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唐突な幕切れ

 神聖歴1920年/皇歴2005年はゴールによるアレマニア第一王子誘拐で幕を開けた。


 ただ、シャー・ド・シールやその側近がアレマニア連邦の内情にもっと精通していればこのような凶行は行わなかったかもしれない。


 もちろん、リーベンに第二王子が捕らわれている事など知る由もなかったのだが。


 さて、アレマニア連邦とはどんな国であるか、まずはその説明が必要になるだろう。


 アレマニアとは、アレン人とマニム人による連合国家である。アレン人は北洋沿岸と中央平原に居を構えた民族であり、マニム人は聖海沿岸に居を構えていた。


 はるか昔、神聖歴前後の頃からマニム人は栄えており、西方の礎を築いたと言っても過言ではない人々だ。


 そんな彼らは聖海交易で栄え、生存権を拡大しようと北方の森へと分け入り、アレン人と出会う。


 当時、東方には既にエステリカ帝国の前身であるエステル朝が存在しており、マニム人は彼らと敵対していた。

 エステル朝はリーベンへの侵攻を繰り返していたが、そこは敵の敵は味方。マニム人はリーベンとの交易によって東方の優れた産物を得て利をむさぼっていた。


 そんなマニム人が生存圏を求めて、エステル朝の包囲も兼ねて進出した森では北洋交易をおこなうアレン人が居たのだ。


 本来的に北方民族であり、エステル朝の北進に対抗していたこともあって、アレン人とマニム人は手を結ぶ。


 当初は同盟関係であったが、時が進んで、エステル朝が滅び、東域では北方民族ルテールやスヴェン人が勃興すると、アレン人は北域で劣勢となり、西方へと進出していく。


 そこへマニム人が持ち込んだ土木技術や先進冶金技術が合わさり、アレン人はルゥル地方に炭坑と今から見れば小規模だが鉄鉱山を発見し、工業化へと進んでいく。


 アレマニア北部域が大幅な草原化無しに鉄器技術を手にしたのは、マニム人が東方から得た骸炭技術のおかげであった。


 西方にはゴールの祖となるガリー人が居たが、神聖歴3世紀から6世紀にかけてアレン人に征服されてしまう。


 その後、アレン人とマニム人は幾度か統合と分裂を繰り返し、神聖歴1428年、現在のアレマニア領域に近いアレン・マニム二重王国を成立させ、ガリーに開かれたゴール王国、東域のエステルとの離合集散を繰り広げていくことになった。


 最終的に神聖歴1726年に東西アレン王国、南北マニム王国が纏まる形でアレマニア連邦が作られ、当初は4王家による輪番で王が選出されていた。


 それから200余年も経てば王家同士の一体化も進み、4王家とは名ばかりになり、ひとつの王家へとなっていくが、それでも4地域の関係性が完全に無くなるということは無かった。


 現王の妃は南マニムの出身で、王自身は西アレン、そして、王の弟、大公の妃が西アレンだった。


 重工業地域である西アレンはアレマニアでも最も発言権が強い地域であり、悲しいかな南マニムはもっとも貧しい農業地域であった。


 王には3人の王子が居り、ゴールに囚われた第一王子は外交に優れ、リーベンに囚われた第二王子は軍事に優れていた。


 そして、大公の公子が非常に財政に優れており、すでに財務の道へと進んでいたのである。


 さて、問題の第三王子だが、美食に優れ、芸術方面の素質はあるのだが、如何せん、政治、軍事の才は無かった。美食に優れる点で農業政策に一通りの知見こそあったのだが、それを持っても覆せない性格的問題を抱えていた。

 

 政治、軍事の才が無いと断言できる理由も、一度はそれらの道へ進み、わずかな期間で挫折していたからだったのだが、彼自身がそれを認めることは無かった。


 そんな時に上の王子2人が居なくなり、公子は無防備である。


 彼にとってそれはチャンスでしかなかっただろう。


 もっと視野が広ければ、別の方法を採っただろうが、彼にはそれが見えなかった。


 神聖歴1920年/皇歴2005年1月16日、財務局において公子殺害事件が発生し、第三王子はその報をもって王宮へと参内した。


 彼にとっては父の最大の政敵を誅したと言いたかっただろうが、王は第三王子を叱責する。


 彼にとって、それは衝撃であり、絶望であった。


 王子2人が居ない今、大公が、公子が王権を奪うのは容易い。何処で聞いたのかそんな話を信じた彼には、公子殺害は正義であって、それを叱責する王もまた、排除対象となっていた。


 財務局での事件が正確に伝わっていなかった王宮では、第三王子が武器を携行している事を疑いもせず謁見させていた。


「あなたもそっち側の人間だったのか!!」


 臣下との謁見でもなく、正式なモノでもない為、執務室で行われたそれは、王の警護が事務官のみという状態であった。


 第三王子は誰に止められることもなく懐から取り出した拳銃を王に向け発砲した。


 彼は王が倒れ込むと事務官にも発砲し、最後に自身へその銃口を向ける。


 宮中大事と呼ばれる事件がこのように発生し、一命をとりとめた王は犯人探しに躍起となった。


 

 犯人。


 仮に居るとすれば、それはアレマニア王家の歴史という存在であっただろう。


 それとも、第三王子を甘やかしすぎた王自らであったのかもしれない。


 居るはずのない犯人捜しは噂や密告を呼び、様々な場所で、様々な立場の人間が容疑者となった。


 陸海軍にも多くの容疑者が生まれ、2人の王子すら容疑者とされるほどであった。


 そのような戦争どころでは無い状況の中で、もちろん、そんな事とは知らないシャー・ド・シールによる第一王子拘束の公表は、これ以上ない生贄となり、支援者であったアスピオスをも驚愕させることになる。


 アスピオスも連合王国であり、歴史的経緯はともかく、アレマニアと政体が近かったのだから。


 シャー・ド・シールに旧来のゴール政府要人が1人でも付き従ったならば、こうはならなかったともいわれるが、彼にとってそれは自国の歴史から見た最もやり易い領土奪還方法だった。


 歴史にもある様に、100年前であればそれが通用したのであろうが、彼はそこまで考えが及ばなかった。

 いや、王制廃止を唱える急進論に彼が近かったからかもしれない。なにせ、ゴールでは160年も前に王制を排し共和制へ移行していたのだから。


 王制の在り方や価値観が理解できていなかったシャーや側近たちの楽観的な考えとは裏腹の事態へと転げ落ちていく。


 神聖歴1920年/皇歴2005年2月1日


 アルピオスは突如として停戦を一方的に宣言し、ゴールへの支援も一切絶ってしまう。もちろん、シャー政権への相談や事前の通知も無しにだ。


 それを見て図ったように3日にはルテニアが対アレマニア停戦を宣言し、エステリカとの休戦交渉も始めている。


 そうした情勢下、5日にはアレマニアからリーベンに対して暮田島からの撤退が伝えられ、リーベンにとっては何が何だか分からないままに戦争は終了したのであった。


 

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