446.九頭大蛇クッキーと魔物討伐部隊棟のお茶会
「こんなにかわいくなかったがのう……」
魔物討伐部隊棟の客室、ダリヤはその言葉を聞きながら、もぐもぐと口を動かす。
周囲には魔物討伐部隊員が五名ほどいる。
隊長であるグラートは政務棟での会議が長引き、まだ戻ってきていない。
ダリヤとの打ち合わせも延びることになり、客室で待つことになった。
そこに隊員が紅茶と茶菓子を持ってきてくれての今である。
テーブルに載った平たい箱は、十個に区切られている。
つぶらな目のついたかわいらしい丸顔が九枚、その下、楕円に短く丸い足がついた本体。
それぞれ、二段で二十枚入りだ。
「ベルニージ様、この方がいいのではないかと。リアル九頭大蛇クッキーだと子供が泣きそうですから」
ヴォルフの言う通りである。
ダリヤもリアル九頭大蛇クッキーはちょっと遠慮したい。
「ふむ、甘さもよく、オレンジピールが入っていて、よい味だ」
胴体を食べ終えたランドルフが言う。
ダリヤは同意としてうなずき、紅茶を飲んだ。
「ランドルフ殿に合格点がもらえたなら、きっと売れます!」
見知った隊員に、力一杯うなずかれた。
彼の実家は商家、そこで開発した九頭大蛇クッキーがこれである。
息子が現役の魔物討伐部隊員ということも宣伝材料に、すでにそれなりに売れているそうだ。
「問題は、その私が九頭大蛇戦に行っていないのですが……」
「王都に残った隊員も参戦と同じじゃろう。それに変異種の二角獣も仕留めたそうではないか」
ベルニージが隊員を気づかう言葉を告げている。
けれど、彼は微妙な顔となった。
「ええ、変異種は変異種だったのですが、紫かと思ったら青紫で、見せてくるものが違いまして」
「大切な者や好いた者を見せてくるのではなかったのか?」
「はい。そちらではなく、強そうな敵を見せてくるタイプでしたので、皆、躊躇なく攻撃していました」
「我らに対しては、悪手じゃのう」
「それであれば全力で征くだろう」
確かに、強そうな魔物が見えても、魔物討伐部隊員達がひるむことはないだろう。
よりやる気に満ちて攻撃力が上がりそうだ。
「九頭大蛇戦に行けなかった者の多くは、想像した九頭大蛇に見えたり、過去に苦戦した魔物に見えたりしていたようです」
「それはそれで大変じゃなかった?」
「想像力が足りない上、小さい九頭大蛇でしたので恐怖は薄く――それよりも国境へ参戦したいと思っていたので八つ当たりのようになりまして……素材を傷めすぎ、冒険者ギルドでの買い取り価格が下がったと聞きました」
「なんじゃ、結局、お前も九頭大蛇と戦っておったではないか」
ベルニージの言う通りである。
王都にいた者達も皆、心は九頭大蛇と戦っていたのだろう。
「まあ、人によっては、強敵が本当に戦いたかった相手だった者もいたようで。そちらはいい笑顔で特攻していましたし」
「戦いたかった相手と戦える、それはよいな! ……青紫、もう一度出てこんかのう……」
うらやましげな老騎士のつぶやきは、聞かなかったことにする。
とりあえず、青紫の二角獣に明日はなさそうだ。
「あの、ダリヤ先生、こちら何箱かいかがです? できれば副会長にもお話の一つにお願いできればありがたく」
オズヴァルドにこの言い回しを教えてもらっておいてよかった。
隊員の控えめな願いは、意味を正しく理解できた。
自分とイヴァーノが九頭大蛇クッキーを気に入ったなら人に話してほしい――商人の宣伝方法の一つである。
相手が有力者・有名人であるほど、いい宣伝になる。
ダリヤでは足りないが、交友関係の広いイヴァーノであればきっと効果が見込めるだろう。
「ありがとうございます。イヴァーノと共に商業ギルドで頂きますね」
ガブリエラとのお茶のときに持って行こう、そう思いつつ答えると、隊員にいい笑顔で礼を言われた。
「九頭大蛇焼きに、飴にクッキーに、小物か。大人気じゃな……」
クッキーを手にしたベルニージが難しい顔になった。
以前、九頭大蛇で亡くした息子や仲間を思い、感傷的になっているのかもしれない。
ダリヤがそう思ったとき、とても不満げな声が続いた。
「我らより九頭大蛇の方が人気があるというのは、おかしいとは思わんか?」
「……えっと……」
これはどう答えるのが正解なのかがわからない。
目を泳がせていると、向かいの隊員が問いかけた。
「国境では九頭大蛇戦の画などもあるようですが、この際、隊員全員を描かせた版画などを売り出すのはどうでしょう? 隊で許可が得られればですが」
「一番目立つのはヴォルフかもしれんな」
「違うよ、ランドルフ、グラート隊長だよ、絶対!」
ランドルフのからかいに、ヴォルフが強く言い返している。
集合画であればいい記念にもなる。
