489.銀の船と弟子入り志願
・長さと区切りの関係で今週2話・昨日も更新しております。
・臼土きね先生『服飾師ルチアはあきらめない』、第21話配信となりました。
・赤羽にな先生『魔導具師ダリヤはうつむかない~王立高等学院編~』1巻、5月17発売予定です。
どうぞよろしくお願いします。
「ダリヤ、何か手伝えることはない?」
「では、金属板のカットをお願いします」
気づかってくれるヴォルフに、遠慮なく願う。
普段使い慣れた素材の方がいいだろう、その思いから金属で作ることにした。
ザナルディは、テーブルの向かいでベガと黒い船の帆の調整を始めている。
二艘目を作ることで時間を取らせるのを詫びたが、今日は子供部屋にこもるつもりだったという言葉に、甘えさせてもらうことにした。
大枠の形をメモ帳に書き、仮寸法を入れる。
その後、ヴォルフに薄い銀の金属板を切ってもらうと、金槌で叩き曲げた後、魔法で成形していく。
作っていくのは流線形の銀の船。
形は前世に見たことのあるモーターボートに似せた。
しかし、今世にエンジンはない。
ダリヤは、モーターボートのスクリューの形も知らない。
よって、模型船に風の魔石用の魔導回路を組むことにする。
作業中、金属板に映る自分の顔に、ふと思い出した。
「救命鏡が使えるかも……」
数日前に作った救命鏡は、銀枠をつけるためにオズヴァルドに預けた。
だが、鞄の中には昨年作った救命鏡がある。
化粧を確認するために入れていたのだ。
救命鏡をミスリルナイフでカットしたものを船の外側、前部多めに合わせていく。
そして、船体形状を魔力で加工し、外れぬようにはめ込んだ。
次に後方を区切り、風の魔石の設置部分を準備、そこから二本の細い金属管を船体の外まで通す。
加工が終わると、船の内側から後部左右の金属管へ向け、魔導回路を組んでいった。
スイッチを後方に付けた後、ぴったりした蓋型の甲板を準備する。
その後は水槽の横に膝をつき、ブラウスの袖をまくっての作業となった。
重石の量と位置調整が難しく、浮かべては加工を繰り返す。
手で押さえつつ進ませると、ぶれが不安だったので、前方の底にV字に近い加工を追加した。
この際、見た目よりも沈まずまっすぐ進む方が大事だ。
ヴォルフが補助作業をしてくれていたが、次第に目が丸くなっていった。
「ダリヤ、これ、帆がまだないんだけど……」
「帆のない船です」
水中に風を直接送って進むので、帆柱も帆もつける必要がない。
前世のモーターボートに近い形だが、スクリューすらない。
仕組みの参考は小学生時代の工作、バルーン船――風船の空気で前に進む船である。
一応、浮力と重心は合わせたが、きちんと動くかは怪しいものだ。
「面白そうな船ですね、ロセッティ君。作り上げる前に、少し試してみませんか?」
「はい、そうさせてください」
ザナルディに気を遣われたのがわかった。
この船も沈んだところで、未完成なのだから直せばいい、そうフォローしてくれるつもりだろう。
少し申し訳なかったが、表情を整えて水槽の端へ移動する。
向こう側には、モーラが待機してくれた。
「では、試してみます――」
銀の船をそっと水槽に浮かべ、ダリヤは祈るような気持ちでスイッチを入れる。
シュバババ!と音を立て、船は手から飛び立つように離れた。
「うわっ!」
驚きの叫びは誰のものかわからない。
白い飛沫を上げ、銀の船が水上を飛ぶように進む。
予想以上に速かった。
これならば、帆のある模型船に速さで負けることはないだろう。
軽量化した上、魔石を二つ使っているので、当たり前だが。
「はっ!」
すぐに到着した向こう端、モーラが猫のような動きで船を捕まえてくれた。
無事ゴールした! そんな思いで肩の力が抜ける。
「それなりに速かったのではないでしょうか?」
思わず笑顔になってふり返ると、ヴォルフがぱかりと口を開けてこちらを見ていた。
その横、ザナルディは両膝と両手を床についている。
もしかすると貧血かもしれない。
ダリヤは思わず声をかけてしまった。
「ザ、ザナルディ様、大丈夫ですか?」
「ロセッティ……君……」
かすれた声で名を呼ばれた。
眼鏡の下の水色の目が、瞬きもなく自分を見上げる。
ダリヤは蛇ににらまれたカエルのように固まった。
怖い。なぜだかわからないが、果てしなく今すぐここから逃げ出したい。
「ロセッティ君、いいえ、『ロセッティ先生』! どうぞ私のことは『セラフィノ』とお呼びください。もちろん呼び捨てでかまいませんとも」
