第52話 国境砦攻防戦 その2
誰かの声が聞こえる。
魔法を扱う事に長けた者であれば、聞き取る事が可能な声。
耳障りのよい女性の声で、誰かに語り掛けるような優しい声が、鬱蒼と茂る森の中へ響き渡る。
その声へ反応するように、暗闇の中にいた『それ』が、カタカタと小さく震え始めた。
植物の種にしか見えない丸い物体に、いくつもの亀裂が小さく入り始めると、隙間から糸のような細い触手が顔を出す。
青白く光る魔法の触手が、自身を囲う木の壁へ先端を伸ばすと、吸い込まれるように奥へと侵入する。
すると、一本の木から伸びた複数の枝葉が、意思を持ったようにユサユサと揺れ始めた。
手を動かすように枝葉を上下に揺らすと、緑の葉がパラパラと落ちる。
そして次に、木の周りにある地面がボコリと盛り上がり、その中から木と繋がる大きな根が顔を出す。
土の中に埋もれた足を引き摺り出すように、大地から力強く根を外へと出した。
「ダザラン……。木って、歩くんだね」
「らしいな。俺も今、初めて知った」
角抜き大兜を被り、森がある後方へと顔を向けていた大鬼子の女性がポツリと呟く。
同じく角抜き大兜を被って、腰巻だけの半裸の格好をした大鬼子のダザランが、ムデスの隣でそれを興味深げに観察する。
勇樹の命令で、南山族の格好をした大鬼子達が、森のある後方から横へと視線を動かす。
彼らの視線の先では『樹海の種』と融合した木々達が、整列する鬼族の軍団を避けるようにして、砦の方へと向かって前進している。
「セリィの詠唱は聞き慣れてるから良いけど、アイツらの詠唱は耳障りが悪いな」
横に並ぶ大鬼子達の中で、唯一本物の南山族の女性が、小指で耳を穿りながら不快感を顔に表す。
「お前は、詠唱が聞こえるのか?」
「あん? あー。お前らは、魔法が使えないから聞こえないのか」
まさか声を掛けられると思わなかったのか、少し驚いた表情のダスカが、隣にいる大鬼子のダザランへ顔を向ける。
「ああ。全く聞こえん」
「連中は今頃、山羊人共を強化してるんだろうね……。本物と戦うのは初めてだけど、噂の強化山羊人がどんだけ固いのか、今から楽しみだよ」
「……」
先端を地に置いた愛用の戦槌を握り締めながら、口の端を吊り上げたダスカが獰猛な笑みを浮かべる。
大鬼子のダザランは腕を組んで、その姿を横目で静かに見つめていた。
「キュピィー! キュピィー!」
「……?」
森の方から聞こえた奇声に反応して、皆が一斉に後ろへ振り向いた。
奇声を発した主は悪魔幼女らしく、犬人に背負われながら大鬼子達が並ぶ横を通過し、中鬼達がいる軍団の方へ駆けて行く。
悪魔幼女は手に旗を持ち、木の棒の先に青い長方形の布を巻いたそれを、ブンブンと左右に振り回していた。
「なんだアレ?」
「青か……。今回は、即効系の詠唱らしい。これは、早く終わりそうだな」
「あん? 何で、そんなのが分かるんだよ」
「魔法に詳しい、エモンナからの伝達だ。昨日の演習で、青なら即効系。赤なら持続系と決めた。それだけだ」
「……」
小指で耳を穿りながら駄弁っていたダスカだったが、『演習』の言葉を聞いた辺りで目を細める。
鬼族の周りを半円を描くように駆け抜けた、悪魔幼女と犬人を警戒するように眺め、森の中へと消えて行くその後ろ姿を見送った。
ちなみに、強化魔法の即効系は詠唱をしてすぐに効果が発生する魔法であり、持続系は事前に長い詠唱を必要とする。
即効系の良い所は、詠唱してすぐに効果が発生することだが、詠唱を止めるとすぐに効果が切れる。
逆に持続系は、詠唱して発動させるまでに時間が掛かる代わりに、一度発動すれば事前に詠唱を長くした分だけ、詠唱がなくても効果が持続し続けるのだ。
「鬼族のくせに、わざわざ演習とかするのかよ」
「お前達は、しないのか? した方が、勝率が上がるらしいぞ。まあ、これはナイトンの受け売りだがな……」
「ナイトン?」
「一番前にいるだろ。右の走馬に乗ってる奴だ」
「……」
大鬼子のダザランが指差す先を、ダスカが注意深く見つめる。
整列する中鬼軍団の前方で、騎士の格好をした二匹の中鬼騎士が二足歩行型の走馬に乗り、顔を突き合わせて何かを相談していた。
「お前達が、指示を出すんじゃねぇのかよ」
