第86話 シュプレヒコール
ジョシカは『長崖』で別れた時と違って何だか立派な鎧を着ていた。
ジョシカの後ろには半犬人族のブランがいた。
戻って来たブランが誰かから事情を聞いてジョシカを呼びに行ってくれたらしい。
ぼくの当てが外れて最初から見ていた観客は、そのままずっと見ているだけだった。ブランがジョシカを呼びに行ってくれて助かった。
近づいて来たジョシカが、ぼくとしゃがみ込んでゼイハアと荒い息をしている半熊人族の男を見比べ木材を握ったままのぼくの腕を掴んで上に伸ばした。
「勝者バッシュ!」
うぉぉぉ、と流民たちが雄叫びのような声を上げた。
普段、獣人に対して鬱屈した思いを抱えているためか流民たちは、まるで自分の事のように、ぼくの勝利を喜んでくれた。
「バッシュ、バッシュ、バッシュ」と、なぜか、ぼくの名前が連呼されている。
ていうか、ぼく勝ったの?
「うお、隊長が負けたぞ」
『半血』隊員たちのどこかから、そんな声が上がった。
第何部隊か知らないけれど半熊人族さん、隊長だったんだ。ただの馬の世話役にしては、やたら偉そうだとは思ったけれど。
ジョシカは、ぼくの手を放すと、「見世物は終わりだ。解散させろ」と『半血』隊員たちに指示を出した。
ジョシカの意を受けて、『半血』隊員たちが観衆の流民たちに、終了だ、とか、もう帰れ、といった声をかけていく。
流民たちは『半血』隊員たちが近くに寄ってきて声をかけるので青い顔をして逃げて行った。みんな怖いのによく見に来られたな。食料だけでなく娯楽にも相当飢えてたんだ。
ぼくは木材を剣の様に自分の腰に戻して、ジョシカの顔を見上げた。
「よくきたな」
ジョシカが、ぼくをハグした。
ぼくもジョシカを抱きしめ返した。
「な、な、な」と半熊人族隊長が変な声を上げた。
「おまえ、うちのかあちゃんとどういう関係だ!」
かあちゃん?
てことは、半熊人族隊長はジョシカの旦那さんなんだ。
ジョシカは旦那さんの頭をぽかりと叩いた。
「『長崖』でのオークキングスレイヤーの話は前にしただろ。何だって覚えていないんだ!」
悲報。旦那さんが奥さんとの家での会話をまったく覚えていない件。
でも、可愛そうだから部下の皆さんが見ている前では叩かないであげてほしい。
「手間をかけさせたな。旦那が馬鹿ですまん」
何と答えるべきだろう。ぼくは曖昧に笑うしかなかった。
「バッシュ!」
誰かに呼ばれた。
声がした方向を見ると去っていく流民の流れに逆行するように走ってくる人がいた。
ルンだ。
コークが一緒に駆けていた。ということは、コークがルンを呼びに行ってくれたらしい。
ジョシカ同様、ルンも煌びやかな鎧を着ていた。
ルンは駆け寄ってくるなり、ぴょんと飛び跳ねて、ぼくに抱き着いた。
ふらつきながらも、ぼくはルンをしっかりと受けとめた。鎧のせいもあって重い。今、疲れてるのに。
ルンは、ぼくを両足で挟み込むよう抱き着いた体勢のまま、しゃがみ込んでいるジョシカの旦那さんを睨んで言った。
「おまえ、あたいの夫に何してくれてんだ!」
「誰が夫ですか」とぼく。
「みんなの前で情熱的にそう名乗ったって聞いたぞ」
ぼくはコークを目で探した。ぼくが名乗った時、コークはまだ戻って来ていなかったはずだ。誰か話を盛ってコークに説明した人がいるな。絶対に情熱的には言ってない。
コークはブランが既にこの場に戻っているのを見つけて、ブランに近寄って行くところだった。ルンを連れてきたことで自分の中で任務は終了したのだろう。
ブランがぼくの視線に気づいて頭を下げた。
コークも気づいて慌てて真似をした。
ぼくはルンを抱えたまま二人に近づいた。
「二人ともジョシカとルンを連れて来てくれてありがとうございます。おかげで助かりました」
「「あ、いえ、そういった方とは知らず失礼を」」
ルンが抱き着いたままだった。
「違うから。『ルンの内縁の夫』というのは、ただの合言葉だから」
「そうだったか?」とルン。
「だが、もう既成事実だ」
ぼくたちを囲んでいる『半血』隊員たちが、みんなニヤニヤとした目で抱き合っているぼくたちを見つめていた。
ぼくはルンから手を放して彼女を地面に落っことした。
身の潔白を示すように万歳をしながら、「皆さん、違いますよ。夫じゃありません。この人が勝手に言っているだけですよ」と隊員たちに向かって声を張り上げた。
ルンは悪びれる様子もなく立ち上がった。
「そう照れるな。おまえがジョシカの旦那から絡まれていると聞いて肝を冷やしたぞ。どうせ返り討ちにするだろうとは思ってたがな」
「俺は負けてない。致命傷を与えないように気を使いながら追い詰めてただけだ」
立ち上がったジョシカの旦那さんがジョシカとやって来た。ひどい負け惜しみだ。
「そんなヘロヘロの様で何言ってんだ。バッシュは本気のヘルダの剣だって躱すぞ」とルン。
うお、マジか、と隊員たちが声を上げた。
「『長崖』でオークキングを一撃で倒したオークキングスレイヤーだ」
ジョシカが、ルンの言葉に重ねた。
「あれはただの不意打ちでしたよ」とぼく。
「バッシュだ。おまえら、あたいの旦那は凄いだろ」
ルンが煽るように隊員たちに自慢した。
隊員たちから歓声があがった。
「バッシュ、バッシュ、バッシュ」と、再び、ぼくの名前が連呼された。
「だから旦那じゃないですって」
否定するぼくの声は歓声にかき消されて誰にも届かない。
いや、みんなわかってて揶揄ってるな。
「目印だ。腕を貸せ」
ジョシカが自分の『半血』の腕章を外していた。
ルンも外した。
ぼくの左右の腕を手に取りジョシカが左腕、ルンが右腕に自分の腕章をつけてくれた。
これでぼくも再び『半血』の一員だ。
「マリアのところへ行こう。王国からの客人もいるんだろ」
ジョシカは少し離れて立っている王国の斥候に目をやった。
斥候はもう『半血』から剣を突き付けられてはいなかった。
「はい」
ぼくは唖然とした顔をしている斥候に駆け寄った。もう一人の斥候は解散命令の時に去っていく流民たちと一緒に人混みに消えていた。
斥候が呆けたような声で言った。
「何だオークキングスレイヤーって。君はただ『半血』とアルティア兵の間で通訳を務めただけじゃなかったのか」
「少し言葉が足りなかったかも知れません」
「いや、それよりもだ」
斥候は声を潜めた。
「君はギルドの猫人族の娘さんの恋人だと思ってたんだが、まさか『半血』の大幹部と二股なんて大丈夫なのか?」
うわあ。




