第119話 半旗
「ところでアルティア神聖国王をこちらで匿っておられますよね?」
ぼくは枢機卿に訊ねた。
「お城を通る際、挨拶したいと言ったら既にこちらだと言われました。てっきりお会いできると思っていたのですが」
枢機卿は一瞬だけ顏を顰めた
もしかしたら余計な告げ口をしてしまったかも知れない。神官さん、ごめん。
ぼくは顰め面には気づかない振りをして話を続けた。
「大聖堂がアルティア神聖国王を匿われる理由はなぜでしょう? アルティア神聖国王の即位には大教皇の承認が必要だと聞きました。やはり両者は同じ国では? そうであれば大聖堂に賠償金の請求をすればすむので支払えるならば、ここは陸の孤島にはなりません」
枢機卿は狼狽えなかった。
「ご存じであるならば話が早い。実は昨晩アルティア神聖国王とその御家族が大聖堂への亡命を希望されました。匿っているわけではなく現在は話を伺っているところです。大教皇による国王の承認というのは形式的なものですよ。アルティア教の儀式の一環であり他意はありません。大教皇が即位の承認を行う国はアルティア神聖国だけではありませんよ」
「安心しました。匿っているわけではないのならばアルティア神聖国王はお引渡しいただけますね。さきほどしたような三者での話をまとめたいので」
「あ、いや。心身の衰弱が激しく我々もまだあまり話を聞けていないのです。教会としては教徒から頼られた以上、詳しく話も聞かずに放りだすわけにはまいりません」
「そうですか」
ぼくは枢機卿をじっと見つめた。さっきは聖職者らしからぬ怒りを見せたが今はにこにこと笑っている。仮面を被り直したみたいだ。
「『半血』のマリアは嘘つきとは話をしませんが嘘をついていない相手とならば話をする用意があります。もし、ぼくに交渉役を望まれているのであれば、マリアに大聖堂は嘘をついていないと思うと、ぼくが言えるようにしてもらえませんか?」
「と言いますと?」
「アルティア神聖国の軍の指揮官には大聖堂からの出向者が多いと聞きました。かなりの人数がまだお城に詰めているみたいなのですけれども不自然ですよね。全員引き上げてもらえませんか。この足で帰りに確認します。国王の引き渡しはすぐは無理でも、そちらはすぐにできるでしょう。確認できればまたお茶にお呼ばれするかも知れませんしできなければ二度とお邪魔する機会はないでしょう。ぼくももう本気で家に帰りたいので」
枢機卿は顔を引き攣らせた。要するに、ぼくの言葉はアルティア神聖国城を明け渡せと言っているのと同じだ。教会直轄兵がいなくなったらアルティア神聖国兵たちはそのまま『半血』に降伏するだろう。大聖堂に渡る橋を一本見張れば済むだけになるので『半血』による包囲は遥かに楽になる。
絶句した枢機卿を尻目に、ぼくは隣に座る王国の斥候に顔を向けた。
「長居をしても悪いので引き上げよっか」
「そうだな」
ぼくと斥候は席を立った。
制止しようとする枢機卿の声を無視して、ぼくたちは扉に向かった。
※※※※※
ぼくと王国の斥候は廊下に出た。
廊下には誰もいなかった。
扉を閉めて、ぼくたちは来た方向へ足を向けた。
肩を並べて歩いている斥候が、にやりと笑いながらぼくの顔を見つめていた。
「何?」
「意外と口も回るんだな」
「のらりくらりと適当なやりとりをするのは得意なんだ。口裏をあわせてくれて助かった」
しばらく歩くと背後からパタパタと誰かが駆けてくる足音がした。
「後ろからぐさりじゃなければいいんだけれど」
ぼくたちは振り返った。
行きに案内をしてくれた神官が慌てた様子で駆けて来ていた。全力疾走なんか久しくしたことがなさそうな体なのに大変だ。
駆けて来るのは神官一人だけだった。兵士の集団で追いかけてくるつもりは今のところなさそうだ。
ぼくたちは神官を待つために立ち止まった。
ぜいはあと全身で息をしながら追いついた神官が口を開いた。顎からは汗が滴っている。
「迷うといけませんので、ご案内いたします」
「ありがとう。でも、大聖堂内の観光案内はいりませんよ」
ショートカットで大聖堂内を通り抜け、ぼくたちは入って来た玄関から建物の外に出た。
ロータリーから続く階段の最上段の平場で、ぼくたちは神官に少し待たされた。預けてあるぼくたちの剣を返すよう話をしに神官は建物内の警備兵の詰所に行ったのだ。
神官と二人の警備兵がぼくたちの剣を持ってやってきた。
ぼくは剣を返してもらうとその場で抜いて剣身を確認した。異常なし。
階段の上から前方を見下ろすとロータリーと花に囲まれた道の先にある門までが一直線に目に入った。
ぼくたちが渡って来た跳ね橋は再び巻き上げられて壁の開口部を塞いで壁の様に聳え立っている。
ロータリーには来た時と同じ馬車が止められ、ぼくたちがいつでも乗れるように待機していた。
「まだお城に連絡は届いていないのですよね?」
ぼくは神官に問いかけた。
「はい」と神官は神妙に頷いた。「私がこれから引き上げの指示を出しに共に向かいます」
枢機卿から神官に対して、そのような指示がされたのだろう。
籠城したまま『半血』と二度と交渉の機会がなくなるという恐怖に恐らく枢機卿は耐えられなかった。そうなれば緩慢な飢え死に必至だ。
「ぼくたちは歩きますよ」と、ぼくは神官に告げた。「あなたは指示出しをお願いします」
「わかりました」
神官と警備兵の一人が転げる様に階段を降りて行き馬車に乗り込んだ。馬車が走り出す。
ぼくと王国の斥候はもう一人の警備兵と一緒に花畑の間の道を門まで歩いた。
ぼくたちが門に着いた時には門の手前に馬車が止められていて跳ね橋は既に降りていた。
神官と大聖堂警備兵の姿はない。橋を渡って城の中だろう。教会直轄兵全員撤収の命令は伝わったかな。
ぼくたちは橋の手前で立ち止まった。対岸の城を見る。
ぼくは来る時、橋を渡る際に別れたアルティア兵に自分が囁いた言葉を思い出した。
「もし城のアルティア兵の皆さんに投降の意思があるなら帰りに確認するからここに何か目印を置いておいて。ぼくが合図したら城の巻き上げ機を確保して開門。外の『半血』に突入するよう、ぼくが呼んでいると声をかけて」
来る時には城の壁面に掲げられていたアルティア神聖国の旗が不自然に明らかな半旗になっていた。置いてはないが目印のつもりだろう。
対岸に立つアルティア兵の皆さんから、やたらギラギラとした視線がぼくに飛んでくる。ぼくが囁いたアルティア兵の姿もあった。
皆さん、大聖堂に反旗を翻す気満々だ。