隊の顔であるグラートを中央に目立つようばっちりと、ヴォルフは平和のためにそれなりに描いてもらうという方法もありなのではないか? そんなことを考えたとき、ノックの音が響いた。
「すまない。待たせたな、ダリヤ先生」
「い、いえ!」
入ってきたのはグラートだ。
いろいろと考えすぎていて、声が上ずってしまった。
「政務棟で魔物討伐部隊の予算と物資増強を願うはずが、予想以上の割り当てになってな。私だけではどうにもならないので、弟を呼んでグリゼルダと割り当てを見直してもらい、ジルドに助言を受けることにした。それで最適になるだろう」
本当にそれでいいのか、そうも思うが、隊の増強はいいことである。
そして、予算と物資増強の割り当てが変わったことで、ロセッティ商会への依頼数も増える。
このため、打ち合わせは日を改めてということになった。
とはいえ、ダリヤの方ではまだ願いたいことがある。
会議室に準備していたお茶をどうかと声をかけられたので、機会を頂くことにした。
ロセッティ商会担当であるヴォルフと、グラートに声をかけられたベルニージも一緒である。
隊員とランドルフは、九頭大蛇クッキーを魔物討伐部隊棟に配って回るそうだ。
廊下を歩きながら、グラートに話しかけられた。
「ああ、マグカップの件だが、描いた絵はイヴァーノにまとめて渡しておいた。遠慮なく使ってくれ」
先日の九頭大蛇マグカップについては、イヴァーノがグラートへ画を願い、すでに下絵案をいくつかもらっている。
午前中に商業ギルドで見せてもらったが、どれも見事な絵だった。
グラートは騎士にならなければ、絵師の道もあったのではと思えるほどだ。
「ありがとうございます。とても素晴らしい絵でした」
「あれで売れればよいのだがな。まあ、魔物討伐部隊の紋章があるから、そちらで多少は売れるだろう。隊員達と家族は買うだろうからな」
手慰みだから報酬はいらないというグラートに対し、イヴァーノは一個販売につきいくらの歩合契約をしたという。
加えて、隊の紋章を使う分もきっちり歩合で契約したそうだ。その利益は隊の予備費になるらしい。
こちらはジルドも関わって書類にしたとのことで、もめることはないだろう。
「あの、グラート隊長、できましたらザナルディ様へ、カークさんと共に改めてお礼をお伝えしたいと思っておりまして――」
話の切れ間に相談をする。
ザナルディに礼を伝えたくとも、大公にいきなり会いに行くわけには行かず、直通で手紙も出せない。
「ああ、カークの方は済んでいる。午前中にザナルディ大公に呼ばれ、緑馬を賜った。大変足が速く、風魔法使いと相性がいいそうだ。私も見せてもらったが、九頭大蛇戦の次があれば、身体強化なしで国境までいけそうな馬だった」
「それはよかったです」
きっと、カークはとても喜んでいるだろう、そう思えた。
「ザナルディ大公より、ダリヤ先生も本日の帰りに三課に回ってほしいとのことだ。ダリヤ先生には済んでいるが、マルチェラに礼を、こちらは馬ではないから安心してくれと。ああ、ヴォルフ、同行できるな?」
「はい、もちろんです」
お礼を言いに行くはずが、自分がマルチェラへの礼を受け取りに行くことになるらしい。
馬ではなくても安心できない気がするが、ヴォルフも一緒なので心強い。
何より、ザナルディへしっかりお礼を伝えよう、そう思いつつ会議室に入った。
「っ……?」
声もなく、つい瞬きを繰り返し――その後にようやく会釈した。
会議室の一番奥の席にはストルキオス殿下。その背後には護衛騎士。
テーブルの右側にはジルド、グイード、ヨナスがそろっている。
部屋を間違えたか、そう思ったものの、グラートはそのままテーブルの左側に進んだ。
奥から、グラート、ダリヤ、ヴォルフ、ベルニージが座る。
そうして、全員に紅茶が出されることとなった。
「先程の会議が長引きましたので、こちらで一息入れさせてもらうことにしました」
金髪青目の青年が、きらきらしい笑顔で言う。
こちらは一息入れるどころか、ストルキオスの存在に緊張しまくっているのだが――ついグラートを見ると苦笑していた。
もしかしたら彼も知らなかったのかもしれない。
「お茶を飲んだらすみやかに戻りますので、九頭大蛇の話でも聞かせてください。政務棟では財務部長に監査教育を受けているのですが、壁が高いのです」
「殿下はいずれ財務部監査の役をお持ちになる方です。最低でも私を超えて頂きませんと」
最低ラインが財務部長のジルド、それはとてつもなく骨が折れそうだ。
つい、同情のまなざしを向けてしまった。
「ところで、九頭大蛇というだけあって、本当に九本の首でしたね。あれは食事で争いにならぬのかと思ってしまいます」
