571.公爵達の密談
・マグコミ様、『魔導具師ダリヤはうつむかない』、第50話更新となりました。
・公式X4コマ『まどダリ』第49話更新となりました。
・『魔導具師ダリヤはうつむかない』13巻、1月23日に発売です。
どうぞよろしくお願いします。
「テリオス様――」
王城魔導具制作部三課の塔、地下へ下りる階段の前、名を呼ばれた。
隣に来た自分の従者が、眉間にくっきりと皺を刻んでいる。
無理もない。
セラフィノに招かれて三課へ来たことはあるが、今、案内のメイドが向かっているのは地下。
これまでに行ったことは一度もない。
護衛は従者も兼ねた彼一人、警戒するのも当然だろう。
だが、仮にも同じ派閥だ。
ここでテリオス・ウォーロック――ウォーロック公爵当主を害したとて、セラフィノに利はないだろう。
手をつなぐほどに仲がいいわけでもないが。
「これほど明るければ、老眼でも足下は見えますよ」
問題はない、言葉の下にそうこめれば、従者に口を引き結んで下がられた。
そろってメイドの後に続き、階段を下りる。
通路の奥へ進んでいくと、重たげな金属の扉が開かれた。
「ようこそ、ウォーロック公。お忙しいところ、ありがとうございます」
窓のない客室、明るい魔導ランタンを背に、セラフィノが待っていた。
「お招きをありがとうございます、オルディネ大公」
「どうぞ楽に。今日は世間話とちょっとした伝言ですから」
細い水色の目をさらに線にし、彼がソファーを勧める。
テリオスはそれに従い、深く腰を下ろした。
メイドが部屋の端でコーヒーを淹れ始める。
その香りを嗅ぐともなしに確かめていると、セラフィノが口を開いた。
「スライムの研究者である、ニコレッティ夫妻の後見人となられたとか。グイードから聞きました」
グイードからの声がけで自分が後見人になった、つまりはスライム事業に噛むことになったのは、ザナルディ公として面白くないか。
それとも、妻であるイデアリーナに懸想していた従弟から嘆かれたか。
そう考えつつ、当たり障りなく返す。
「ええ、グイード殿から頼まれまして。本来であれば冒険者ギルド長である弟の仕事ですが、あれはほとんど王都にいませんから」
嘘ではない。
冒険者の頃は行方不明、安否不明はしょっちゅう。
冒険者ギルド長になって落ち着くかと期待したら、騎乗するワイバーンの番探しに出て戻らない。
最近は国境街にいることが多いようだが――
副ギルド長のアウグストがいつ弟を追い落としても、抗議するつもりはない。
「私からもお礼を。従弟の浅慮で、ニコレッティ夫人に迷惑をかけたようですから」
意外な言葉だった。
ザナルディ家であれば、イデアリーナと従弟を結ぶことなど簡単であったろうに。
貴族後見人となった上、彼女とナディルの婚姻を後押しした自分が言えることではないが。
皮肉かとも思ったが、目の前のセラフィノの面は凪いだまま。
テリオスは貴族の二分の笑みを貼り付け、質問を返す。
「灰宝の今後は楽しみなかぎりですが、オルディネ大公としては、よろしかったので?」
グレースライムから生まれた灰宝。
馬車の車輪に防水マット、防音マット、各種容器、服飾関連――有益さも利益も桁違い。
オルディネ王国として取り込みたくはなかったか、そう確認する。
「楽しみは楽しみですが、ブレーキをかけるようなもったいないことはしたくないですね。国として囲い込もうとすれば、ギルドの皆さんに足元を囓られそうですし。この件は研究者と商人に任せる方がいいでしょう」
セラフィノが言い終えると、メイドが淹れたてのコーヒーをテーブルに置く。
