第54話 国境砦攻防戦 その4
「ヴメァアアアア!」
「やめろぉおおおお!」
金色の体毛に覆われた山羊頭の獣人の咆哮と、大鬼子のムデスの叫びが重なる。
大鬼子のダザランをかばおうと、ムデスが手を伸ばして飛び出した。
戦斧の刃が大鬼子達に触れようとしたその時、突然に横から出現した黒い巨体が、山羊頭の獣人に体当たりして突き飛ばす。
「ヴミャッ!?」
横腹に強烈なタックルを受けて、金色の体毛に覆われた2mの巨体が転倒した。
地面を転がった後に身を起こすと、頭を左右に振って土埃を払い、自身を押し倒した相手を睨みつける。
黒兜の中にある赤い瞳が見つめる先には、黒い体毛で全身を覆われ、肌に金色の呪印を光らせた山羊頭の獣人が立っていた。
分厚い筋肉の鎧に覆われた色違いの強化山羊人達が、同時に「ヴフ-ッ!」と荒く鼻息を吹き出して対峙する。
「ダザラン、無事かい!?」
「大丈夫だ……。むしろ、お前に押し倒されて、頭を打った」
「ご、ごめんよ」
大兜を左右に軽く振りながら、地面に倒れていたダザランが上体を起こす。
その様子を心配そうな顔で、ムデスが覗き込む。
「でも、あの時みたいに。またダザランが死んじまうんじゃないかって、思ったら……」
「ムデス?」
突然に涙ぐむムデスに、ダザランが苦笑する。
「そうだったな……。でも、心配するな。今はあの時と違って、俺達だけじゃない」
ムデスの背中を優しく撫でながら、ダザランが周りを見渡す。
「ヴメァアアアア!」
色違いの強化山羊人達が身体を仰け反らせて咆哮すると、互いに巨体をぶつけて激しく衝突した。
丸太の程もある腕を相手に絡めると、蹄でガリガリと土を削りながら取っ組み合い、相手を力尽くで押し倒そうとする。
そんな山羊頭の獣人達の揉み合う光景が、ダザラン達のすぐ傍だけでなく、様々な場所で発生していた。
魔法を詠唱してるセリィーナの護衛役には、南山族のダスカと大鬼子6匹が割り振られている。
少数精鋭で護衛するダスカ達を、数で包囲するつもりで横長の展開をしていた強化山羊人達だったが、ダスカ達との接触に合わせたタイミングで森から出現した黒い強化山羊人達により、その目論見は見事に阻止された。
ダスカ達の側面をカバーするように、黒い強化山羊人達が左右に布陣し、勇樹達の思惑通りの戦線が完成する。
「敵にすると怖いけど、味方にすると頼もしいね」
「うむ……」
「ゴルァ! てめぇら、いつまでイチャついてやがる。戦争中だぞ!」
接近した強化山羊人を殴り飛ばしたダスカが、地面に座ったままのダザラン達に怒声を飛ばし、すぐに視線を前へと向ける。
「チッ……。アイツら、突破しやがったか」
思わず舌打ちしたダスカが、鋭い眼光で砦の方を見据える。
今は戦線を維持できてるが、楽観視できる状況とは言えなかった。
セリィーナの操る『樹兵』達が、いつの間にか全て薙ぎ倒され、後続部隊である強化山羊人達が進軍を再開していた。
100体いた精鋭達の半数近くが、『樹兵』部隊によって進行を抑えていたのだが、それが増援として来た場合には流石に厳しいものがある。
「ダスカ。護衛、ご苦労様でした」
「……セリィ?」
背後から掛けられた声に、ダスカが驚いた表情で反応する。
詠唱を止めて横に並ぶセリィーナを、ダスカが前方を警戒しつつ、チラチラと横目で伺う。
セリィーナの主力である『樹兵』部隊が完全に沈黙し、新たな敵が迫ろうとしている状況だが、彼女の表情は落ち着いていた。
「終わったのか?」