「入る胃袋は一つですから、問題ないでしょう」
楽しげに言うストルキオスに、紅茶のカップを持ったグイードがあっさり返す。
「ですが、効率はよくないでしょう? 首に回す栄養がもったいない」
「周囲を見渡すのに便利では?」
「三本あれば充分ではないかと。三百六十度確認はできますが、九本はむしろお互いの視界が邪魔にならぬのかと思いました」
グラートの言う通りである。
ダリヤが見たときにはすでに三本だったが、あの三倍では首同士が絡みそうだ。
もちろん、一個体なのだから連携は取れているのだろうが。
「私は、九本はやりすぎだと思うのですよ。神がお作りになったものとは思えないほどに」
殿下の言いたいこともわかる。
前世で学んだ生き物の進化を思い出しても、九本の必要性がわからない。
もっとも、今世は魔力が存在し、魔物がいて、人も魔法を使える者がいるのだ。一緒にしてはいけないのだろう。
「あれほど大きくなるまで、九頭大蛇はどこにいたと思いますか?」
「目撃情報もなかったので、どこか遠くから飛んで来たか、地の底にいたとしか考えようがないですな。とはいえ、当てもなく空を探すのも、国境大森林を片端から掘り返すわけにもいきませんから、難しいところです」
グラートの言葉に、紅茶がちょっとだけ苦くなった。
「実際に戦ってみて、何か思ったことはありませんか? グイード?」
「私は亡骸を凍らせただけですから、その質問はそちらへなさっては?」
勧め通り、ストルキオスはヴォルフとベルニージへ視線を向ける。
「首同士の連携はあまり取れていませんでしたから、戦いにそう慣れていない個体ではないかと思えました」
「ヴォルフ殿の言う通りです。おそらく人間との戦いも不慣れでしょう。でなければ最初に毒の霧を吐いて威圧、殲滅ができたでしょう」
なかなかに怖い話がきた。
戦いに慣れた九頭大蛇は想像したくない。
ふるりとした自分の横、ベルニージのカップがかちゃりと音を立てた。
「そういえば、九頭大蛇は雨に驚いて――まるで、初めて雨に打たれたような表情をしていました――そんなことはありえないでしょうが」
「わかりませんよ、ドラーツィ殿。もしかしたら、地底から出て、初めて雨を見た日だったのかもしれません」
ダリヤは不意に思い出す。
戦場の大気を震わせた、奇妙で、悲痛で、恐ろしい声。
あの九頭大蛇の声は、もしかして仲間へ助けを呼ぶものではなかったか?
来る仲間はいなかったが、九頭大蛇にも親はいるはずで――
「ロセッティ男爵はどうですか?」
「え、はい?!」
考え込んでいて、ストルキオスへの返事が遅れた。
咄嗟に記憶を辿り、思い出したことを口にする。
「九頭大蛇の牙はとても白いのだなと思いました」
「牙が白い? それがどうかしましたか?」
殿下に真顔で聞き返された。
「ええと、動物や植物を食べると、牙が汚れたり傷んだりすると思いますが、それがなく。とても丈夫な素材なのだろうと……」
「そうだね、ダリヤ先生にとっては九頭大蛇もただの素材だね」
「申し訳ありません……」
グイードに微笑まれ、あまりに当たり前のことを答えてしまったことを詫びる。
けれど、ストルキオスもにこりと笑った。
「いえ、謝ることはありませんよ。セラフィノ公も、ただただ素材としてしかご覧になっていませんでしたから。職務によって見るところは違うものなのでしょう」
ザナルディと一緒にされるのはどうかと思うが、魔導具師とはそういうものだと納得されたらしい。
とりあえず乗り切れてよかった。
そこからは九頭大蛇を運んだ騎馬達の体重がはね上がってしまったことや、海路運搬中にクラーケンが出たこと、港で他国の船に遠巻きにされたことなどを聞いた。
そうして、一息入れるための短めのお茶会は終わった。
「グイード、氷の魔石の追加をお願いできますか? 解剖用のものが足りなくなりそうなので」
「了解致しました、ストルキオス殿下。どのぐらいご入り用ですか? 各所との兼ね合いがありますので、数によっては分割調整させて頂ければと――」
王都の気温は上がりつつある。氷の魔石による温度管理は必須だろう。
グイード達が話す中、ジルドもグラートを呼び止める。
「グラート、提出書類で気になるところがある、政務棟に戻る前に確認したい」
「わかった……」
「ベルニージ殿、宿場街で借りた騎馬の代金をお支払い頂いておりますが、そちらは国が出すべきものです。ご請求を」
「あれは儂が個人的に出したものだからよかろうに」
「そうはまいりません!」
ベルニージも捕まったようだ。
ダリヤはヴォルフと視線を合わせた後、そっと席を立つ。
まだ話が続く者達に一礼し、二人そろって部屋を出た。




