522.領地行きの馬車
・赤羽にな先生、コミックス『魔導具師ダリヤはうつむかない~王立高等学院編~』2巻、12月18日発売です。
・セブンプリント、アニメオリジナルブロマイドにアニメOP・EDが追加となりました。
・公式X『まどダリ』第25話公開となりました。
・オーディオブック1巻、Audibleでも配信中です。
どうぞよろしくお願いします。
「きれい……」
ダリヤは馬車の窓から見える景色に、思わずつぶやいた。
目に入ったのは鮮やかな緑の木々。
枝先からこぼれる滴が、陽光をきらきらと反射させている。
予定では昨日、スカルファロット家の領地へ出立するはずが、大雨で一日ずれこんだ。
だが、領地での日程は変わらず六泊七日。
行きと帰り一日ずつが移動日である。
気軽な道行きと聞いていたが、進む馬車は四台、騎馬の騎士は十人、馬車内で控える騎士と魔導師もいる。
ダリヤからすると物々しく感じるが、最低限の警備だそうだ。
スカルファロット家は侯爵家となった。
子息であるヴォルフの移動でもあるのだからと理解した。
とはいえ、緊張は思っていたほどではない。
騎馬の騎士達の年代は様々だが、出立前、明るい笑顔で挨拶をしてくれた。
そして、ダリヤの乗る馬車は自分の送り迎えを度々してくれる者達――スカルファロット家の庭番犬係のドナ、そしてベテラン騎士のソティリスだった。
馬車のドアを開き止めたドナが、ダリヤとヴォルフを通してくれるとき、小声で告げる。
「いやあ、『四カ国同盟』が恋しいです」
『四カ国同盟』 とは酒の名だ。
イシュラナの塩、エリルキアの青レモン、東ノ国の酒、それをオルディネで飲むことから名付けられた。
この馬車の者達はその酒を同じテーブルで飲んだ仲――先日の『夜遊び』の参加者であった。
「また今度行こうか?」
「それは楽しみです」
「その際はぜひ案内役にご指名ください」
白髪の多い青髪の騎士は、真剣な表情で自分達へ願う。
ヴォルフが答えようとしたとき、ドナが先に口を開いた。
「ソティリス先輩、酒好きですもんね」
「ドナ!」
短い叱責は飛んだが、二人はそれでも笑んでおり――
ダリヤとヴォルフも、同じく笑って馬車に乗り込んだ。
本来であれば、ここに護衛騎士であるマルチェラが同乗するはずだった。
だが、双子の乳児がいるので王都に彼を残したいと希望するダリヤと、領地の屋敷を知らないから今回の護衛には向かないというグイードにより、代役が立てられた。
『お任せください。うちの犬達は強いです、犬達は!』、ドナはそう言って受けていた。
だが、そのドナは今、御者台にソティリスと共に座っている。
馬車に乗り込む寸前で、くんくんと我が身の匂いを嗅ぎ、眉間に皺を寄せたのだ。
「申し訳ありません。昨日、エルード様お勧めのニンニクの効いた肉を食べまして、中にいるとちょっと……何かあったら御者席後ろの小窓からおっしゃってください」
結果、馬車はダリヤとヴォルフの二人だけとなった。
話をしつつ、時折、窓から雨に洗われた木々や街道を共に眺める。
長めの移動になるので、二人そろって進行方向を見る方が疲れないという、ソティリスの勧めだ。
いつもは向かい合って座ることが多いので、ちょっと新鮮な感じがする。
「晴れてよかったよ。昨日の雨は凄かったから」
ヴォルフの言う通り、昨日の午前は激しい雨だった。
今回の領地行きが大幅に延期になってしまうのではと思ったほどだ。
けれど、午後には弱まり、本日は晴れ。
オルディネの天気は予想がつかない。
前世のように正確な天気予報があれば、そう思ってしまったのは内緒である。
「銀蛍が見られるといいんだけど……」
ヴォルフが楽しみにしているのは、沼の銀蛍らしい。
そちらも楽しみだが、ダリヤにとって一番はやはり魔導具である。
「私は水関連の魔導具が楽しみだわ。ヴォルフは見たことがある?」
「いや、たぶんないと思う。物心ついてから領地に行くのは、初めてだから」
少し伏せ気味になった金の目に、影がさした。
今日より前に領地へ行こうとしたのは、おそらくは子供の頃、ヴォルフが母やグイード達と移動する馬車が、襲撃を受けたときではないか。
けれど、ダリヤはそれを尋ねようとは思わなかった。
「それなら、二人とも初めて見ることになるのね」
「ああ、楽しみだ。他にも君と一緒に見たいものが――」
ヒヒン、と馬のいななきが響き、馬車がゆっくりと止まる。
もう馬を休める水場に着いたのだろうか、そう思ったとき、ノックとドナが名乗る声がした。
ヴォルフが馬車の扉を開けて尋ねる。
「何かあった?」
「少し先で、中型馬車同士が当たって、故障したそうです。修理に少し時間がかかりそうなので、道を戻って、近くの宿場街で休まれてはどうでしょう?」
そう話す彼の後ろ、他の馬車が進んでいくのが見える。
「ここを通らなくても、旧道を迂回すれば――」
近くの若い騎士が言いかけたとき、誰かがその名を強く呼ぶ。
騎士はすぐ口を閉じる。
自分の隣、ヴォルフの肩が揺れたのがわかった。