「ええ、終わりました」
ダスカの問い掛けに、セリィーナがゆっくりと頷く。
太陽光を遮るように手をかざすと、空のように澄んだ青い瞳で国境砦を見据える。
「彼らの詠唱が、止まりました」
青髪が揺らぐ程の風を全身に浴びながら、セリィーナが涼しげな笑みを浮かべた。
「……ヴメァア?」
黒い兜を被った山羊頭の獣人達が足を止め、何かに気づいた様子で空を見上げる。
先程まで戦場には、二種類の詠唱が飛び交っていたはずだったが、今はどちらも聞こえない。
異変に気づいた者達は互いの顔を見つめ合い、示し合わせたように皆が国境砦の方へ顔を向ける。
赤肌に光る金色の呪印に目を移すと、その輝きが徐々に弱くなっていた。
進軍していた者達はすぐに引き返し、戦っていた者は戦闘を放棄して、慌ててその場から立ち去さろうとする。
山羊頭の魔物達が「ヴフ-ッ! ヴフ-ッ!」と鼻息を荒くしながら、国境砦へと向かって一目散に走って行く。
しかし、もともと鈍重の魔物として名をあげられる彼らの足は、決して速くは無い。
そして、その時は訪れる。
赤肌に光る金色の呪印が完全に光を失った瞬間、強化山羊人の体がビクンと跳ねる。
張り裂けんばかりに膨張していた身体は、風船がしぼむようにみるみると縮小していく。
丸太程はあった太い腕も細く短くなり、分厚い胸板も本来の姿へと変化する。
「ヴミュン!?」
よほど焦っていたのか、一匹の山羊人が足をもつれさせて転倒した。
顔面を地面に強打し、その際に手元から離れた武器が地面を跳ねる。
中鬼よりも頭一つ小さい小間使いサイズに体長が戻った為か、黒い大兜もサイズが今の頭に合っておらず、視界が遮られる程にずれたブカブカの大兜を慌てて外そうとする。
前を走る集団を追いかけようと、山羊人が片膝を曲げて地面から身を起こそうとした、その時。
「ハッハッハッ」
「……」
突如として現れた自身を覆う黒い影に、視線を地面に落とした山羊人が気づく。
背後から感じる気配と獣のような荒い息を耳にしながら、山羊人が恐る恐るゆっくりと後ろへ振り返る。
その人影は、全身を灰色の体毛に覆われていた。
獲物を追い掛け回す事に特化した強靭な四肢と、太い指先から生えた鋭い爪。
上下に開いた大きな口には凶悪な牙が並び、紅い舌がだらしなく外に出て、荒い呼吸音を漏らし続ける。
黒い大兜を両手に抱えて、全身を小刻みにカタカタと振るわす山羊人の顔に、口元から垂れ落ちた涎がポタポタと落ちた。
「突撃なのじゃー!」
「ガァアアアア!」
遠くから聞こえた少女の声と共に、森から現れた獣達が一斉に咆哮した。
* * *
「あれ? ……なんで、ここに?」
地面に倒れていた大鬼子の女性が、目を覚ます。
上体を起こそうとしたが、突然に顔を歪めた。
「痛ッ!? 頭が……」
痛みの元へ手を伸ばすと、ぬちゃりと何かが手に触れる。
赤肌の手にベットリと付いた赤い血を、無言で見つめた。
そして、地面に広がる大量の赤い染みに気づく。
「そっか……。あそこから、落ちたのか」
顔を上げたデゼムンが、空高く積まれた石造りの塁壁を見上げる。
自軍の勝ちを確信して観戦する程に油断していた鬼族達は、吸血鬼亜種の少女達に急襲されて、瞬く間に瓦解した。
敵が侵入したと気づいてから、大鬼子のデゼムンも慌てて剣を鞘から抜こうとしたが、風魔法で急加速した吸血鬼亜種のパイアに、懐まで距離を詰められてしまう。