出されたそれは、従者が自分のスプーンですくって毒見をした。
テリオスはそのまま、セラフィノはミルクジャムをたっぷりと入れて飲み始める。
やや苦みが強めだが、香り高くうまい。
「お目に掛けたいものがあるのですよ」
コーヒーを三分の一程飲んだとき、そう声をかけられた。
メイドが銀の魔封箱を運んで来て、テーブルに置く。
中から出てきたのは、銀のコップらしきもの2つ。その底が銀色の糸で繋がっている。
子供の遊び道具のようにも思えたが、見たことはなかった。
「ちょっとそちらを持ってもらえます?」
その言葉に、従者がコップを確認し、自分へと渡す。
テーブル越しに糸を張れば、向かいでセラフィノもコップを手にしていた。
「糸がたるまないよう、ピンと張る感じで――そのままで、そのコップに耳をつけてください。こんなふうに」
彼を真似、コップを耳につける。
空気の対流するわずかな音だけが聞こえた。
一体何がしたいのか? そう思ったとき、ささやきが鼓膜を震わせた。
「聞こえますか、ウォーロック公?」
「――よく聞こえますな」
「では、次は私が聞きますから、そのコップに口をつけてささやいてみてもらえます?」
自分の声は病でかすれている。
けれど、言われた通り、こちらから聞こえますか、と話しかける。
聞き取りづらいであろうに、セラフィノはこくりとうなずいた。
「しっかり聞こえました」
どうやら、これはウロスも作っている集音器と似たようなものらしい。
興味深さでコップを見れば、内側に魔導回路が刻まれているのがわかった。
「最近できた魔導具で、糸付き拡声器です」
「糸で声を伝えるわけですな。なかなか面白い仕組みです」
「ええ、じつに興味深いのですよ。では、次は廊下に行きましょう」
飲みかけのコーヒーをそのままに、セラフィノが立ち上がる。
廊下に何があるのか、先ほど歩いてきた時は特に何もなかったはずだが――そう思いつつも、テリオスはその指示に従った。
廊下に出たところ、いつのまにか金属の支柱が置かれ、先ほどのコップが二つ固定されていた。
どちらからも銀の糸が、通路の先まで長く伸びている。
先ほどはテーブル越しなのでそう驚きはなかったが、まさか、この距離でも聞こえるのだろうか。
そう思う中、セラフィノが護衛騎士と通路の向こうへ早足で進んで行く。
自分の近くには、メイドが歩み寄ってきた。
どうやら彼女が説明してくれるらしい。
「失礼いたします。こちらのコップに耳を、こちらのコップに口を近づけてください」
言われた通りにすると、廊下の向こう、セラフィノが同じようにコップに近づく。
彼の声は、まるで隣にいるかのようにはっきりと響いた。
「この距離でも問題なく聞こえるでしょう?」
「ええ、しっかり聞こえますとも――」
興奮を努めて声に乗せぬようにする。
けれど、心はどうにも騒ぐ。
「こちらは話しながら聞けるのですね、この距離でも」
「ええ。これは双方向の糸付き拡声器です」
「これは拡声器というより、伝達器とでも呼んだ方がいいのでは?」
「そうかもしれませんね。名付けはお任せしますよ。私は得意ではないので」
「光栄なことです。ぜひ、開発した三課の研究者にもお目にかかりたいものですね」
セラフィノの指揮下、三課の研究者が開発したものだろう。
出資でも協力でもしたいところだが――そう思う自分に、銀のコップ越しに声が続いた。
「いえ、これはロセッティ、ダリヤ・ロセッティ男爵の開発品ですよ」
「――そうなのですか。驚きですね」
一拍遅れたが、声の揺れは全力で止めた。
「正確に言えば、双方向は助手役のヴォルフ君、ああ、グイードの弟ですが、そちらと共に開発したそうです」