「――それなら、旧道を進もう。それなら遅くならず、今日中に領地へ着けるはずだから」
いつも通りを装った彼の声は、少しだけ平坦だ。
ダリヤにはそれが聞き取れてしまう。
「ヴォルフ様、旧道はこちらの道ほどよくないですから、がたつきが……」
理由をつけようとするドナへ、ヴォルフが笑みを形取った顔を向けた。
「ドナ、俺は、大丈夫だよ」
「――わかりました。では、旧道を進むよう伝えて参ります」
一拍呑み込んだドナが、ダリヤへ草色の目を向けた。
まるで救いを求めるような色に、理由を確信した。
旧道――そこはヴォルフが子供時代に母やグイードと共に襲撃を受けた道筋だろう。
おそらく通らせたくなかったに違いない。
扉を閉めたヴォルフは、何事もなかったかのように座り直す。
少しして、馬車は再び動き出した。
「屋敷の近くに夜犬を飼育しているところがあって、ちょうど子犬がいるそうなんだ。ドナが案内をしてくれるって」
「子犬はどのぐらいいるの?」
「五匹。少し大きくなったのが四匹って聞いてる」
話を再開すればいつも通りの彼だ。
何も心配することはない、そう思いたかったけれど、ヴォルフは身体の向きを少しずらしたまま。
それはダリヤと話すためというより、左の窓を視界に入れない、そうしているように思えた。
明るい話し声は、どちらからともなく途切れる。
隣の整った顔を見上げれば、いつにない白さがわかった。
辛いと言ってくれれば、下手でも慰めが言える。
悲しいと言ってくれれば、わずかでも共感を伝えることができる。
けれど、ヴォルフは唇を引き結んで、一人、静かに耐えていた。
それが、たまらなく胸に痛い。
伝える言葉を考えあぐね、ダリヤは窓の外を見る。
右の窓は緑の木々、左の窓は岩山に変わりつつあった。
「ヴォルフ、あの、席を替わってほしいの」
「え?」
急な申し出に、彼が金の目を丸くする。
「私が、山の方の景色を見たいから」
岩山はゴツゴツとした岩だけで、特筆することもない。
こじつけなのは気づかれるかもしれない。
しかし、他にいい理由が思いつかなかった。
「――わかった」
ダリヤの必死さを哀れんだか、それとも考えるゆとりもないか、ヴォルフがぎこちなくうなずく。
馬車の中、二人共に立ち上がった。
そこから左右を替わるべく、座席の前ですれ違おうとする。
と、ガタンと馬車が揺れた。
小石に乗り上げた程度だろう、そう大きな揺れではない。
ヴォルフはふらつきもしなかった。
だが、ダリヤの今日の靴は踵が細め、耐えきれず斜めに転びかける。
「あっ!」
「ダリヤ!」
転びかけた自分を、ヴォルフが両腕を伸ばして引き寄せる。
ダリヤも咄嗟に、彼へすがった。
抱きしめられる形になったその胸は、広く、温かく――
以前、ヴォルフのマントに包まれたときよりも、その香りがわかった。
気がつけば、車輪は規則正しい音に戻っている。
自分の鼓動がヴォルフに気づかれる前に離れなくては――頭の中をそれだけが埋めた。
「あ、ありがとう、ヴォルフ! もう大丈夫!」
「すまない! 足は痛めていない?」
「ええ」
ヴォルフはダリヤからそっと腕をほどくと、慎重な動作で席に座るまで支えてくれた。
そうして、席は無事、左右入れ替えとなった。
無事でないのはダリヤの心臓、上がって戻らない心拍数だけである。
「すまない、君に気を使わせて……」
「いえ……」
不意に、ヴォルフがダリヤ側の窓に視線を移す。
金の目に、赤が滲んだような気がした。
「あそこが、母と皆が亡くなったところ……」
それはひとり言よりも小さなつぶやき。
けれど、一番近くにいるダリヤには聞き取れた。
自分の目には変わらぬ岩山が続く。
けれど、ヴォルフには見分けがつくのだろう。
窓に向けて身体の向きをずらし、目を閉じて両手を合わせる。
そして、祈りの言葉をささやきで紡いだ。
「……母上、皆、どうか、安らかに……」
小さな祈りは自分の背後からも聞こえた。
振り返れば、ヴォルフが拳を白くなるほど握りしめていた。
「情けないな。俺はまだ、ここで馬車を止めて祈ろうとは言えなくて――」
辛く悲しい出来事、衝撃的な事件の後、その場が苦手になることもある。
横を通り過ぎるだけでも、どれだけ苦しいかわからない。
「いつか落ち着いたとき、また祈りにくればいいわ。お花と、あと、お酒を持って」
言いながら気づく。
ピクニックではないのだ、あまりに言い方が軽すぎるだろう。
けれど、ヴォルフはほどけるように笑った。
「ああ。先にカルロさんのところで祈ってから、母達へ祈れるように、がんばる――」
そこまで言った彼は、木々の見える窓の方へそっと顔を向けた。
やはりまだ辛いのだろう。
それでもヴォルフは、先程ダリヤが祈ったように、父カルロへ祈ってくれるつもりらしい。
これがお墓であれば、庶民の結婚報告のようで――
この想像は先日のメーナのせい、きっと、絶対に。
ダリヤもまた、岩山から木々に変わりつつある窓へ顔を向ける。
それぞれの頬の赤さは、しばらく引くことがなかった。




