を捻り、うん、とうなずいた。
「そこは俺たちと君たちの違うところだな。深く考えたことはなかったけど、たぶん俺たちジルヴァスツは……似姿を作って生きたもののように見立てる、っていうのが……なんていうか、感覚的にそぐわないんだと思うよ。イウォルの子が交易の時についてきて、お気に入りの人形を見せてくれることもあるけど、それがその子の宝物なんだってことは解っても、その子の“友達”だっていうのは」
曖昧に言葉を切り、不可解だというふうに首を傾げる。ミオは自分の子供時代を思い返し、なるほどと納得した。
「わかるような気がします。私も、人形遊びをしない子供でしたから」
人形は与えられた。けれど、それを相手に会話したり、着せ替えたりままごとをしたり、といった“見立て”遊びをすることはまったくなかった。そのようにするものだという発想がなかったし、他の子供らがそうしているのを見ても、同じことをする気は起きなかったのだ。
袋にみっしり詰まったふかふかを手で軽く押して、独り言のように続ける。
「私は、人形をただ『人形』としてしか見られなくて。その造りや形を観察をする以上の関心は持てなかったんです。だから、普通でない、変な子供だという目で見られていました」
つまり、気味悪がられてのけ者にされていた、ということだ。
「でも……今は少し、人形遊びをする感覚が、想像できるようになったと思います。人形は物にすぎないけれど、似姿の元になった誰かの面影を重ねたら、それは……別の意味を与える、ようなことかと」
ふむふむ、と興味深げに聞いていたスルギが、意味、という言葉を受けて深くうなずいた。
「ああ、それならわかる。里の境を示す六幟も、それ自体はただ色のついた布だけど、それぞれ雪や花や世界のあれこれを象徴しているもんな。俺たちは人形は作らないけど、形見の品に故人の思い出が宿っているような感覚ならわかるし、そういうのの延長なんだろうな」
「はい、多分」
ミオはこくりとうなずき、抜け毛の束を一掴み持ち上げて見せた。
「だから、たとえばこれでスルギさんの人形を作ったら、知らない人にとってはただの人形ですけれど、私にとっては別な意味を持つでしょう」
「……」
思いがけないことを言われた、というようにスルギはつかのま言葉に詰まり、それからなんとも照れくさそうな声音で「そうかぁ」と相槌を打った。
「それじゃあ、今度イウォルが里に来たら、頼んでみようか」
「はい」
楽しみです、という言葉はなかったが、ミオはもう既に愛しそうなまなざしになって、ふかふかの毛を見つめている。スルギは苦笑し、袋の口を紐で縛った。
「まぁ、人形ができるまでは、本人が目の前にいるわけだから」
「そうですね」
ミオはいたって真面目にうなずき、手を伸ばしてスルギの首元を軽く撫でる。まだ少し毛が抜けた。
「次に毛繕いされる時は、私にもお手伝いさせてください」
「えっ。いや、それはちょっと……恥ずかしいな」
「そうですか」
残念、とミオは手の中の毛束を見る。スルギは複雑な顔で、平原の民はおかしなことをやりたがるんだなぁ、などと異文化に困惑したのだった。
2024.8.25