「えっ?!」
理解できない言葉に、立ち上がって距離をつめてきた彼への反応が遅れてしまう。
ヴォルフが即座に真隣に来てくれたが、ザナルディは自分達の前に片膝をついた。
「じつにすばらしい! 革新的だ! なんと速い船か、心底驚きましたよ。人も乗らずにあんな動きをさせるなんて――ああ、まるで夢のようです! ロセッティ先生、ぜひ、私にあなたの教えを、いえ、私を弟子としてください!」
大公に熱烈に乞われる内容に、急激に頭が冷えていく。
「いえ、あの! 子供の遊び道具ですし、思いつきですので! そんなにたいしたことでは――」
「ダリヤ……」
ヴォルフにそっと肩に触れられた。
「その、かなり、たいしたことだと思う」
「かなり、たいしたこと、ですか?」
「偉業ですとも! この機構で小型船を組み上げましょう。成功したら中型船、いつか大型船を組み上げましょう。海の魔物に余裕で対応できる、交易も盛んになる、魔物討伐も楽になる、海は魔物から人間のものに変わるのです!」
これまでになく熱く語るザナルディに、返す言葉が一切浮かばない。
凍りつく自分の隣、ヴォルフがぽつりと言う。
「海……これ、川もいけるかも」
「えっと、今もありますよね? 川上りの船」
高等学院の頃、故郷に帰るのに川上りの船を使うというクラスメイトがいた気がする。
それを思い出しつつ聞き返したが、首を横に振られた。
「それは帆船。これは帆がいらないから、小さい船で細い川も一気に上れると思う」
「最速の川上り船! ロセッティ先生は、助手の『ヴォルフ君』と共に、歴史に名が刻めるでしょう!」
「ヴォルフ……」
「す、すまない……」
この状況で後ろから押してどうする? そうは思うがすべてが遅い。
それよりも、目の前に跪くオルディネ大公ほど心臓に悪いものはない。
ダリヤは向かいに両膝をつき、心から願う。
「どうかお立ちください、ザナルディ様。ええと、仕様はすべてお教えしますので」
「ありがとうございます。ロセッティ先生を陣頭に大々的に開発しましょう!」
「いえ、進めるのであればザナルディ様の方で、私とヴォルフはお手伝いということで……」
完全なやらかしを自覚し、声は小さくなる。
そんな自分の向かい、大公は真顔になった。
「これなら私が、子爵、いいえ、飛んで伯爵推薦をしてもいいぐらいです。陞爵を望まれないのは前にも聞きましたので、三課の課長の椅子――ちょっと風当たりが強いでしょうから、副課長の椅子を準備してお贈りしましょう。一切の仕事は私が行いますから問題ありません。魔導書も素材も予算も、三課のものはお使いになれますよ」
「いえ、ご遠慮申し上げますっ!」
問題ありまくりだ、どうしてそうなるのだ? 子爵上がりより悪いではないか!
そう叫べるわけもなく、ダリヤは必死に頭を回す。
気がつけば、ヴォルフが自分の真隣で膝をついていた。
「失礼を申し上げます、ザナルディ様。ダリヤ・ロセッティはすでに魔物討伐部隊相談役、自身の商会を持つ男爵です。ここで三課の役をお引受けすることは、その身には重すぎることです。どうぞご再考のほど、お願い申し上げます」
助け船に思いきり感謝しつつ、ダリヤも願った。
「お願い致します。それと、どうかお立ちくださいませ」
「ロセッティ先生の邪魔をする者があるのなら言ってください。私が王に内緒で願って、全部椅子から下ろしますよ。叔父は私には甘いですから」
ザナルディが立ち上がって言った。
その唇が三日月を平らにしたように、急な弧を描く。
ダリヤは思わず息を呑んだ。
目の前の彼はオルディネ大公、王位継承第三位、公爵当主、しかも王の甥。
権力の権化であった。
いや、これはきっと彼なりの冗談に違いない。
限りなくそう思いたい。
今度はザナルディに促され、ダリヤがヴォルフと共に立ち上がった。
その間も必死に考える。
頑張れ、自分の脳細胞! ここはなんとしても逃げ切らねばならない。
「邪魔をされるようなことはなく――男爵位にもまだ慣れておりません。気持ちとして目立ちたくないのも本当ですが、陞爵につきましては、功を積み、誰からも異を唱えられぬようになってからと思っております」
誰からも異を唱えられぬ叙爵も陞爵もない、そう教えてくれたのはオズヴァルドだ。
あれだけの働きをしているオズヴァルドもグイードも、陞爵には一定数で反対があったという。
ということは、この自分にはさらにあるだろう。