「ん? 戦術は、アイツらの方が詳しい。それに俺達の今回の役割は、お前達の護衛だからな」
「鬼族の口から、戦術って言葉が出るとはねぇ……」
「ダザラン! 出て来たよ!」
二人だけでお喋りをしてる隣りで、頬を膨らましてむくれていた大鬼子のムデスが、嬉々とした顔で国境砦を指差す。
遠方にある国境砦の門が開かれると、その中から異形の者達が顔を出した。
* * *
セイナアン王国の東端、ポーラニア共和国との国境沿いに、王国の騎士が常駐する国境砦が存在する。
しかし現在その砦は、魔族による突然の襲撃を受けて、彼らの支配下に置かれていた。
構造としては、6mはある石造りの塁壁で周囲を囲むことにより、内部にある宿屋や鉄溶鉱炉などの小規模な施設を、堅牢な壁で守っている。
入口は東と西に二つあり、ロープで繋がれた落とし格子を砦の中から開くことができれば、砦内へ入ることが可能だ。
砦の北側には、塁壁よりも更に高い円柱状の塔があり、屋上が北側の見張り台の役目をしていた。
塔の屋上で、レース付きの派手なコートを着た青年が、風にあおられたマントをなびかせて、森の前にいる人物を静かに見つめる。
「思ったより、若い娘だな……」
吸血鬼と呼ばれる種族の特殊な能力である遠視の力を使って、目を大きく見開いたラドルスがポツリと呟く。
詠唱を続ける女性から視線を外すと、地上に展開された部隊を楽しそうな表情で眺めた。
「貴様が、どのような手段を使ったかは知らないが……。それだけの鬼族を味方につけたのは、流石だと褒めてやろう」
ラドルスが見つめる視線の先には、意思を持った20本の木々が枝葉を揺らしながら、砦の方へ前進を続けている。
宿敵である『樹海の賢者』が操る『樹兵』を目の前にして、ラドルスの表情は歓喜に満ち溢れていた。
鬼族達はその異様な光景に動揺していたが、人魔戦争の知識を蓄えて人界へと攻め込んで来た吸血鬼達には、その動揺は見られない。
進軍する『樹兵』部隊の後続には、走馬に乗った中鬼騎士を先頭にして、131匹の中鬼軍団が砦を目指すように行進している。
「だけどね。その程度の兵力では、この砦は落とせないよ……。我が精鋭は、子鬼とは違う。これから僕が、それを証明してあげよう」
紫魔石が嵌め込まれた杖の先を床にコツンと置くと、国境砦の入口前に展開された自軍の部隊を見下ろした。
魔法で肉体を強化され、指揮官の指示を待つ100体の強化山羊人を眺めるラドルスがニヤリと笑うと、広げた右手を力強く前へ突き出す。
「『樹海の賢者』、ユンドレフよ。イスフォンス家が長子、ラドルスの輝かしい戦史に、敗北者として名を刻め……。全軍出撃! 奴らを駆逐し、『樹海の賢者』を捕えよ!」
「承知しました」
隣りで指示を待っていた吸血鬼が頭を下げると、小走りに下へと降りる階段へと向かう。
塔内にある執務室へ入ると、紫色の魔石が嵌められた奇妙な形の台座を中心にして、ローブを着た10人の吸血鬼が詠唱をしていた。
その奇妙な台座は、山羊人を強化する魔法の効果範囲を拡張させる為の兵器である。
皆が台座の上部に嵌められた紫魔石に手を当てて詠唱をしている中、部屋に入って来た吸血鬼が、誰も触れてない紫魔石へ手をのせた。
吸血鬼がブツブツと何かを呟くと、砦の入口前で待機していた強化山羊人達の身体が、ピクリと小さく跳ねる。
すると、黒い兜の中にある二つの瞳が、紅い光を爛々と灯す。
各々が持ってる戦斧や戦槌などの武器を、大きな拳でミシミシと力強く握り締めると、蹄のある大きな足を前に出して力強く大地を踏み締めた。
全身を金色の体毛に覆われた山羊頭の獣人達が、2mの巨体を揺らして一斉に前進を始める。
『樹海の賢者』が操る『樹兵』部隊は、既に森と砦の中間地点に到達しようとしていた。
魔法強化による準備で出遅れた為、ラドルス側の部隊は相手を迎え撃つ形での進軍である。
「まずは、正面から相手をしようか」
ラドルスの部隊である強化山羊人達は、一列に25体が横に並び、四列の計100体が横長の陣形を作っている。
進軍をしていた部隊が、突然に歩調を変えた。
最後尾の列がピタリと足を止め、その場に待機をする。
二列目が右へ、三列目が左へと身体の向きを変えると、他の列とは異なる方向へ移動を開始した。
