第24話 口中の黄金
その家は大通りの喧騒から外れた、細く寂れた裏通りにあった。石造りの古びた多層住宅がひしめき合い、通りを挟んで向かい同士の住宅の窓には綱が渡され、くたびれた洗濯物が吊り下げられている。清掃する者のいない路地には悪臭が立ちこめていて、私は鼻で息をするのをやめた。
「この街は聖王都などと呼ばれているが、このように下町に一歩入れば人口過密の問題を抱えている」
そう無表情のまま言った先生に、私は疑問を投げかけた。
「なぜ王宮は、何も対策をしないのですか?」
「今はまだ、大きな問題が起こっていないからだ。もっとも一度は城壁外への移民を奨励し浄化を試みたようだが、住処を追い出されると感じた民により大反発が起こったらしい。以来、対応は後手に回っている」
「難しい問題ですね……」
いくら田舎に土地をやると言われても、大聖樹と城壁に守られた王都から出ていけと言われたら、反発が大きいという感じだろうか?
「ここだ」
つい考え込んでいた私は、先生の声で足を止めた。周囲と代わり映えのしない多層住宅の一つに、そっと足を踏み入れる。裾を持ち上げて狭い石段を上がり四階の扉の前に立つと、先生はコンコンと扉を叩いた。
「あの……どちらさま?」
扉は閉ざされたまま、中から訝しげな女の声がする。密偵が下調べをしたところによると、今は目当ての女性が一人で家にいるらしい。
「神殿から奉仕に参りました。汝に女神の祝福あれ」
私は事前に先生と示し合わせていたように、奉仕活動を名乗る。神殿が無償でパンを配るときの、定型句だ。
するとすぐさま扉が開き、中から目元の落ち窪んだ女性が現れた。記憶では穏やかだった彼女はすっかり面変わりして、痩せた頬に数日は洗っていないだろう後れ毛がはりついている。だが彼女は私を見るなり目をみはり、驚きの声を上げた。
「あなた様は、確かアンジェリーネ様の……!」
すぐに先生の顔を見上げると、彼は無言でうなずいて見せる。私は小さくうなずき返すと、微笑みながら言った。
「ダフネ、久しいわね。祝福のパンを持ってきたから、少し入れてもらえないかしら」
「は、はい……」
ダフネはゴクリと唾を飲み込むと、入り口から一歩引き下がる。
「お邪魔するわね」
部屋の中に足を踏み入れると、私は腕にかけていた籠と、焼き栗の包みを差し出した。
「はい、祝福のパンと、この焼き栗はお土産よ」
痩せた腕で押し頂くようにして、ダフネは品を受け取った。
「あ、ありがとうございます……! でもなぜ聖痕の乙女であるファウスティナ様が、自らこんな貧民窟への奉仕活動なんかを……?」
「覚えていてくれたのね! 今日は貴女に、聞きたいことがあって来たの」
「何でしょう……?」
途端に不安げな顔をするダフネを、私は真っ直ぐに見つめて問うた。
「あの時、なぜアンジェリーネ様のご遺体の、口の中をのぞいていたの?」
「いえっ、私は、知らな……」
「言い逃れは無用よ。ここにいるお方の顔に、見覚えはない?」
そこでダフネは初めてまじまじと先生の顔を見上げて、顔を引きつらせた。
「あっ、もっ、申し訳ございません! なにとぞ、お許しを……!」
「なぜそんなことをしていたのか、理由を教えて。そうすれば、貴女を罪に問うことはないわ」
「それは……あの、退職金の代わりに、金歯をもらおうとして……」
「金歯って、最近貴族の間で流行っている、金で作った差し歯のこと?」
「はい……」
そこから観念したように、ダフネは経緯を語り始めた。彼女は十代半ばからもう二十年近く真面目に働いて、やっと上級使用人になれたと思っていた。だが令嬢が死んだとたんに責任を問われて解雇され、退職金も全くもらえなかったのだという。
「だから今後の蓄えに不安があって、魔が差してしまったのです……」
「それは同情するけれど……そもそもアンジェリーネ様に、なぜ差し歯があったと知っているの?」
貴族の、それも公爵家のご令嬢が大口を開けることは滅多にない。私だって、共に過ごしていて全く気づかなかったのだ。
「それは……アンジェリーネ様の歯が割れたとき、私もそこにいたからです。アンジェリーネ様は作法を失敗なさるたび、お言葉遣いが乱れるたび、家庭教師より鞭で折檻されておりました。その際は声を上げないようにと布を噛ませられていたのですが、強く噛み締めすぎたのでしょう。あるとき、右上の奥歯が二本割れたのです」
すると公爵令嬢が歯抜けでは見苦しいと、金の差し歯を入れられたらしい。
『割れた歯を取り戻したくば、聖女となれ。鞭打ちの痕を消したいならば、やはり聖女となれ。聖女が使う聖術であれば、失った物を全て取り戻すことができる。だから、必ずやお前が次代の聖女となり、全ての名誉を手に入れよ』
治療の痛みに耐えて差し歯を入れて戻った娘に、そう公爵は冷たく言い放ったのだという。
「――待って、それはおかしいわ。あの遺体に、差し歯の痕なんてなかったのに……」
もしも歯に古い欠損があれば、念のため公爵家に問い合わせていただろう。だが全て問題なく揃っていたから、確認していなかったのだ。
「はい、私もおかしいと思いました。でも金歯を盗もうとしたのがバレたらどんなお咎めを受けるかと思うと、言い出すことができませんでした……」
そのまま泣き崩れたダフネに、私は罪には問わないと約束し、労いの言葉をかける。ようやく彼女が顔を上げたところで、私と先生は急ぎ大神殿へ戻った。
そして念のため、保管していたアンジェリーネ様とおぼしき遺体の検案書を確認すると――やはり金の差し歯がないどころか、全ての歯が揃っていたと分かった。
あの遺体は、アンジェリーネ様のものではなかった。ならば、遺体の首に残っていた策条痕が絞殺ではなく縊殺の形になっていた理由も、説明がつく。
皆を殺したのは――やはり、彼女だ。