それを理由に先延ばして回避しよう、そう考えての返事だった。
「――ロセッティ先生がそうおっしゃるのでしたら、そうしましょう」
一拍の遅れがあったが、ザナルディがうなずいてくれた。
そこからはさらにうれしい提案が続く。
「では、この船の開発は隠蔽のため、私の方からアルドリウス――王太子に功績を流しても? ロセッティ先生の名前は、アルドリウスにも叔父にも出しませんので」
「はい、そちらでお願い致します」
「代価は――珍しい魔導具や素材があれば内々で見学、東ノ国などの魔物素材で、ちょっと珍しいものを少しずつ、末永く分割で。あとはお探しの素材があればできるかぎり取り寄せ、こちらも末永く。これで天秤は釣り合いますか?」
「充分です。ありがとうございます、ザナルディ様」
オルディネ大公はつくづくと理想の上司だ。
そう感動しているところ、再び声がかけられる。
「話を戻しますが、ロセッティ先生、本当に私を弟子にしてくださいませんか? たまに、お時間の空くときでいいのです。ロセッティ先生とヴォルフ君に一緒に来てもらって――今回のような開発がなくても、気軽な船遊びや魔導具話がしたいのです。最近は友人のグイードも忙しく、あまり構ってくれませんので」
困惑しつつヴォルフを見れば、同じような表情で自分を見ていた。
理想の上司ではあるが、理想の生徒では絶対にない。
「私と遊んでくださるなら、ワイバーンの件でグイードへさらに便宜を図りましょう。ヨナス君の安全確保にも協力しますよ」
「よろしくお願いします、ザナルディ様」
これ以外の返事はない。
ワイバーンの件ではグイードに大変な負担をかけた。
あと、ストルキオスに興味をもたれているヨナスが心配だ。
「今後は生徒として、『セラフィノ』と呼んでもらえませんか? ロセッティ先生」
「では、『セラフィノ様』と。叶いますなら、私のことは『ロセッティ』とお呼びください。先生を付けられると、気軽に魔導具話ができなくなりそうです」
「わかりました。ヴォルフ君も名呼びをしてかまいませんよ。色々と好みが一緒のようですしね」
「光栄です、『セラフィノ様』」
なし崩しに大公を名呼びすることになってしまったが、ヴォルフも一緒なのでまだましだ。
ただし、できるだけ名を呼ばずに済む努力をしようと思う。
「まあ、呼び方はどうであれ、ロセッティは、私の魔導具師としての先生の一人、そう思うことにしますよ」
「セラフィノ様には、他にも魔導具師の先生がいらっしゃるのですね」
「ええ、幾人か。もうお呼びすることは叶わない方もありますが……」
目を伏せたザナルディ――改め、セラフィノは、とても残念そうに言った。
おそらく、すでにあちらへ渡った方なのだろう。
そこからは、それなりに時間が過ぎていたので、子供部屋を後にする。
笑顔のセラフィノが、わざわざ塔の一階まで送ってくれた。
・・・・・・・
執務室に移り、椅子に座ったセラフィノから離れ、ベガは壁際の定位置に立つ。
本日の主は上機嫌だ。
模型船に関するメモを流れるように綴り始めた。
セラフィノは大公の立場でありながら、爵位にこだわらない。
本日もそれが表に出た形だが、男爵になったばかりの年下のご令嬢を先生呼び、己の呼び捨てまで願うとは予想外だった。
確かに、ダリヤ・ロセッティが手がけた二つ目の模型船、水上を駆けるあの船が有人で動かせるなら、各所に多大な影響を与えるだろう。
だが、そんなものをあっさりと試作し、報酬と名声からは全力で逃げようとする。
正直、理解できない。
いや、思い返せばクラーケンテープのあたりから、彼女は理解の範疇を超えていた。
ベガとしては、間者や暗殺者の可能性も警戒したが、どう判断してもそれはない。
本日、棒付き網を持ってよろよろと水槽に近づく際は、足を滑らせて落ちないかとひやひやした。
けれど、有能で真面目で懸命で――魔導具が好きなことだけはわかる。
そして、その魔導具好きは主も同じだろう。
いまだ口角の上がりが戻らない、こんな顔を見たのは久しぶりである。
そのセラフィノが不意にペンを止め、口を開いた。
「最初に会った日にはブラックスライムの魔付き、九頭大蛇戦では勝利の女神、今回は水を駆ける船の先生――ああ、まったく予想できませんでした……」
それは熱く焦がれるような声。
そのわずかな可能性を考えて、ベガは思わず主の顔を見つめてしまう。
だが、視線の先、大公は子供のように無邪気に笑っていた。
「ロセッティは、本当に楽しい魔導具師です」