スカルファロット家の末子である、ヴォルフレード。
その名は自分も知っている。
魔物討伐部隊の赤鎧で剣の腕が立つ、王都一と呼ばれる美青年。
機を見る目と商才もあったようで、ロセッティ商会の保証人に、隊との連絡係も務めている。
その上、こういった魔導具開発に関わる頭脳もあるとは、何とも神に愛された男だ。
父を追い落とすほどの才覚を持ち、オルディネ大公の友とされる当主グイード。
龍騎士がほぼ確定、第二王子の覚えめでたく、国境で分家を起こす、エルード。
そして、この魔導具に携わったというヴォルフレード。
子息に恵まれた前スカルファロット伯が、羨ましいを通り越して妬ましいほどだ。
いいや、かの家だけではない。
南派閥には服飾ギルド長のフォルトゥナート・ルイーニ子爵、冒険者ギルド副ギルド長のアウグスト・スカルラッティなど、才きらめき、人望ある者が増えてきた。
それに引き換え――日頃は口にしない愚痴が、ついコップにこぼれ落ちる。
「あちらの岸がまぶしくなってきましたな。もう少し、こちらの若手にも励んでほしいところです」
「そうおっしゃらず。若手でなくてもいいでしょう」
笑みを含んだ声が、耳を打つ。
確かに、ドラーツィ夫妻が復帰したり、そのつながりで動き出したりした家も多い。
だが、北派閥の未来を考えれば、有能な若手は絶対に必要なのだ。
「ロセッティは、先程の糸付き拡声器を病院と神殿向けに開発するそうです。そして、こちらの双方向は、ウロス部長を中心に、王城魔導具制作部で開発を進める予定です」
「それはありがたいお話です。ウロスもとても喜びましょう」
テリオスはそう答えつつも、鈍い頭痛を覚える。
弟のウロスは今年、王城泊まり込みで帰宅しない日が続き、体重まで減らした。
捕獲して三日休ませることになったが――
もしや、今日呼ばれたのはウロスの健康管理ではあるまいか? そんな疑問が浮かんだ。
「こちらの開発は国にとって必要なもの。弟が長く携われるよう、把握しておきましょう」
「それはぜひ。ですが、もう一つ頼まれ事があるのです」
コップの向こう、声が一段低くなる。
「運送ギルドに共同開発の協力要請を――もちろんウロス部長の名の下に、ご令孫を並べて構いませんよ」
たいへんありがたい話である。
ウォーロック公爵家は歴史も実績もあるが、ここしばらくは目立った功を上げていない。
その上、次期当主予定だった息子が流行り風邪で急逝したため、老いたテリオスが繋ぎのまま当主になっている。
自分が死ねば、ニコレッティ夫妻の貴族後見人は孫になる。
灰宝関連に噛める他、この双方向の拡声器開発に加われるなら、次期当主となっても力足らずとはされぬだろう。
それを思えば、喉から手が出るほど欲しい案件である。
しかし、貴族に代価のない願いはない。
何を望まれるか、いや、手が届くものをすべて差し出しても、天秤は釣り合うであろう。
テリオスは意を決し、セラフィノへ呼びかける。
「オルディネ大公、代価は何をお望みですか?」
「私ではないのですよ。運送ギルドを指定したのはロセッティですから」
「はっ……?」
完全に取り繕えない声が出た。
「庶民の手紙や伝言はほとんどが運送ギルドなので、伝達の面で良い助言がもらえるだろうと提案されまして。ロセッティの部下二人が、運送ギルドに勤めていたのもあるとか。あとは、ウォーロック公へ、名付けと天秤のお礼ではないですかね」
さらさらと続く言葉に、返せたのは沈黙だけ。
相槌すら打つことができなかった。
ありえない。
どう考えても、まったく釣り合いが取れないではないか!