東西南北4方向へと、進軍ルートが4つのグループに別れる。
進行方向を変えずに、前進を続ける強化山羊人25体の前に、20本の『樹兵』部隊が接近する。
砦の塁壁に届かんばかりの長さの木々や、2mの巨体が肉壁の如く横に並んで迫り来る光景は、圧倒されるものがあった。
『樹兵』部隊と強化山羊人のどちらも共に足を止める様子はなく、互いの陣営が目前まで肉薄する。
「ヴメァアアアア!」
目を血走らせた獣人達が野太い声で咆哮すると、戦斧や戦槌などの武器を握り締めて一斉に駆け出した。
強化山羊人の一匹が両手で握り締めた戦斧を、力強く斜め上から振り下ろすと木の幹へ刃が突き刺さる。
しかし、一撃では固くて太い幹を切り倒すまでにはいかず、『樹兵』が意思を持ったように身体を捻ると、己の枝葉を強化山羊人の巨体にぶつけた。
強烈な衝撃に枝葉が折れ、2mの巨体がガリガリと蹄で地を削りながら後方へと移動するが、強化山羊人は転倒することなく踏ん張る。
拳を地面に置いて、前屈みの体勢になった強化山羊人が顔を上げると、「ブシュー!」と鼻息を荒く噴き出す。
蹄のついた足で大地を力強く蹴ると、自身の戦斧が突き刺さった『樹兵』へと、今度は己の肉体をぶつけるようにして突撃した。
「おお、これは面白い。本で読むのと、実際に見るとでは迫力が全然違うね」
『樹兵』と強化山羊人の激しい戦いに、ラドルスが楽しそうな表情で手を叩いて拍手をする。
「だが、これで。君の『樹兵』は、足を止めることになった」
激戦を繰り広げる集団を避けるようにして、二つの部隊が前進する。
25匹の強化山羊人が横5列、縦5列の部隊に再編成をして、進軍を止めた鬼族の軍団へと二方向から突撃した。
互いに奇声を上げて、両陣営が激突する。
「フハハハハ! 見たまえ、我が軍の精鋭達の力を。鬼族など、我等の敵ではないのだ!」
高笑いをするラドルスの言葉通り、数では上回る中鬼の軍団ではあったが、個々の力では大きく差があるようだ。
2mの巨体に正面から突撃された中鬼は宙を飛び、戦斧が力強く振り下ろされれば、一撃で致命傷の攻撃を受けてしまう。
果敢にも複数でタックルをして相手にしがみつく者もいるが、別の強化山羊人が助けに入る事で、次々と中鬼達を蹴散らしていた。
軍団はあっという間に瓦解し、走馬に乗った中鬼騎士が戦場を駆けながら命令をすると、中鬼達の軍団が後方へと下がって行く。
「機先を制したつもりかもしれないけど、こちらの戦力を見誤ったようだね。そのまま、押し潰させてもらおうか」
二方向から合流した強化山羊人の軍団が、森の方へ後退する中鬼達を追撃するように前進する。
鬼族達が後方に下がるのを確認したことで、待機していた最後のグループである25匹の強化山羊人が進軍を再開した。
『樹兵』と戦う仲間を援護するように、最後尾のグループが合流する。
「なんだい、もう終わりかい。つまんないね……」
塁壁の上から戦場の様子を眺めていた大鬼子のデゼムンが、肩を落として溜め息を吐く。
ラドルスの部隊が戦線を押し返し、この状況が続けば誰が見ても勝利は間違いようもなかった。
「デゼムン。あたいら、出番なしか?」
「みたいだね」
塔の屋上から聞こえる誰かの高笑いに、デゼムンと一緒にいた大鬼子の女性達が、心底うんざりした顔で塔を見上げる。
「デゼムン。あの煩い奴、そろそろブッ飛ばしていいか?」
「そうだねー。あたいも、アイツがいい加減うざくなってきたし」
石壁の上で頬杖を突くデゼムンが、視線を西門の南側に動かす。
西門側の塁壁には、見張りの役目を放棄した中鬼達が集まり、興奮したように奇声を上げながら観戦をしていた。
夢中になって観戦を楽しむ中鬼達を見て、デゼムンが苦笑する。
「ここには、ダンザガもいないみたいだから……。適当にコイツら連れて、ダンザガを探しに出て行っても……」
「……デゼムン? どうした?」
塔がある北側へ顔を向けた大鬼子のデゼムンが、何かを凝視するようにして固まった。
突然に言葉を詰まらせた同族に違和感を覚えて、大鬼子の女性達がそちらへ振り向く。
先程まで誰もいなかった塁壁の上に、6人の少女が立っていた。