刃を振り抜いた時には既に相手はおらず、地面に手をついて足払いをしたパイアに体勢を崩されて、ちょうど背後に塁壁のない場所にいたデゼムンは、そのまま塁壁の上から地面へと落下した。
「門が……開いてる?」
本来なら、落とし格子で入口を封鎖されているはずの西門が開いてる事にデゼムンが気付く。
砦の内側から滑車に繋がれたロープを誰かかが引っ張らない限り、落とし格子が上がる事は無い。
つまりは、誰かが入口を内側から開放した事を意味する。
「どう、なってる?」
立ち上がろうとするが足に力が入らず、腰を地面から上げようとしたところで身体がグラリと大きく傾き、再び地面に倒れた。
「力が……入んねぇ……」
未だに頭から流れる大量の血が、地面に赤い染みを広げていく。
「むぐぅ、んぐぅ!」
「……?」
くぐもった声が聞こえてデゼムンが顔を上げると、門の中から誰かが出て来た。
7匹の子鬼の集団が、何かを持ち上げて移動している。
「グギャア?」
腰に湾曲刀を提げた子鬼のククリが、地面に倒れている大鬼子の女性を見つけて首を傾げた。
他の子鬼も足を止めて、デゼムンをじっと見つめる。
「むぐぐぅ!」
目元以外を布で覆った子鬼兵士が担いでいたのは、先端にフックの付いたロープで身体を巻かれたラドルスだった。
吸血鬼亜種達の急襲のどさくさにまぎれて、砦内へと侵入に成功したククリ達は内側から門を開け、パイアから受け取った戦利品を持ち帰ろうとしていた。
口に物を詰め込まれて上手く喋れないらしく、モゴモゴと何かを言いながら暴れている。
「なんだよ。捕まったのかよ……。やっぱり、口だけじゃねえか」
その様子を呆れたように見上げるデゼムンへ、湾曲刀を抜いたククリが近づく。
意識がもうろうとし、ぼんやりとした顔でその様子を見ていたデゼムンが、疲れたような表情でボソリと呟いた。
「ダンザ……ガ……」
「グギャ?」
子鬼のククリが振り下ろそうとした手を止め、膝を曲げて腰を下ろす。
ボソボソと鬼語で何かを囁くと、デゼムンの目が大きく見開いた。
「グギャグギギ?」
「グギャ」
デゼムンの問い掛けに、子鬼のククリが一つ頷く。
二人はしばらく、互いに鬼語で言葉を交わす。
すると大鬼子のデゼムンが、嬉しそうに頬を緩ませて、ゆっくりと目を閉じた。
「そっか……。アイツら、そっちにいたのか……」
「グギャア?」
「……」
それきり返事がなくなった相手を、子鬼のククリが覗き込む。
肩を手でユサユサと揺すってみるが、反応はなかった。
「ふぉおおおおお! モフモフ特攻隊、突撃なのじゃー!」
「突撃ですよー!」
聞き覚えのある声に気づき、子鬼のククリが湾曲刀を鞘にしまいながら、そちらへ振り返った。
狐耳コンビを肩車した強化山羊人達を中心に、砂ぼこりを散らして疾走する狼人の集団が目に入る。
国境砦に向かって逃げようとする敵軍の山羊人もいたが、狼人達の牙や爪に次々と狩られていた。
沙理奈の指揮する集団とぶつからないように、戦利品を担いだ子鬼のククリ達がその場から離れる。
「乗り込むのじゃー!」
「乗り込むのですよー!」
ククリ達とすれ違うようにして、沙理奈の指揮するモフモフ軍団が国境砦へとなだれ込んだ。
区切りが良い感じなので、【第三章】はこれにて完結。
(※気が向いたら、後日談のエピソードを一話投稿するかもですが)
次章投稿は、未定。
(※ストーリー的に次なる戦いはありますが、
作者のモチベーション低下とネタ切れにより、しばらく休載します……orz)
ご愛読、ありがとうございました。