内を巡る嵐のような声を隠し、テリオスは浅い咳をくり返す。
いつもかすれている声は、いい言い訳になった。
部屋で二度目のコーヒーを提案したセラフィノが、廊下をこちらへ戻ってきた。
再びの客室、テリオスは新しいコーヒーを喉に通す。
そうしてようやく速まっていた鼓動を整えた。
「代価はロセッティへ。もしくは、ヴォルフ君、あとはグイードへどうぞ。もちろん、開発への投資があれば、ウロス部長が喜ぶでしょう」
「わかりました。投資はすぐとして、お礼はゆっくり考えることにします」
机の上には、銀のコップが二つ、先ほどのままに置かれている。
この伝達技術は、国も人も変えるだろう。
新しい技術はとても興味深く、恐ろしく、そして楽しい。
「これに関して、開発筆頭にウロス部長、運送ギルド長である次期ウォーロック公、スカルファロット侯がそろえば、王城、北派閥、南派閥、皆で後押しをしてくれるでしょう」
むしろ、どこからも絶対に邪魔はさせない、そう聞こえた。
水色の目は楽しげに細くなり、銀のコップへと向く。
テリオスも同じく、そちらを見た。
一体、ロセッティに何を返せばいいのか。
おそらくは、老いたテリオスがウォーロック家で当主を続けている理由も、運送ギルドで孫が必死に仕事をしていることも、一族の一部がそれを軽く見ていることも、すべて知っているのだろう。
教えたのはグイードか、スカルファロット家に縁のあるベルニージ、その妻のメルセラか。
あるいは、最初のお披露目を引き受けた財務部長のジルドか、その妻のティルナーラということも考えられ――
この歳になっても予測できないつながりに、笑うしかない。
それにしても、自分が贈れ、彼女が喜ぶものが思い浮かばない。
ダリヤの望むものは知っていても、自分がこの手で与えられるものではないのだ。
とりあえず、魔導具師の喜びそうな珍しい素材をかき集めるかと思いかけ、それは目の前の大公の方が得意だと思い直す。
そして、自分が贈れぬもので、セラフィノならばできるもの、ぜひそうしてもらいたいものが一つある。
テリオスは遠慮なく提案した。
「これだけの品です。ロセッティ男爵を子爵へ上げるべきでは?」
「とうに断られていますよ。魔導具師として研究と開発の時間を優先したいようで。希望したらいつでもその場で上げますが」
では、良縁を、と言いたいところだが、自分はスカルファロット家でのお披露目に参加したのでよくわかる。
彼女の相手は、まちがいなく助手役のヴォルフレード。
踊る二人はとても似合いであった。
おそらくはヴォルフレードが男爵になるのを待ち、ロセッティとスカルファロットの名を両者が持つようにするのだろう。
今年の秋か冬には、婚約祝いが贈れるのではないだろうか。
そのときまでに、とびきりの祝いを考えておかねば――
そう悩むテリオスの前、つぶやきが落ちた。
「ロセッティの今後の活躍に期待し、本当に望むものがあれば贈りたいのですがね……」
オルディネ大公も、悩んでいるらしい。
だが、自分はその答えを、すでに教えられている。
「ダリヤ男爵の望むものは、ザナルディ公、いいえ、オルディネ大公でも難しいでしょうな」
「おや、すでにご存じで?」
「ええ。ヨナス男爵から伺ったことがありますよ」
いつも人を煙に巻くようなセラフィノ、その正面で、テリオスは思いきり笑んで言う。
「天災や魔物に脅かされず平和に、住まいや食事に困らず、仕事ができ、今のように暮らしていけること。自分だけではなく、皆で平和に暮らすこと、だそうです」
「は……?」
先程の自分以上に、間の抜けた声が響いた。
己の声に驚いたようなセラフィノがしばし固まり――長いため息をつく。
「……ロセッティらしい、そう言うべきでしょうかね……」
彼もまた、赤髪の魔導具師が読み切れないらしい。
テリオスですら読めないのだ。
自分の子供世代のようなセラフィノに読み切られたら、立場がない。
二杯目のコーヒーがテーブルに置かれた。
白い湯気の向こう、セラフィノと目が合う。
口を開いたのはほぼ同時。
「大公として、贈り物にするよう目指されては?」
「公爵として、贈ることを目指してみませんか?」
互いの提案に、思わず動きを止め――
二人の公爵は声を上げて笑った。




